小説 | ナノ


▽ 操り人形は誰か9


 船に残った遺体を片付けた憲兵はあっという間に引き上げていった。レイは駐屯地の遺体を早々に処分するように命令する。禍根を残しては面倒だからだ。
 そしてレイとガイは宿屋へ戻った。今度は同じ部屋じゃなく別の隣の部屋で。ちょうど空きができたようでガイは申し訳なさそうにレイにお礼を言った。
「いやー、すまないな。世話になっちまって」
 レイは首を振る。
「問題ない。こちらとしてもお前が居てくれて助かったからな。感謝する」
「持ちつ持たれつだよ。こんなもんは。じゃあ、また明日」
 そういってガイは隣の部屋のドアノブに手をかける。
「ああ、そういえば――」
「なんだ?」
 ガイはニヤリと笑ってレイに言う。
「やっぱりお前はただもんじゃなかったな。だろ? レイ王子?」
 レイは目を見開いた。だが、すぐに身元は分かってしまうだろうと思っていた。軍に潜伏していたスパイはガイの目の前で『大尉』と呼んでしまうし、戦闘能力に関しては言わずもがな全力でひけらかしている。レイは渋い顔をした。
「変装も意味がなかったな」
 摘まみ上げた服は女性ものこれで大半は騙せただろうが、共に行動していたガイには意味がない。ガイは笑う。
「お前、わかりやすすぎるんだよ。それにさ――」
「なんだ?」
「お前ってどうやら自分のことが嫌いみたいだけど、俺は好きだね」
 レイは首を傾げる。
「なぜだ?」
「確かに王族らしい横柄さはあるけど、ちゃんと人に感謝を出来るじゃないか。俺はお前のこと好きだぜ」
 まっすぐにいわれた言葉はレイの心に届いた。じんわりと心から全身が温かくなっていく。レイは微笑んだ。
「ありがとう」
 すると、驚いたような顔をして、ガイは照れたように頭をかいた。
「なんだよ、そんな顔もできるんじゃないか……」
「どうした?」
「なんでもない。おやすみレイ」
 そうしてガイは部屋の中へ入っていった。
「お休みガイ」
 レイは少し心が軽くなるのを感じた。人に好きだと言われたのはこれで二人目だ。それが嬉しくて、けれど、悲しくなってレイはベッドに横たわる。
 どうやら本当に疲れていたようで数秒で眠りに入った。
 
 ***
 
 あの日は寒い日だった。凍えるように寒くて、でも逃げ出したくて、雪の降る夜を走っていた。漏れる吐息が真っ白だ。それでも私は走っていた。
 街明かりはあれど、見えるのは自分の帰りを待っていない家々の暖かな光。自分にはない温かさがあった。
 ――寂しい。
 かじかんだ手をこすって息を吐く。私には手を温めてくれるような家族はいないし、連れ戻そうとしてくるのは鬼の形相をした兵たちだけだ。
 けれど、私は会いたかった。唯一の家族だと思える人に。だから私はその人の居場所がわからないのに雪の街を走り回った。一人では寒くて、悲しくて、怖かったから。
 その人に縋るように生きていた。
 その人の為に自分は在るのだと言われていたから。
 けれど、何度も会わせてくれといっても聞き入れてはくれなかった。そういう時、王はこう言った。
 ――お前はただ殺すことだけを考えていればいいと。
 私は雪に足を取られて転んだ。すぐに闇が迫ってくる。
 私はぞっとした。まるで暗闇から王が追いかけて来るのではないかと思ったからだ。闇は私の心を侵食していく。何も感じない人形にしていく。手が、顔が、全てが真っ赤に染まったとしても誰も私のことを心配しない。
 もう一歩も動けない。凍るように冷たい体は指すら動いてはくれない。
 涙がぽたりと落ちた。涙が落ちた場所は雪が小さく溶けて、まだ生きているのだと思わせた。それに笑いが出てくる。小さく諦めた声が。
 誰もいないのだ。自分を大切に思ってくれる人なんて。
 すると一瞬大きなものが近くでどさりと落ちる音がした。
「なんだ? ガキが倒れてやがる。仕方ねぇな」
 男は私を持ち上げて抱えた。
 私はこの男は人さらいなのかもしれないと思って絶望した。けれど、どこかに売り飛ばされるならそれでもいい気がした。あの場所ではないどこかに行けたらどこでもいい。
 けれど、男が入ったのは温かな家だった。だが、玄関からではなく木をつたった二階の部屋からだったが。
「ここで待ってろ」
 何も言わずにいると、男は苦笑いして部屋を去っていく。
 暖炉の火がたかれて、時折ぱちりと木が爆ぜる。私はこの展開を予想してなかったので驚いた。身体が温まるくらい部屋でじっとしていると男が戻ってきた。
 するとようやく相手の顔が見えてくる。
 褐色の肌に青い瞳、綺麗な金髪。男は小さなカップにスープを入れてレイに差し出した。
 どうやら飲めということらしい。私が口をつけるのをためらうと男は笑った。
「毒なんか入ってないぞ? ほら?」
 少し男はスープを口に含んで飲む。そして私に差し出した。私は恐る恐るコップを手に取り口に含んだ。
 ――温かい。
 温かくてなんて優しい味だろう。今までこんな美味しいと思ったものを食べたことがない。
 すると、男の手が伸びて私の目尻を拭う。
「泣くほど美味かったか。そうかそうか! 流石俺だな!」
 そう言って男は笑う。
 私は涙を流していたとは思っていなくて慌てて拭う。
 この男が作ったのか。とても料理なんてしなさそうな男に見えたが、意外だ。男は笑って頭をくしゃりとなでた。
「しばらくここでゆっくりとするといい。なんせ、俺は暇だからな。話相手をしてくれ」
 私は驚いた。こんなふうに私に接してきた大人はいない。こんなふうに人に必要とされたことがない。それだけでぎゅっと心が締め付けられて痛い。痛くて、でも嬉しくて私はまた泣いた。
 泣き虫だな、なんて笑われながら私たちは秘密の夜を過ごしたのだ。

