※しゃばけパロ設定のお話です 寒い冬が終わり、ようやく過ごしやすくなってきた頃。この港町でも有数の廻船問屋・吉野屋の一人息子の千秋は、今日も今日とて病で寝込んでいた。 生まれついて病弱であった千秋は、むしろ健康でいることの方が珍しいと評判で、たまに外を散歩していれば『明日は雨が降る』と近所の者に騒がれる。それをいつも面白くなく思っている千秋だけれど、一人で天井ばかり見つめる日々が長く続いては、そんなからかいすら恋しかった。 まだ肌寒い風にやられて熱を出してしまい、吉野屋の過保護な手代達に布団に括り付けられたのは数日前のことだ。 実のところ、もう体の熱はすっかり落ち着いているのだが、まだ本調子ではないからと起き上がることすら許して貰えない。 「退屈だなあ」 ぽつりと嘆いた言葉は、しっかりと拾われてしまった。絹糸のように細い髪を揺らして、傍らで火鉢の様子を見ていた柳瀬がくすりと笑う。 「ついこの間までは高熱で虚ろになってたっていうのに、退屈なんて呑気なものだな」 「だって、もう熱も下がったのに、ただ寝ているだけはつまんないよ。なあ、優。もう起きちゃ駄目?」 「まだ駄目だ。お医者さまの許しが出ていないだろ」 「えー、でもさー…」 唇をつんと尖らせた千秋に苦笑をしながら、柳瀬は火鉢の中の大きな餅をひっくり返す。因みにこの餅は、細身の身体に似合わず大食漢の柳瀬の間食だ。餅の焼け具合を満足そうに確認した柳瀬が、ふと思い出したように言う。 「そうだ、暇なら昔話をしてやろうか、千秋」 「昔話?」 「うん、羽鳥と皮衣様の話をしてやるよ。どうせ羽鳥はお前に何も言ってないんだろうし」 細められた柳瀬の目の奥が、ちらりと怪しく光った。 千秋の祖母は、それは美しい妖(あやかし)であったらしい。三千年生きた狐の妖怪で、妖連中には皮衣と呼ばれているようだ。 らしいとか、ようだとか、曖昧な言い方をするのは、千秋は皮衣に会ったことはないからだ。千秋が生まれる前に亡くなったとつい最近まで聞かされていたのだが、実はこの世には居ないだけで、今は神である荼枳尼天に仕えているという。 皮衣はこの世を離れても千秋のことを気にかけていて、千秋が五つのとき、皮衣に『千秋を守るように』と頼まれてやってきたのが、羽鳥芳雪と柳瀬優という妖だ。人のように姿を変えた妖達は、今は吉野屋の二人の手代として、人間達に混ざって暮らしている。 羽鳥も柳瀬も皮衣のことをとても慕っている。だから、皮衣に頼まれたというだけで、人間の出来損ないのような千秋の面倒をこうも熱心に見ているのだと、千秋は思っている。 「……それで、優。ばあちゃんとトリがどうしたって?」 千秋は羽鳥のことをトリ、柳瀬のことを優と呼ぶ。初めて出会った五つのとき、舌足らずで上手く彼らの名を呼べなかった名残だ。柳瀬はもったいぶるように焼いた餅をぱくりと頬張って、一口飲み込んでからやっと喋り出す。 「羽鳥はうんと前から皮衣様に付いているけど、その理由を千秋は知ってる?」 「いや、知らないけど」 「羽鳥は皮衣様に恋をしているのさ。…もう千年になるのかな」 恋。 家で寝てばかりで出会いも何もない千秋には、馴染みの無い言葉だった。 きょとんとする千秋に柳瀬は、そう、恋だ…と、にやにやしながら繰り返した。 「…ばあちゃんに?でも、ばあちゃんにはじいちゃんがいるだろう」 「うん、皮衣様が千秋のじいさんにぞっこんなのは知ってるよな。人間の振りして結婚して、子供を産んで。こんな物好きな妖、珍しくはないけど中々いないぞ。やっぱり皮衣様は、何にも囚われないすごい方だ」 けなされているのか褒められているのかわからないが、柳瀬の皮肉は親しみを込めてのものだと千秋は知っているので、良い方に受け取っておく。 「この千年間、お前のじいさんが何度生まれ変わっても、皮衣様は恋に落ちた。羽鳥はそれを何も言わずにずっと傍で見ているだけだった。その羽鳥の目のじっとりとしているの何のって。 叶わない恋なんかとっとと見切ってしまえばいいのに、しつこいんだよな。まあ、はたから見れば滑稽で面白いけど。いつ諦めるんだろ、羽鳥のやつ」 くすくすと笑いながら餅を食べる柳瀬の声が段々遠くなっていった。 この間まであんなに熱くて重かった頭がすっと冷えていくようだ。千秋にとっては、これはちっとも面白くなんかないことだ。 