小説 | ナノ


▼ それは淡く胸に堕ちた



ザッ、生い茂る枝の上から、面を付けた女が隣に舞い降りた。

「もう西の任務は終えたのか」
「はい、終わった途端に鎹烏から呼ばれて急いで来ましたよ」
「そうか…」
「しかし、任務は向こうの山の警備ではなかったでしょうか」

そう首を傾げる彼女が言うように、峠を越えた山の警備に向かう筈だったのだが、どうやら今、鬼に遭遇してしまったらしい。姿は見えないが近づく気配は明らかに鬼。警備先で合流する筈だった彼女も前の任務が終わって次の任務先に向かう道中にここに出くわしたのか、それとも鬼の気配を感じてここに来たのか。
何れにせよ、状況を察したのかそれ以上は聞いてこず、紅と白の猫面がこちらを覗くように見ていた。

「こうして同じ任務に就くのはいったい、いつぶりでしょうか。何だか少し浮足立ってしまいます、師範」

この場には似つかわしくない声音に溜息を一つ吐き、その猫面を見据える。横に付いた小さな鈴がチリンと軽やかな音を鳴らした。

「…前を見ろ。鬼が近づいてる」
「せっかく同じ任務なのに。全くツレない人だこと」

そう言って彼女は笑って刀を構えた。正確にはその面のせいで笑っているかどうかは分からないが、その声はきっと笑っているのだろう。

「すみませんね…つい。嬉しいのですよ、久しぶりに師範とこうして肩を並べられるのが」
「普段から稽古をつけているだろう」

継子である彼女には、自分が刀を振るう姿など珍しいものでも何でもない筈なのに。そう思っていると「実戦と稽古では違います」と言われてしまった。一体、何が違うというのだろう。

「師範、気配から鬼は7体とみました。どちらが多くの鬼を斬れるでしょうか」
「俺はただ目の前にいる鬼を斬るまでだ」
「ふふ、そうですね」

そう、数など関係なくただ目の前に鬼がいれば斬るのみ。近づく鬼の気配に、自らも刀を構えて一歩下がると背中同士が当たり、後ろの気配がスッと息を潜めるように冷たく研ぎ澄まされたものへと変わった。

(…相変わらずの集中力だな)

背中に感じる気は確かに彼女のものだが、冷たく尖った殺気を含むそれは、今まで喋っていた人間と同一人物のものとは思えない程の殺気で。久方ぶりに感じる狂気染みた殺気に背筋がぞくりと疼いた。
鬼の数は7体。こちらに向かってくる気配を隠せていないことから、十二鬼月ではないだろう。血鬼術を使うような特異体質の鬼でなければ時間もかからない筈。
態勢を低くして気配のする方へ向き直ると、茂みの中から鬼がこちらに向かって飛びかかってきた。


「まぁ師範、鬼には人気者ですこと」
「………無駄口叩かず前を見ろ」

こちらには4体、彼女には3体。鬼には、という言葉を強調した彼女を横目で見やるが、やはりその表情は伺えず。しかし、その面の下でほくそ笑む彼女を安易に想像でき、眉間に皺が寄った。
チリン、再び鈴の音が聞こえた時、



ーーーー水の呼吸 壱ノ型、水面斬り



先に動いたのは彼女だった。鬼の叫声が響き渡り血が残虐的に飛び散る中、彼女の刃が波を描くように流れると同時に。ふわりと頸が滑るように地に落ちた。
刀を振るう動きは一切無駄な動きがなく滑らかで、靡く艶のある髪から覗く耳は貝殻のように美しく、その肌は漆黒の髪に映える陶器のようで。衝撃で僅かにズレた面の下から覗く血色のいい唇は確かに女のそれだった。
思わず目を奪われたのも束の間、剣を振るう反対の腕に違和感を覚えた。

「師範、余所見は禁物では」
「……ああ」

言われて自らも剣を振るい、目の前の首を凪いだ。
いったい、その桐子で開けたような小さな双穴から何故斜め後ろにいる自分の様子が分かるのか。一振るい、4体の鬼の頸は簡単に地面に落ちた。



