小説 | ナノ


▽ 一人ぼっちの王子様11


 ティアの負傷から数日、一行は追手からの襲撃を受けつつも何とかやり過ごしていた。空は穏やかで幸いなことに雨は降っていない。だが、その分視界が広いので敵に見つかりやすいという欠点もあるが。
 あともう少しで城塞都市セントビナーへとたどり着く。その間にルークは変わらずの横柄さを発揮していたが、人を斬ることに対しては何も言わなくなった。戦闘になるとまだ躊躇はするものの、前よりかは迷いなく剣を振るっている。
 そのことをみな褒めたりはしないが、理解はできる。
 先ほども戦闘があったが、ルークはちゃんと前衛の仕事をしていた。ガイとの連携も上手くいっており、ようやくパーティとしての連携も出来るようになった。
 ルークはルークなりに考えているのだ。殺すということを、可能性を奪うということを。
 自分はどうだろうかとレイは思う。
 環境の差はあれどレイは人を殺すことにまったく躊躇はない。むしろ躊躇したことで味方が傷つくぐらいなら率先して敵を倒すことをいとわない。
 そんなレイからすれば、ルークは世間知らずで人に甘えて横柄でどうしようもない人物に見えるけれど、それはひがみもあることは確かだ。
 八つ当たりしないでくださいねとジェイドに言われたのを思い出してレイは顔をしかめた。わかってはいるが納得はいってない。
 手を伸ばして太陽を指先で隠す。すると雨など降っていないのに何かが指先から落ちてくるのを感じた。指先を見れば、赤く染まっている。空はいつの間にかマルクトの謁見の間に閉ざされており、落ちてきているのはぬめった赤い雫だ。
 血だとすぐに分かった。生臭くて鉄の匂いがする。嗅ぎなれた匂いだ。
 もう見たくなどないのに、映像がフラッシュバックする。
 畏怖の目で見てくる者たち。その中にはルークやティアそれにガイが混じっている。誰もがレイを恐れ、遠巻きにする。その口がどれも黒き子供とレイを呼ぶ。
『その名で呼ぶなっ!』
 叫べば悲鳴に変わる。自分たちに危害を加えるかもしれないと恐れる。ガイの口から漏れたのは死にたくないという懇願の声だった。
 不意に肩を叩かれてレイははっとする。ガイがこちらを心配そうに見ていた。
「大丈夫か? 顔色が真っ青だ」
 言われてレイは白昼夢を見ていたことに気付く。慌ててレイは取り繕った。
「少し眩んだだけだ。問題ない」
「そうか? 具合が悪いなら早めに言えよ?」
「ああ」
 手を下ろして顔を拭う。そこには血もなければ、汗さえもなかった。やはり夢だったのだ。どれだけ生々しくても夢は夢。今度からは気を付けなければならない。
 小さく誰にも気が疲れないように息を吐く。
 ――あなたはもう被害者ではなく加害者なのです。
 ジェイドに言われたあの日からレイの価値観は一変した。
 どれだけ醜悪で無知で何も考えてこなかったのかがよくわかる。言われたまま、今日まで過ごしていたらレイは機械的に人を殺す殺人鬼になっていただろう。それこそ黒い子供という悪名が轟いてしまうほどに。しかしあの頃ほど子供じゃない。
 だが、自分は変われているのであろうか。疑問は尽きない。
 ジェイドは信頼関係はあるが、友人ではないし家族でもない。相談など数えるほどしかしたことがないし、あえて厳しい言い方をしてくるのは目に見えている。
 その点ルークは不安なことがあればガイに相談できるし、叱ってくれるティアもいる。比べても仕方がないのはわかっているが、どうしても羨ましいと思うことは止められなかった。だからついキツイ言動になってしまう。
 ――私の周りにはそんな風に言ってくれる人なんていなかった。
 信頼も、愛情も、全てを吐露できる相手なんて一人もいない。
「あー。歩くのだりぃ」
 前方にいるルークは愚痴をこぼしている。それをガイが背中を叩いて笑った。
「もう少しだから我慢しろルーク。今日はベッドで眠れるぞ?」
「マジか!」
 それだけで速足になって進んでいこうとするルークをティアがたしなめる。
「ルーク! イオン様もいるのだからペースを崩さないで!」
「ああ? ったくしかたねーな。あーだりぃ」
「ルーク!」
 ティアの声にルークはひらひらと手を振った。わかったということなのだろう。ペースも元に戻った。その様子を見てレイは小さく言葉を落とした。
 ――うらやましい、と。
 