岩のような色をして、泥のようなにおいがして、およそ人の口にするものではない。 それを湯のみに入れて差し出してくる羽鳥は、このぐちゃぐちゃとしたものをどんな病にも効く薬湯と言い張っていた。 「飲め」 飲めるものか。口にせずともわかる、これは確かに体には効くのかもしれないが、きっと気が遠くなるほど不味いに違いない。だって今まで羽鳥が出してきた薬は、その効力に比例して不味いものだったのだから。 湯のみを凝視して動かない千秋に、羽鳥は餌をちらつかせてきた。 「これを大人しく飲んで体が良くなったら、外に出してやる」 「………外に?」 「ああ。この間、織田屋の跡取り息子が見舞いに来た時、寝込んでいて会うことも出来なかったと言っていただろう。顔でも見せに行ってやれ」 このところ千秋は寝込んでばかりいたので、外出はご無沙汰で、吉野屋の三軒隣の織田屋にも行っていないし、そこの一人息子の律にもしばらく会っていないから会いたい。 ……それに、この家には大抵羽鳥がいる。柳瀬に皮衣と羽鳥のことを聞いて以来、千秋は羽鳥と顔が合わせにくかったから、外に出る口実は有り難いとも思った。 苦そうな薬と、羽鳥の苦い顔。どうせどちらも苦くて嫌なのだから、飲み込んだら無くなってしまう薬の方を撰ぼう。 千秋は意を決して湯のみに口を付ける。渋くて苦い味が一瞬で口内に広がって、飲み干したところで、あまりの不味さに顔をしかめた。 「――――久しぶり、律っちゃん」 三軒隣という間近な場所にも関わらず、お前はどこで倒れるやも知れぬと強引についてきた柳瀬と共に、織田屋の店先に辿り着く。 出来たばかりの饅頭を並べている目当ての人物を見つけて、千秋は声をかけた。その人もすぐに気がついて、顔を上げる。 「ああ、千秋じゃないか。それに、柳瀬も…久しぶりだね。もう風邪はいいの?」 ふわりと笑いかけてくる律につられて、千秋も笑った。 律は人形のように白い肌と不思議な色の目をしていて、町でも美丈夫と密かに評判だ。この店には律目当ての娘たちも少なくないらしい。 「…風邪の方は大丈夫だよ」 「そう?…うーん、でも、どことなくしょぼくれた顔をしているように見えるけど」 しょぼくれた顔、か。 実は柳瀬の話を聞いてから、羽鳥のことを考えるたびに胸の奥がむかむかとするのだ。会ったことの無い皮衣のことは想像出来ないのに、羽鳥が誰か美しい女性に付き従っている姿はどうしてかあっさり浮かぶ。 (………トリが誰を好きだとか、それが例えばあちゃんでも、そんなのどうでもいいことだろう。なんで俺がトリのことで落ちこまなきゃいけないんだ……) 世話役の恋愛に干渉するつもりはない。色恋なんてなるようにしかならないし、羽鳥に打ち明ける気がないのならば、千秋から口を挟む必要もないのだから。 そうだ、きっと昔からずっと傍にいる世話役が、自分以外にも感心を寄せていたのを知って寂しい。それだけなのだ。 だって、これではまるで嫉妬みたいだ。しかも、単なる嫉妬ではなくて…… 「元気を出しなよ、千秋。そうだ、丁度さっき作ったばかりの大福があるんだ。今日はうまく出来たから、食べる?」 話を断ち切るように、律が店の奥から大福を一つ差し出してくる。千秋の手のひらに乗せられた大福は、真っ白くて柔らかそうな餅の下にたっぷりと詰まった餡が透けていて、見た目には中々美味しそうだ。 だが、傍にいた柳瀬は大福を見て僅かに眉をひそめた。本性は犬神という妖で鼻が利く柳瀬は、千秋の耳元でそっと囁く。 「千秋、これを食べたら、また蛙の潰れたような声をあげる羽目になるぞ。それとも、また三途の川に行きたいのか」 「大福一つで大げさな…」 「大げさじゃない。どうなっても知らないぞ」 深刻な顔で告げる柳瀬に反して、白い大福は小さな皿の上にちょんと大人しく収まっている。いつも律が作る菓子は焦げていたり皮が破れていたりと見目が悪いのだが、この大福は至って普通の大福に見えた。 「気にしすぎだって、優。律っちゃんも今日はうまく出来たって言ってるし…じゃあ、いただきます」 「あっ、千秋!」 小さな口を目一杯開けて、千秋は大福にかぶりつく。ひと噛み、ふた噛みしただけで、柳瀬の予感は正しいと知らされた。 「ぐえ……っ」 見た目を裏切る、気が遠くなるような苦さだ。 意識を手離す直前に千秋の視界に入ったのは、困惑している律と、だから言わんこっちゃないと目を覆った柳瀬の姿だった。 