「師範の型、久しぶりに見れました。やはり、実戦を見れるのはいいものですね」
「そうか…」
「師範、今日の任務が終わったら稽古をつけてください。身体が動き足りないです」
「稽古…」

入隊当初から同期の隊士より実力が抜きん出ていた彼女、ななしが御館様の命で継子となってから約六月。
普段の軽い口調や戯けた様子から、継子となった当初は本当に大丈夫なのかと思っていたが、元々の才と並々ならぬ努力でいつの間にかその実力は柱に匹敵するまでのものとなった。自分が柱を引退すれば、そのままななしが柱になるだろう。それに対して口を挟むものはきっと、一人としていない。それくらいの実力がななしにはあった。

ただ、彼女の欠点を一つあげるとしたらーーー


「おい、」

刀を納めるその腕を掴むと、怪訝そうな声が返ってきた。

「腕」
「…腕、が何ですか。言葉が足りなさすぎて分かりません」

自分が一番分かっているくせに、そう少し苛立ちながら握る腕に力を込めると身体が強張った。

(やはり…)

先の戦い方で感じた違和感は当たっていたようだ。制するように出た反対の手に構わず、握る腕の隊服を捲り上げると、皺になった部分からポタリと血が滴った。

「いつだ」
「…っ、ここに来る前の先の鬼との戦いでやりました」

すみません、きっと怪我してしまい未熟だったという意味で謝ったのだろうが、そうじゃない。

「呼吸をもう少し集中させろ。止血が甘い」
「はは、師範には何でも分かってしまいますね。大丈夫です、これくらい…」
「ダメだ。出血の量が多すぎる」
「何言ってるんですか師範、これくらい…」
「集中させろッ!!」

言葉を遮って、双穴から僅かに覗く瞳に射るような視線を向ける。
ななしの欠点をあげるとしたら、それは自分の身を返り見ないとこだろう。今だってそうだ。隊服の下には深く抉れたような傷があり、そこからはじわじわと血液が滲み出ている。動脈も傷つけているようで、止血も不十分だとこのままでは命の危険すらある。止血する術は十分に教えてきた筈で、彼女も理解している筈。なのに、殆ど止血されていないその傷口に眉間の皺が深くなった。

「自分の身も守れぬような戦い方を教えた覚えはない」

ヒュッと息をのむ音がした。それから面の下で数回深呼吸を繰り返すと、滲み出る血液が少しずつ抑えられていく。
何があろうと生きて帰れ、そう散々教えてきていた。なのにななしには一向にその言葉の意味が伝わらないらしい。
先日も同じようなことがあった。折れた刀のまま増援も依頼せず戦った挙句、重傷を負って帰って来たり、仲間を庇い一生残るのではないかと思うほどの傷を作って帰って来たり。これほどの実力があるにも関わらず、あり得ない怪我を負って帰ってくるのだ。兎に角この猫面の女は自分の命をそれほどに重要と思っていないようだった。
自分とて、柱である限り何かあれば仲間の命を救うことを優先するだろう。仲間を守るため、自分の意志を守るため。それでも守るため、生きるために戦う。託された想いを繋ぐためにも。
なのに、彼女はまるで違う。自分の命を無下にするような、その行為に腹わたが煮えくり返るような気分だった。
どうすれば、もっと自分を大切にしてくれるのか。

はあ、と二度目になる溜息を吐き、その身体を担いだ。

「な、何するんですか!?」
「帰る」
「いや、そうじゃなくて…!警備はどうするんですか!?」
「だから帰ると言っている」
「会話になっていません!師範!下ろしてください!!」
「歩いて帰ればまた傷が開くかもしれない」
「いや、これくらいでは開きません!ちゃんと止血しましたから!下ろしてください!というか任務は?!」
「他の隊士に行かせる」

俵のように担がれ、恥ずかしいことこの上ないとバンバンと叩かれる背中が痛かったが、気にせず歩みを進める。

「はあ…師範。あなたって人は、もう少しお手柔らかにお願いします」
「止血を怠ったお前が悪い」
「だからってこんな抱え方やめてください。仮にも嫁入り前の女なのですからね!?」
「うるさい」
「う、うるさい!?だいたい師範がこんなことするから…!」
「俺は悪くない」
「ええ!?」