 ***
 
 セントビナーは城塞都市だ。周りを壁に囲まれていてマルクト軍の基地もある防衛戦にはもってこいの場所だ。壁の上部には大砲も設置されており、前線によくなる場所でもある。
 だが、今は城門前に神託の盾騎士団の兵が検閲を行っている。これではすぐには通れない。ルークが焦ったように言う。
「なんで神託の盾騎士団がここに……」
 その問いにガイがすぐさま答える。
「タルタロスから一番近い街はこのセントビナーだからな。休息に立ち寄ると思ったんだろ」
 ジェイドが目を細めてガイを見た。
「おや、ガイはキムラスカ人の割にマルクトに土地勘があるようですね」
「卓上旅行が趣味なんだ」
「これはこれはそうでしたか」
 この言い方はジェイドが納得していない時に言うセリフだ。何かあるのだろうか。
 だが門番を見つめ続けるティアがレイが何かを言う前に口を開いた。
「大佐、あれを……」
 視線の先には大きな馬車が検閲に入っていく。どうやらエンゲーブの人が商品を納品してきたようだ。内容もろくに調べずあっさりと門番が通したのを見てジェイドが微笑む。どうやらもう一台来るようだ。
「なるほど、これは使えますね」
 ガイも意図を察してにやりと笑う。
「もう一台を待ち伏せて乗せて貰うんだな」
 イオンが頷く。
「エンゲーブへの道を少しさかのぼってみましょう」
「そうですね、行きましょう」
 ティアの言葉を皮切りに一行が動き出す。だが、ルークだけ意図がわからなかったのだろう。一人だけ置いて行かれる。
「俺を置いて話を進めるな!」
 するとティアがルークの元へ戻りルークを睥睨した。
「……子供ね」
 ルークは一瞬顔を赤くしたが、怒鳴りはしなかった。
 それを見ていたレイは思わず苛立ったが、あえて何も言うことはなかった。
 
 ***
 
 エンゲーブへの道を少しさかのぼると一台の馬車が見えてきた。
 ルークが身を挺して馬車を止めさせる。
 馬がいななき立ち止まるとみんなが運転席へと近づいた。
 運転していたのはエンゲーブの世話役であるローズ夫人だった。
「カーティス大佐、レイ様も! それに確かルークだったかい、旅の人」
 こんな所で会うとは思わなかったのだろう。とても驚いている。
 ルークは申し訳なさそうにローズ夫人に言う。
「おばさん。わりぃけど馬車に匿ってくれねぇか?」
 意図がわからないとローズ夫人が視線を漂わせるとガイが優しく言い募る。
「セントビナーへ入りたいのですが導師イオンを狙う不逞の輩が街の入り口を見張っているのです。――ご協力いただけませんか?」
 察したらしいローズ夫人が可笑しそうに笑う。
「おやおや、こんなことが起きるとは生誕祭の預言にも詠まれなかったけどねぇ」
「お願いします」
 ティアが割って入ってきたところをガイが慌てて飛びのく。
 その状態を遠目で見ていたレイも馬車へと近づき一礼する。
「申し訳ありませんローズ夫人。どうかお願いします」
「レイ様まで! いいさ、泥棒騒ぎで迷惑をかけたからね。お乗りよ」
 ジェイドが端的に礼を述べた。
「助かります」

 ***
 
 馬車の中には果物や野菜がどっさりと乗っており、それらを丁寧に避けながら一行は身を潜めた。再びセントビナーへと近づく。
 馬車が止まり、ローズ夫人が快活に声を上げた。
「エンゲーブの者です。先に馬車が着いていると思いますが……」
「話は聞いている。入れ」
 すると今回もろくに中を調べず門番は馬車を通した。
「ありがとうございます」
 どうやら何も疑われることなく入れたようだ。緊張していた一行の雰囲気が一気に和らぐ。街の中心地まで馬車で移動するとローズ夫人は馬の足を止めた。すぐに一行は馬車を降りる。するとローズ夫人はにっこりと笑って言った。
「じゃあ、私たちはここで」
 イオンが深々と礼をする。続いてティアも。
「お世話になりました」
「ありがとうございます」
「気にしないでくださいよ。それよりお気をつけて」
 レイはローズ夫人に歩み寄って手を握る。
「あなたに幸せが訪れることを祈っています。ありがとうございました」
 するとローズ夫人が少し頬を赤くした。そして固く握りしめる。
「ええ、あなたにもですよ。レイ様」
「ありがとう」
 そうしてローズ夫人と別れて一行は歩き始める。
 周りを見ながらルークが言う。
「で、アニスはここにいるんだな」
 ジェイドが頷く。
「マルクト軍の基地で落ち合う予定です。……生きていればね」
 その言いようにルークが一気に顔をしかめる。
「イヤなことを言う奴だな」
「いやーすみません、嘘が吐けない性質でして」
 レイも同じく顔をしかめる。話が止まったところをティアが促した。
「神託の盾に見つからないよう派手な行動は慎んで」
 主に視線を浴びたのはルークだ。ルークはうざったそうに睥睨した。
「わかってるよ、いちいちうるせーなぁ」
 その様子にガイがにやにやと笑う。
「なんだ? 尻にしかれてるな、ルーク。ナタリア姫が妬くぞ」
 茶化されて一気に無表情になったティアがガイの腕に抱きつく、ガイはみっともなく悲鳴を上げた。
「くだらないことを言うのは止めて」
「わ、わかったから俺に触るなぁっ!」
 ディアがゆっくりと離れると、ガイは崩れ落ちて震えている。その様子を見てレイは嘆息した。イオンが穏やかに言う。
「この旅でガイの女性恐怖症も克服できるかもしれませんね」
 すると呆れているレイをにジェイドが近づいてきて耳元で囁く。
「そうなったらあなたは寂しいでしょう?」
 一瞬で朱が全身を駆け巡り、レイは真っ赤な顔でジェイドを睨んだ。
「そんな風に私のことを何でも分かるような言い方は止めろ!」
 ジェイドが笑みを深くして何も答えなかった。レイは暑くなった体を手で仰ぐ。その様子を見ていたのはイオンだけだった。

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