 ***
 
「兄上……」
 つぶやいて意識が覚醒する。
 目が覚めるとレイは泣いていた。気付かないうちに目尻らへんに涙の痕があった。そしてむくりと起き上がる。
 懐かしい夢を見た。
 温かくて、大切な夢。その夢は大抵この先を見せはしない。
 ――なんて都合が良くて、救われないんだ。
 思わず自嘲する。
 だが、余韻に浸るくらいはいいだろう。もうそんなことは起こりえないのだから。
 自嘲しているとノックされる。レイは立ち上がってドアノブをひねった。
 するとマルクトの兵士であろう男が敬礼をしている。
「レイ大尉の服をお持ちしました」
「すまないな」
 丁寧にたたまれた軍服をもらう。
「いえ、それと、例の人探しですが――」
 男の報告に耳を傾け、レイは頷く。話の内容を聞くと、どうやらガイにもちゃんとした礼ができそうだ。
「報告感謝する。戻れ」
 男は再び敬礼して去っていく。
 すぐに着替えてガイに報告しなければならない。その前に服を着替えなければと黒い軍服を広げた。
 黒い軍服はレイにとって鎧と一緒だ。この服を着れば、人を殺したとしても仕方ないと思えるし、いつ死んだとしても構わないと思っている。それが陛下の為ならばなおさらだ。
 袖を通すとちゃんと洗濯してくれたのか太陽の匂いがした。心遣いが嬉しい。
 全部を着終わると姿見で恰好を確認する。いつも通りで少し安心する。この数日女物のひらひらした服を着ていたので余計に落ち着く。
 ふうと息を吐くとドアがノックされた。兵が報告を忘れたのだろうかと何も言わずドアを開ける。すると立っていたのはガイだった。
「お、良かった起きてたんだな」
「……さっき兵が報告に来たからな」
「じゃあ、ケセドニアを離れるのか?」 
「ああ、そのつもりだ」
「そうか、寂しくなるな」
 ガイは残って人探しをするつもりなのだろう。
 レイはニヤリと笑う。
「ところでお前の探し人の当てが見つかったぞ?」
 ガイは目を丸くする。
「どこだ?」
「乗合馬車の運転手がエンゲーブらへんでそういう人たちを降ろしたと言ったらしい」
 ガイは目を丸くする。
「じゃあ、俺はエンゲーブだな。いや、さすが王子様だ」
 ガイの言葉にレイは顔をしかめた。
「肩書き上そうだがあまり王子と呼ばないでくれ。私には敵が多いんだ」
「すまない、つい嬉しくってね。気を付けるよ」
 レイは嬉しそうにしているガイにほっとする。そしてレイも同じように笑った。
「実は私もエンゲーブに用がある。今なら高速軍用艦で送ってやれるぞ?」
 すると、ガイは目を輝かせた。そして顔をぐいぐいと近寄らせる。
「それってマルクトのタルタロスみたいなものか!?」
 あまりの押しレイは戸惑いながら頷く。
「あ、ああ、その通りだ」
「音機関だ、やっほー!」
 あまりのテンションの上がりっぷりにレイはたじろぐ。その様子にガイも気づいたらしく苦笑いする。
「あ、すまない。俺、譜業とか音機関が好きなんだ」
「……まぁ、エンゲーブまでよろしく頼む」
 レイはガイに手を差し出す。するとガイは笑って手を握り返した。
「ああ、よろしく頼むぜ黒衣のレイ」
 レイが眉をひそめるが、ガイは微笑んだ。
「お前は女物じゃなくてそっちのきりっとした軍服のほうが似合うな。しっくりくる」
 レイは薄く笑った。
「ああ、私もだ」
 そして、二人は笑いあって宿を出た。目指すはエンゲーブだ。


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