その名前


彼と俺との間には、
越えてはならない一線がある。




それさえ越えなければ、彼は俺の事を好きでいてくれる。
笑ってくれて、触ってくれて、愛おしげにキスしてくれて、愛してくれるんだ。




たとえ、それが嘘でも。




初めは、見えないフリをしていた。気付かないフリ。だって見たくないし、傷つきたくない。彼の心が、俺から離れているなんて考えただけで悲しかった。

彼が好きだと言ってくれた笑顔を、いつも絶やさなかった。
可愛いと言ってくれた仕草を、気付かれないように意識した。
彼に手間をかけさせるために悪戯をして、そのたびに呆れたように笑う彼の顔を見るのが好きだった。





だけど、どんな時でも、
彼の心の中には一人の女性がいた。





それに気付いた時、
俺の中の彼はがらがらと崩れた。




「っん、あ…コン…ああっ…!」


俺の胸に顔を埋める彼の頭に手を差し入れて、快感のままにかきいだいた。

派手に水音をたてながら、彼は俺の乳首に舌を這わせる。引き寄せるように背中に手をまわされた。乳輪まで口に含まれて、強く吸われる。一際高い声が漏れるけど、彼はおかまいなしにもう片方の乳首を指でつねった。

すりすりと指で擦り合わされ、先端を小さく弄くられる。かり、と歯をたてられて、与えられるだけの快感に腰を震わせた。


「あ、だめっ…コンラッ、んうっ!」


伸びてきた手に、口を覆われた。



悲鳴にも似た嬌声はくぐもり、それでも情けなく漏れていく。

高まっていく男の性とは対照的に、心は急速に冷めていった。

彼の顔は、伏せられたままで見えない。




どんな顔をして、俺以外の誰かを俺に重ねているのだろう。




彼の手は忘れ去ったように、熱を持つ下肢には触れない。その事実が、更に俺の心を傷つけた。


俺の体に、男の声はいらない。骨ばった筋肉はいらない。男性器はいらない。



だって彼女には、そんなものなかったからだ。



泣きそうになるのを、必死にこらえた。
彼の手はただ冷たくて、優しくなんかなくて、力任せに俺の口を封じる。

上半身に舌を這わせられて、ちくりと鬱血を残された。彼は誰を所有した気になっているのだろう。




ああ、もう張り裂けそうだ。
愛に溺れて死にそうだ。




けれど彼を嫌いにはなれない。

返される事のない思いは募るばかりで、交わらない感情は離れていくばかりだ。

彼を愛してやまない。まるで一種の病気だ。いや、病気だったらどんなにいいか。
この思いには、薬もなければ終着点もないのだから。

彼の手首を掴んだ。ぎゅうっと握り締めると、彼は顔をあげる。
妖しく光る赤い舌で己の唇を舐めて、ぞっとするような瞳を俺だけに向けた。


「だ、れのこと…考えてるの…?ジュリ、んんっ!」


噛みつくようなキス。

じゅるりと舌を吸われて、彼の口に引きずりこまれる。
息継ぎすら与えてもらえず、腰も舌も痺れる程翻弄されて、酸欠に霞む脳内が恐怖を覚えた。

無理矢理犯されているような感覚。

震える舌でさえも彼の舌に再度絡めとられて、咥内を蹂躙される。唾液が口元を伝い、ようやく舌が乱暴に突き放されて浅ましく酸素を求めた。

潤む視界の中、彼に手を引っ張られる。ぐっと近付く彼の顔が、怒ったように見えた。


「…いくら貴方でも、その名前を口にするのは許さない」


腰を抱えられ、うつ伏せに寝かされる。頬がシーツに擦れる。

そのまま、息つく暇もなく彼自身が挿入された。


「ひっ、ああああ!コンラッ…いた、い…」


潤滑油も何も使われず貫かれたそこは激しく痛み、何が起こったのかも分からないままがくがくと揺さぶられた。生暖かい水分が、太ももを伝うのを感じる。

痛いのに、苦しいのに、彼の律動はやはり快感を高め、ある一点だけを狙う突き上げに間もなく俺自身が爆ぜる。
乾いた音に粘ついた水音が重なり、次第に俺の口からは甘い声が漏れていく。


「あっ、ふ…んん…あ…」

「…淫乱ですね」


嘲笑するような低い声。睦言などではないその言葉に、意志とは関係なく彼自身を締めつけてしまう。

背中に、固い彼の胸が当たる。短く息を吐く声がすぐ近くで聞こえて、どうしようもなく興奮した。

真っ赤になる程シーツを握り締めていた手に指先が這わされて、強く握られた。

がつがつと激しい抽挿。その勢いは彼自身の限界が近い事を知らせ、涙に潤む視界で彼をとらえた。


「な、かに…だしてっ…!」

「…っ、は……」


何もかも捨てて絞り出した声の後、欲にまみれた男の声が聞こえた。
奥に熱いものを感じ、その衝撃すら快感に変える自分の体に、酷く嫌気がさす。

引き抜かれて喪失感を覚えるそこに残るのは確かに彼のものなのに。



残るのはいつも、この胸の痛みだけだった。












膝を抱えて、声を抑えて泣いた。

すでに彼の体温は体になく、剥き出しの肩を冷気が通り過ぎる。

手を伸ばせば届く位置で、彼はこちらに背を向けて眠っていた。深い呼吸に肩を上下させ、俺の小さな嗚咽には気付かないままで。



呆れるほど、
悔しくなるほど、
死にたいほど、
彼を愛している。



汚い俺は、彼の中の誰かを憎むことしかできず、思いを塞ぎ込む事も彼を突き放す事もできない。

彼を置いて、この部屋を飛び出す事ができたらどんなにいいだろう。こんな俺を好きだと言ってくれる、もう一人の彼の胸に飛び込めたら。


彼が身をよじった。

深い眠りに身を預けたまま、小さく名前を漏らした。






「ユーリ…」






熱く頬を伝う涙。

叫びたい程彼が愛しくて、赦されなくても彼を抱き締めたくて。










痛い程、ぎゅうと自分の手を握り締めた。


end








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