この間の仕事の打ち上げも兼ねてさ、飲みに行かないか。 そう誘ってみたら、意外にも羽鳥はあっさり頷いた。 てっきり断られるかとも思っていたんだけど。羽鳥のマンションの玄関先で羽鳥の恋人と修羅場になったのは、まだ記憶に新しい。子供が癇癪を起こすみたいに独占欲を主張した恋人を見る羽鳥の、何とまあ嬉しそうだったことか。羽鳥のあんなにやけ面は、長いこと友人をやっているけれど初めて見た。 しかし、馴染みの居酒屋で一杯目のビールを飲みながら聞くところによれば、どうも今あの恋人とは喧嘩中らしかった。 原因を問うと、羽鳥が不機嫌そうに眉を寄せる。 「俺が居ない隙に、他の男の家に泊まりに行っていた」 「ぶはっ」 口に含んでいたビールを噴き出しそうになるのを、すんでのところで堪えた。けれど、げほげほという咳に混じって、くっくっと込み上げる笑いが止まらない。 重々しく口を開いた友人が、そんな苦しげな俺をじと目で見る。 「………何がおかしい」 「悪い悪い」 全く気持ちの入っていない謝罪に、羽鳥がむすりとしてジョッキに手を伸ばした。ああ、なる程。その鬱憤を晴らしたくて、今日の誘いに応じた訳ね。 だが、これが笑わずにいられるか。大学時代は落ち着いた言動で女に人気だった彼が、よくよく見れば口をへの字にして拗ねている。本人は気付いていないが。 「それで、浮気されて喧嘩になったと」 「…吉野が言うには『友達の家に泊まることが、なんで浮気になるんだ』と」 羽鳥があんまり苦々しく語るので、詳しい事情は知らないが、何となくただの友達ではないような気がした。 「吉野さんが友達と思ってても、その友達の方はそう思ってないかもしれないもんなあ」 …………この前の俺みたく。 「そうだ」 羽鳥がジョッキをドンッとテーブルに置く。 「大体、あいつは警戒心が無さ過ぎる。何回気をつけろと言っても『友達なんだから、そういうことになるわけがないじゃないか』と言うし。しまいには『トリってそういう見方しか出来ないのかよ』と呆れられた。…人の気も知らないで…」 「おい、落ち着けよ、羽鳥」 どんどん饒舌になる羽鳥は、きっと酔ってきているのだろう。 酒には強い筈なのに、今日はやけに酒の周りが早いのは、日頃の疲れが溜まっているせいかもしれない。たまに羽鳥の話をちらりと聞くだけでも、編集はハードな職業であることが察せられるし、プライベートでも恋人に振り回されているし。実にご苦労なことだ。 ……まあ、もう少しこの話題に付き合ってやってもいいか。 「ふーん。吉野さんも、なんでまたそんな奴のところにほいほい行っちゃったのかねぇ」 「こたつ」 「……はぁ…っ?」 「こたつに入りたかったからだと。俺の家にも、あいつの家にも無いから」 ………売れっ子少女漫画家・吉川千春先生は、常人の俺には訳がわからない感性をお持ちのようだった。 羽鳥が溜め息をついた。…この溜め息には、羽鳥の気苦労がよくよく込もっている気がする。 ―――どうして、こうも疲れるような恋をしているのかな、お前は。 ふと疑問に感じ、ずっと密かに思っていたことを聞いてみた。 「……っていうかさ、羽鳥って、吉野さんの一体どこがいいんだよ」 俺にこんなことを聞かれるのは意外に思ったのか、羽鳥が僅かに目を見開いた。 「俺、吉野さんのことは全くタイプじゃないから、全然良さがわかんねーんだけど。 つーか、面倒くさくね?公私共に羽鳥に甘えてばかりで。あんな手間のかかる相手、お前も疲れるだろ。 そりゃ顔は男にしては可愛い方だけど、特別美形というわけでもない童顔だし」 すると、俺の言葉をずっと黙って聞いていた羽鳥が、しみじみと呟いた。 「…俺にも、あいつのどこがいいのか時々よくわからない」 「身も蓋もねーな」 ひとつ神妙に頷いて、羽鳥がおもむろに呟いた。 「……………けど、好きなんだ。どうしようもないくらい」 知ってるよ、そんなこと。 ―――ああ、それでも。あわよくばなんてまだ少し期待も抱いていたのに。やっぱり、つけいる隙もないんだよな。 なんだか馬鹿馬鹿しくなって、羽鳥の話を真面目に聞くことを放棄し、ジョッキに手を伸ばす。口にしたビールは、さっきよりも苦くてぬるくなっていて、不味かった。 空になったジョッキと、散らかった皿との合間に、テーブルに突っ伏す友人をどうしようかと悩む。 そうだ、ここはやはり、あの人に押し付けるしかあるまい。 羽鳥の鞄を適当に探り、携帯電話を取り出す。着信履歴と発信履歴の多くを埋める番号にリダイヤルをした。あまり間を空けずに、『もしもし、トリ?』と聞こえてきたのは、今日も脳天気な件の人物の声。 「あー、吉野さん?俺、高屋敷です」 『へっ?』 なんで?トリは? 携帯電話を耳に当てながら、吉野さんが首を傾けているのが目に浮かぶ。構わずに続けた。 「これから羽鳥をタクシーに突っ込もうと思うから、ちょっと吉野さんの住所教えてくれない?タクシーの運転手に言っておくから。 …ん…?だって、俺にはもうお手上げだから。だから吉野さんがこの酔っ払いの面倒見てよ。 え?『なんで俺が』?…だってこの状況、吉野さんのせいだし。 羽鳥が拗ねてるのも、俺が長々と愚痴と称したノロケを聞かされるのも、みーんな吉野さんのせいなんだから」 2012.02.15 小ネタより移動 |