笑ってください。


「…ねえユーリ、笑ってください」

彼は恥ずかしげに笑い、そして


愛してるよコンラッド


と言った。

彼の少し冷たい手を握ると、なぜだか涙が溢れてくる。
まるで身体の一部がもぎ取られるかのような痛みに、握った手を自分の頬にあてて、唇をかんだ。



なぜ涙が流れるのだろう。
彼はここにいて、笑ってくれているのに。



──────────────



疲れているはずなのに眠気はこず、虚ろになった視界の中でさえ意識だけは鮮明だった。

かつては夜になると忍び込み、王であり婚約者である彼と眠った部屋の前で、ヴォルフラムは膝を抱えて座りこんでいた。

鋭敏になった聴覚で、靴音を聞く。

顔をあげれば、長兄がこちらに向かって歩いてきていた。

少し痩せた気がする。
額の皺は深く、疲弊しきったその顔に酷く悲しみを覚えた。

「…兄上」
「少し休め、ヴォルフラム」

額に添えられた長兄の冷たい手のひらに、目の奥が熱くなる。

「ユーリを置いて、休むわけにはいきません」
「…では、ウェラー卿を呼び出そう。…陛下のお身体が、そろそろだと」
「…どうなさるのですか」
「アニシナに頼んで、なんとかしてもらうつもりだ。今はまだ、それしかできない」

グウェンダルは弟と目線を合わせたまま、すまないと呟いた。

摂政である自分の無力さを、改めて痛感する。
そして、自分自身の情けなさを。

このような弱さは、何物も救うことなどできないのに。

息を吐いて、立ち上がったヴォルフラムに頷きかける。
グウェンダルは、魔王陛下と実弟のいる部屋の扉を叩いた。


失いたくなかったモノはどうして、こうも簡単に奪われていくのだろう。

額の皺を一層深くして、グウェンダルは応答を待った。



──────────────



部屋の扉が叩かれた。

ユーリの髪の毛を梳いていた手を止めて立ち上がる。

「待っていてくださいね」

無意識に剣の柄にかけていた手に気付き、低く笑う。

俺とユーリの仲を引き裂く者など、この城にいるはずないのに。

鍵を開け扉を開くと、そこには兄と弟が立っていた。

「グウェンにヴォルフじゃないか。どうしたんだ、こんな時間に」

「…お前に、少し話が」

「ああ、すまない。陛下がいらっしゃるんだ」

「急ぎだ、ウェラー卿。陛下にはヴォルフラムをつかせれば良いだろう」

「しかし」
「ウェラー卿」

声を更に低くして言う兄に、不信感を覚える。

けれど、少しの間ならば。

「ヴォルフラム、陛下を頼む」

言葉がなく頷くだけの弟に微笑む。



ああ、自分はまだ笑えたんだ。
彼がいるのだ、当たり前か。



──────────────



「夢を見ました、ユーリ。貴方を失う夢だ」


馬鹿だな、コンラッド。


「貴方が居ない、真っ暗な世界が信じられなくて、夢だと何度も言い聞かせました」


うん、夢だよ。俺はここにいる。


「…ああ、…ユーリ、ユーリ…」



彼は、ここにいる。
甘い匂いのする彼の体を、優しく抱きしめた。


このまま溶けてしまえればいいのに。



──────────────



深く息を吐いて、目の前の扉を睨みつけた。
軽く叩いて、返答を待たないまま扉を開く。


寝台に腰掛けた兄と、横たわる若き王。


兄は自分の姿をみとめると、無表情のまま視線をそらした。

「…ウェラー卿」
「陛下はお休みだ、ヴォルフラム。また明日…」

「いい加減にしろ!」


怒鳴る気などなかった。

自分の幼稚さを理解しながらも、この兄の事を考えれば怒りなどわかないはずだったのに。

すぐ傍まで近寄り、兄を睨みつけた。

それでも横たわる彼の姿は直視できず、奥歯を噛み締める。

「何をしているんだ、お前は!なぜ、…なぜこのような」
「ヴォルフ、陛下が」


「ウェラー卿!…ユーリは、もう…!」


鼻先に、剣が向けられていた。

疑いようもなく、すぐ上の兄が、ウェラー卿コンラートが、自分に。


「コンラート…」
「フォンビーレフェルト卿、言ったはずだ。陛下はお休み中だと」

目の奥から溢れ出る涙を、抑えきれない。
あの時、すべて枯れたと思ったのに。


兄は、どうなってしまうのだろう。
この国は、もう滅びる。


他の何を犠牲にしてでも守りたかった人はもう、ここにはいないのだ。




王は、ユーリは、死んでいる。

兄は、壊れてしまった。





──────────────



差し込む月の光が、ユーリの顔を照らす。

冷たい手を握りしめて、声を抑えて泣いた。


すべて分かっている。
信じたくないだけだ。
だって、そうだろう。



彼が、ユーリがいないなんて。
俺をおいて、死んでしまったなんて。



眞王の声を、ウルリーケが聞けなくなったことから始まった。

ユーリは呟いた。

「俺、きっと死ぬんだ」と。

悲しむ様子もなく、なぜか仕方ないと受け入れるように微笑んで。

なぜそれが分かったのか、そしてなぜこのようなことが起こってしまったのか。
優秀な王佐でさえ、遂に真相を示すことはできなかった。

「…ああ、ユーリ、なぜ…」

涙はとまらない。
今の俺を見て、彼はなんと言うのだろう。
笑ってくれるのだろうか。
あの、笑顔で。



愛している。
何よりも、誰よりも。

会いたい、彼に。今すぐ。



もう我慢できなかった。

彼のいない世界に、やはり何の価値もなかった。

世界は色を失い、音を失い、無意味だった。



彼は怒るだろう。

そして怒鳴って、口をきいてくれなくなるかもしれない。


それでもいい。


彼にもう一度、会えるのならば。

彼のいない世界で生きていくくらいならば。


柔らかい彼の唇にキスをする。
握り返されることのない手をもう一度強く握りしめて、剣を抜いた。



「…ユーリ、今すぐ…」





これだけは知っていて。

俺はとても幸せだった。







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コンラッド、よく頑張ったね。
もういいよ、すぐに、逢える。





頭の奥で、愛しい人の優しい声を聞いた。





ユーリ、















ユーリ。


end








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