見知らぬライバル | ナノ
日曜日の昼下がり。俺は吉野と共にとある雑貨店へと足を運んでいた。外装から如何にも女の子向けの店であると解る、こじんまりとした建物のドアを開けて足を踏み入れれば、店内の至る所に所狭しとぬいぐるみや小物達が並べられている。女性客や親子連ればかりの店内は、三十手前の独身男二人には些か場違いだ。

何故俺達がこんな店にくる羽目になったかというと、俺の所属する丸川書店エメラルド編集部が模様替えをすることになったからだ。
エメラルド編集部では、編集長の高野さんの「まずは環境から乙女に近付け」という方針から、常にファンシーなグッズで溢れた内装となっている。その高野さんが「そろそろ新しいぬいぐるみでも買い足すか」と言い出し、編集部の全員が週明けに新しいぬいぐるみを持って来ることが決定したのが、今週の水曜日のことだ。
因みに、ぬいぐるみに経費は落ちない。「ぬいぐるみなんて、いつも修羅場中には何処かに追いやられるのに、なんでわざわざ自腹で買う必要があるんですか」と果敢にも反論を試みたのは、最近すっかりエメラルドに慣れてきた小野寺だ。金を惜しんでいるのではなく、編集の仕事とぬいぐるみは結び付かなく思えて、腑に落ちないらしい。
しかし、高野さんが『乙女の気持ちを知ることが少女漫画編集にとって如何に大切か』を説き伏せると、悔しそうに押し黙った。編集長と新人編集のこういったやりとりは最早エメラルドの恒例行事なので、俺も美濃も木佐も二人の会話を聞き流して仕事を続けたのだが、話の流れが何故か高野さんが小野寺と休日にぬいぐるみを購入することへ転がっていたので、もしかしたら今頃彼ら二人も同じようにぬいぐるみと睨み合っているのかもしれない。



「俺、ずっとやってみたかったことがあるんだ」
吉野が呟いた。何がそんなに楽しいのか、さっきから手にした猫のぬいぐるみの尻尾を繰り返し引っ張っては戻している。どうやら、尻尾を引っ張ると鳴き声をあげる玩具のようだ。「たまには嗜好を変えてこういうのはどう?」と手渡されたが、大きさといい、やたら再現度の高い鳴き声といい、まるで実際に猫の尻尾を引っ張っているようでぞっとしないので、すぐに棚に戻した。
「…それで、何をやってみたかったって?」
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりの吉野が顔を上げる。
「大人買い。ここまで可愛いものが雁首揃えて並んでると、『この棚のここからここまで、ぜーんぶ頂戴』とか、一度言ってみたいと思わない?」
「思わない」
冗談めかして言われたが、丁度収入を得たばかりである今の吉野は、まるでお年玉を貰った直後の子供のように気が大きくなっているので、冗談とも本気ともつかない。
丸川の稼ぎ頭で売れっ子少女漫画家である吉野なら、この店の気に入った商品を棚単位で買うことも可能だろうが…それを部屋に飾ったり片付けたりするのは俺の役目になりそうなので、つまらなそうに頬を膨らませた吉野を置いて、足早に次のフロアへと向かった。

階段を上ると、彫刻のように整った顔立ちを動かさない男と、高校生位に見える少年の先客が居た。俺達以外の男性客が居るとは珍しいと、吉野が目を見張る。
彼らが今足を止めているのは熊のぬいぐるみを集めた一角で、少年の方は兎も角、端正な顔をした成人男性が眉間に皺を寄せて大真面目にぬいぐるみの手触りを確かめている仕草はあまりに外見とのギャップがあって、思わず視線を向けてしまった。
男は一度じろりと棚を見回して、暫し黙考する。そして、おもむろに口を開いた。
「すいません、この棚のここからここまでを、各種類一つだけ残して、全部下さい」
「あああっ、ウサギさん、駄目ーーー!!今日は見るだけって約束だったじゃんかっ!」
「見てるだけじゃ物足りなくなった」
「ウサギさんは堪え性がなさ過ぎる!大体、うちには鈴木さんやいろんな玩具がもういっぱいいっぱいで、置く場所なんてないだろ。これ以上は、ウサギさんの部屋くらいにしか置く場所残ってないじゃないか。ぬいぐるみでぎゅうぎゅうになって、身動きの取れない部屋になっちゃうよ。そしたらウサギさん、一体何処で寝るって言うんだよ」
「美咲の部屋で寝る」
「超っ、迷惑だからっ!」
顔を真っ赤にして怒る少年には構わず、男の方は澄ましたものである。
横で騒がしくされながらも、店員は今すぐ持ち帰ると言うこの客の為に次々と商品を箱に詰めていった。慣れた様子から、もしかしたら男と少年はこの店の常連なのかもしれない。

―――数分の後、少年の主張虚しく、男は大量の熊の一部を抱えてホクホクとした様子で帰って行った。
嵐が去った後のようにすっかりガランとなった棚を見て、吉野は呆気に取られていた…ように見えたが、よく見ると小さく肩を震わせている。唇を薄く開いて目をキラキラさせた吉野は、まるで恍惚しているような、興奮しているような…ああ違う、強いて言うならば、
……………ムラムラしている。



「すいませーん!俺もこの棚のここからここまで全部……むぐっ」
「頼むから、やめろ。妙な対抗心を燃やすな」
不穏なことを言い出そうとした口を塞いで、釘をさした。











気に入っていたぬいぐるみ屋さんが潰れていたことが寂しくて、なんとなく思い付いてしまったものでした。
2012.1.11 小ネタより移動
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -