美しきノワール
くやしいの。
ベアトリスのお家では泣けなかったのに、お父さまのお城では涙が勝手におちてくる。だからいちばん奥の寝室で、枕に顔をくっつけて泣いた。
今日は学校が終わればお父さまに会える日だからいちばんに見せようと思っていたのに、試験の結果は最悪。こんな点数見たことないってくらい。
ベアトリスになぐさめられながらお家を出たけれど、なんかい馬車からとびおりようと思ったか。
おきにいりのドレスも、とかして整えた髪の毛もぐしゃぐしゃになった。
もう少しすれば、お父さまのおしごともおわるのに。
いつかわたしは、たくさんのことをしなければならない。
人間のひとたちには魔族のやさしさを、魔族のひとたちには人間のりっぱさをつたえなければならない。
そのためにはたくさん学んできちんとしたひとにならなきゃ。
なのにわたしは、なにをやっているのかな。
枕から顔をあげて鼻をすすって、はーっと息を吐く。窓のむこうはいつのまにか陽がしずんでいて、ぼーっと見ていたら、リンリン、と呼び鈴が鳴った。
「グレタ、入ってもいいー?」
お父さまだ。
「はあいっ…」
条件反射で声をあげて、思わず口をおさえてももうおそい。
ドレスをととのえて、髪飾りをつけなおして、靴をはきなおして扉に駆けた。
「お父さまっ…ユーリ?」
「うん。ヴォルフラムは夕食には間に合うよ。今、忙しいかな?…っと、」
言い終わる前に待ちきれなくて扉を開けた。
おどろいた顔がわたしをとらえて、やさしい眉がへにゃりとさがる。
わたしもやっぱり顔を見るとうれしくてたまらなくて、アニシナやグウェンに見られたらおこられそうだけど思いきりだきついてしまった。
「ユーリーっ!」
「久しぶり、グレタ!」
だきしめられて体が宙に浮く。
肩口に顔をうずめて息をすいこむと、なつかしいお父さまのにおい。
それだけですこし、なみだがでそうだった。
やさしく体をおろされて、中に入るように手をとられる。
ならんでソファに腰をおろすと、大きな手のひらがほっぺたを包んだ。
「馬車は疲れただろ?ごめんな、会いに行ってやれなくて。ああ、また髪の毛が伸びた?お腹は空いてない?何か持ってきてもらおうか」
前髪を撫でてくれる手があたたかい。
まんまるでまっくろなお父さまの目はとてもきれい。
その目のなかにはとてもうれしそうなわたしがうつってる。
わたしのことばかり心配してくれるお父さまの声は、ゆめできく声とおんなじ。
会いたかったから、涙がひとつだけ、おちた。
「ど、どうしたんだよ、グレタ…あ、い、いやだった?そりゃそうだよな、もう子どもじゃないもんな。ごめんな、グレタ」
「ちがう、ちがうの、…ごめんなさい、お父さま…」
お父さまは王さまで、こんなにもやさしくてりっぱで、賢くて美しいのに、どうしてわたしはこんなにもだめなんだろう。
「試験、だめだった…がんばったのに、だめだったの」
「試験?」
「グレタ、くやしくて、ユーリとヴォルフラムの子どもなのに、なんにもできないっ…」
くやしいの。
かんがえたくないことまでかんがえてしまう。
どんなに頭がいいねって褒められても、どんなにかわいいねって言われても、お父さまたちの役に立たないとなんにも意味がない。
わたしをしあわせにしてくれた、たくさんの人たちに、はやくはやくおんがえしをしないといけないのに。
ほっぺたをすべる手。
親指があふれてくる涙をぬぐって、こつんと額を合わせられた。ほそめられた目が間近にあって、心臓がドキドキしてしまう。
「グレタ。グレタががんばってるの、俺は知ってるよ。俺だけじゃない、ヴォルフラムもコンラッドも、グウェンもギュンターだって。時々ヒスクライフさんが手紙をくれるんだ。ヨザックも白鳩便を飛ばしてくれる。グレタを褒める言葉ばっかりだ。かわいくて、かしこくて、たいせつな俺の子ども。なんにも心配いらないよ」
「ユーリの…子ども…?」
いつか、いらないよって言われるんじゃないかって。
そんなひどいこと、ユーリとヴォルフが言うわけないのに、おちこんじゃうとすぐ夢を見る。
お父さまは顔を離して、小さな子供みたいに泣きながら首をかしげたわたしの頭を撫でた。口元の髪の毛をとかして、何度も涙をぬぐってくれる。
「そう。もう少ししたらグレタは、どちらの世界で何をして生きるのかを決めなくちゃいけない。もしかしたら、今までのことが正反対になってしまうかもしれないね、だけど、変わらないことだってたくさんある。そのひとつが、グレタは俺とヴォルフラムの娘だってこと」
「かくしご?」
「ううん。正真正銘立派な娘だ」
ふっと笑うと、お父さまもにっこり笑う。
だけどすぐ少し目を下げて、両手で私の手をにぎった。だけど、やさしく笑ってる。
「勉強も重要だよ。グレタが正しいことをしたい時に、それは時々とても必要になる。だけど、それがすべてじゃない」
異世界からきたというお父さまは、何かをその背中にせおって遠い目をする。
「そして、グレタが本当に正しいことをしている時にそれを曲げる必要があるなら、いくらだって曲げてもいいよ。…いちたすいちを、いちだって言ってもいい。俺は、グレタだけの味方になる」
その言葉の意味を、そのときのわたしはまだわからなかった。
だけどお父さまの言葉は頭と心にじん、と響いて、闇よりも深く澄んだくろは今でも思い出すことができる。
何もかもが、わたしの味方になったみたいに思えた。
「泣いてもいいんだよ、グレタ。お姫さまは、泣いちゃいけないって教わったんだろ?俺もそう、王は涙を見せちゃいけないって。だけど、俺の前ではいくらでも泣いていいんだよ。俺の、俺だけのかわいいオヒメサマ。あいしてる」
いつの間にか、くやしさもこわさも泣きたい気持ちもどこかへ行ってしまった。
だいすき、だいすき。
お父さま、だいすき。
end
←