次に千秋が目を開いたとき、飛び込んできたのは見慣れた天井だった。厚い布団の中で身じろぎをすると、これまた見慣れた羽鳥が眉間に皺を寄せて枕元にいる。 「あれ、ここ、俺の部屋…?」 「そうだ。柳瀬に抱えられて帰って来たから何事かと心配してみれば、『こいつ、また大福で死にかけた』だ。いい加減懲りろ、律の菓子を食べて倒れるのはこれで何度目だ」 「そっか、俺、また倒れたんだ。…律っちゃん、気にしてないかなあ」 「律には『久方ぶりに外に出た千秋が、はしゃぎすぎて目を回した』と伝えておいた」 「……どうも……」 子供みたいな言い訳は気に入らなかったけど、律に気にさせるよりはましだと思いなおす。犬ころみたいに人懐っこい律は、自分の菓子が不味いことで誰かに迷惑をかけると、しゅんと落ち込んでしまうのだ。 ―――それにしても、今日は苦いばかりの日だ。 羽鳥の薬を飲んでも苦い、甘いはずだった律の大福も苦い。 羽鳥と皮衣の話も、千秋には苦い。 「…………なあ、トリ。聞いてもいい?」 「何だ、いきなり」 「おまえ、ばあちゃんのこと好きだったって…」 「柳瀬か、言ったのは」 大きな溜め息を吐いたあとで、羽鳥はくしゃくしゃと自分の頭を掻き上げる。いつも落ち着いている羽鳥にしてはらしくない仕草だ。 「お前が生まれる、うんと前のことだ。俺だけじゃない、若い連中はみんな皮衣様に参っていたんだ。それくらいあの人は美しかったから」 「……ふーん」 こういう言い訳も千秋には気に入らなくて、つい非難するような口ぶりになる。 「俺にとっては大昔でも、長く生きているお前には数刻前のようなものだろ。トリは今でもばあちゃんが好きなんじゃないのか」 口に出したあとで、千秋ははっと後悔する。 (――――あああ、言ってしまった……。こんな嫉妬みたいなこと、言うつもりはなかったのに。だって、これってまるで焼き餅みたいじゃないか) 段々と顔が熱くなるのを隠そうと、布団に顔を隠す。暫くして千秋が目だけを布団から出すと、羽鳥は口の端を上げていた。 「…なんで笑ってるんだよ」 「いや。いいから、この薬を早く飲んで大人しく寝ろ」 ぶすりとする千秋に、羽鳥は湯のみを差し出す。中にはあのぐちゃぐちゃの薬が入っていた。 「それ、不味いから飲みたくないんだけど」 「飲んだら良くなるから」 嫌だと言っても羽鳥が無理やり薬を飲ませてくるのはわかっている。千秋が渋々起き上がり、湯のみを口につけようとしたとき、羽鳥がぽそりと呟いた。 「確かに好きだった。…でも、今は違うから」 「今は、違う?」 納得がいかない。ならば、羽鳥の今の表情は何だ。 律が菓子のことを語る時のような、高野がそんな律を見るような、その穏やかで熱のこもった表情は何なのだ。決して過去のことを想う眼ではない。 ……もしや羽鳥は今も祖母のことを好きなのではないかと穿ってしまうのは、この目のせいなのだ。 「ああ、今は違うんだ」 けれど羽鳥はゆるりと繰り返すばかり。千秋の今までの経験から察するに、このままはぐらかすつもりでいるのかもしれない。 悔しいけれど、羽鳥に口で勝てたことのない千秋には、追求することは出来なさそうだ。 「さあ、俺の話はもういいだろう。早く薬を飲んでしまえ」 「わかったから…はあ」 湯のみを覗きこんで、憂鬱になった。やっぱりこんなもの飲みたくない。 中に漂う濁った液体は、まるで今の己の気持ちのようだ。 以前、千秋の飲む薬を見た律はへどろのようだと言ったし、木佐という妖は熔岩のようだと言った。世間知らずの千秋にはそれらの例えがこの薬にそぐうものかわからないのだけど、自分には似合いのものだと思っていた。 人としても妖としても半端者。 皮衣のように美しくも強くもないし、周囲の人間のように逞しくもなれない。 ただこの苦みを嚥下して、だましだまし生きていくだけ。 羽鳥の不味い薬に幾度も世話になってきた千秋は、この苦い薬をどう飲んでいいかは心得ている。 つんと据えたにおいを嗅ぐと飲む気がしなくなるから、鼻をつまんで嗅がぬようにして、味わわずに一息でぐいっと飲んでしまうのがいい。 けれども、鼻をつまんでも、息を止めても、苦いものは苦くてくるしい。 涙が出そうになるのを堪えながら、甘い餅が食べたいと思った。 『一歩を踏み出す勇気』 (お題配布元 確かに恋だった様) 2012.09.18 |