止血を怠った、命を大事にしないお前が悪い。
それ以上は口に出さず、チリン、チリン、と軽やかな音と、自分より少し高い体温を背に感じながら帰路に着いた。



大丈夫だと騒ぐ彼女を半ば無理矢理蝶屋敷に押し込み、胡蝶へと受け渡した。

「まあ、これはこれは。深い傷ですねえ。きちんと止血はされたのですか?」
「はい、止血しました」
「では、どうしてまだ血が出ているのでしょうか。止血とは早急にしなければ不十分となるものです。かなり時間が経ってから止血をしたように見えます。そうですか、あなたは死にたいのですか」
「ええと…」
「冨岡さん、あなたは継子にどういった指導をなされているのですか?これではまるで死に急いでいるように思えてしまいます」
「俺はちゃんと教えている」
「どういった指導をなさっているのですか、という質問に『俺は教えている』というのは答えになっていませんよ。二人とも、バカなのですか?」

ぴきり、胡蝶のこめかみに青筋が立ち、隣の面の下からヒエっと何とも情けない声がした。
そんな彼女に胡蝶は額を抑えながらハァっと長い溜息を漏らし、呆れたように口を開いた。

「他にも怪我はしていないか全身を確認させてもらいます」
「いや、しのぶ様。怪我はこの腕のものだけです」

退室しようと立ち上がったななしの腕を胡蝶が逃がさんとばかりに掴み、

「確認、させてもらってもよろしいでしょうか」

有無を言わさないその気迫にななしには、ただただ
頷くという選択肢しか残されていなかった。




「終わったらまた迎えに来る」

診察があるからと追い出されて、ひやりと冷たく固い感触を踏みしめながら廊下を歩く。
屋敷には隠の者やここで働く者たちがいる筈だが、長い廊下は静まり返っていた。それ程に今日は落ち着いているのだろうか。
廊下の横には大きな雨戸があり、そこから見える庭では、ここで働いてる女子たちが手負いの隊士に使ったであろうシーツや病衣を忙しなく干している姿をよく見るが、今はいつの間にか大きな雫たちが音を奏でるように窓を打ち付けていて、そこには誰もいなかった。

パラパラ、トントン、不規則に鳴る音は、ななしが動く度に鳴る鈴の音を思い出させた。



ーーーこれでは死に急いでいるようなものです。



胡蝶の言葉が頭の中に浮かぶ。
剣士とは、皆何かしらの志を胸に剣を振るう。親や大切な人を鬼に殺された者も多く、その仇打ちや託された想いを胸に。自分もそうであるように。しかし、ななしが何のために剣を振るうのかは知らない。聞いたこともなければ、聞いたところでななしが教えてくれるとも思わない。
それだけじゃない、俺はななしのことを殆ど知らないのだ。あの面の下の顔も瞳も、何もかも。師範と継子。誰よりも一番近くにいる筈なのに、本当の彼女は手の届かないところにいて、いつでも消えてなくなってしまいそうで。
恐れはしないのだろうか、命を、死を。

そこまで考えてかぶりを振った。

(俺はなにを…)

ただの師範と継子という関係。それ以上でもそれ以下でもない。ななしがどう考え、どう生きようが、自分には関係ない。
ただ、

(いなくなってくれるな…)

その気持ちだけは、明確だった。



それから数日後のことだった。
単独任務でななしが鬼の奇襲に合い、危篤の状態であると知らされたのは。











暗闇にぼんやりと浮かぶのは花…
彼岸花だろうか。赤く燃えるようなその花の向こうに見えるのは、


ーーーーーー 、

「母、上……」

肌艶がよく、穏やかな笑みを浮かべるのは、ああ、ああ、間違いない。あの母上だ。最期に見た悲しく冷たい姿ではない、あの優しく温かい母上だ。
そして、その顔は。今でも見覚えがあった。

幼い頃から父より母に似ていると言われていた。母のことが大好きだった私は、いつか母のように美しく嫋やかな女性になれるのだと、純粋に嬉しかった。大好きな母と似ているこの顔が大好きだった。

「母上、母上はどうしていつもにこにこと笑っていられるのですか」
「ふふ、幸せだからですよ」
「幸せ?」
「ええ、あなたにもいつかわかる日が来ます。あなたは私によく似ている。きっとお父さまのように素敵な伴侶をもらってあなたのように可愛いらしい子に恵まれ、幸せに生きるのですよ。私のように」

大好きだった。温かく包み込むその優しさが。あの笑顔が。なのに。

ーーーーーあなたは逃げなさい。早く、もう私は一緒には行けないの。ごめんね、強く、生きなさい。あなただけは。


血に濡れた母の顔、振り返ることなく泣きながら走った。この顔を見るたびに思い出す。
憎いのは鬼でもなく、為す術なく逃げた弱い自分。
もちろん母を殺した鬼に憎しみはある。だから鬼殺隊に入隊しこうして日々鬼を斬っている。だけど、それだけ。それ以上何もない。
私にはーーー


途端、誰かに強く引っ張られる感覚に陥って視界が反転した。




ぼんやりと視界に映るのは、白い天井だった。
右手に感じる違和感に視線をやると、そこには目を見開く我が師範がいた。右手を握る手に力が入った。
酷く疲れた顔をしていた。どうしたものかと口を開こうとしたが、その前に抱きしめられた。

「師範…、」

ああ、自分はあの戦いで、そう、鬼に斬られて、そう。思い出した。増援を鎹鴉に託したけども、間に合わなくて。そう、意識を飛ばしたんだ。ここは、蝶屋敷で、運ばれたのだと分かった。
あれからどれくらいの時間が経ったのだろうか、数時間、それとも数週間、数ヶ月…

そこまで考えて、あることに気が付いた。


「面……ッ!!」


いつもより広い視界に、頬に触れる師範の髪の感触、伝わる温もりに血の気が引いた。
見ると割れた面が消灯台の上に置かれていた。手を伸ばそうとするが、抱きしめられているせいで叶わなくて。一向に緩まない腕の力に伸ばした手が力なくぽふんと音を立てて布団の上に落ちた。

「必要ない」

肩口に顔を埋めて言うものだから、くすぐったくて少し身を捩ると、更に抱きしめる腕に力が篭った。
人前に晒すのはあの日以来、御舘様以外初めてだった。自分のこの顔を見るたび、母を思い出して、助けられなかった弱い自分に憎しみが湧いて。ずっと見ないように、誰にも見られないように生きてきたのに。私の存在なんて必要ないから、誰にも私を知られたくなかったから。
それなのに面を外した今、案外正常でいられるものなんだなと、目の前でぴょこぴょこ跳ねる毛先を眺めながらそんなことを考えていると、師範が独り言のようにぽつりと呟いた。

「何故、死に急ぐような真似をする」
「…師範」
「何故…、自分の命を無下に扱う」
「師範、私は自分の命をさほど大切とは思っていません。私には、生きる価値というものが分からないのです」

逃げて、自分だけが助かって。
生きて欲しかった人を見殺しにして。
唯一、私を愛してくれた母上はもういない。
そんな私に生きる意味などどこにあるというのか。何故、そんなこと愚問だと思っていた。
なのに、

「ここに、ある」

本当にこの人は言葉足らずで他人に関心がないように見せておいて

「師範、意味がわかりません」

いつも「必ず帰ってこい」と口酸っぱく言い聞かせて

「生きる価値というものがあるとすれば、ここにあると言っている」

そうやって痛んで細くなって切れそうな糸を簡単に繋いでしまうのだから。本当に狡い。

「意味が、分かりません。私にはもう守るものも何もないのです。生きる意味など…」
「ならば、なぜ泣く」
「泣いてなどいません。なぜそう思うのです?」

未だ肩口に顔を埋める師範からは見えない筈なのに。そっと優しく髪を撫でられる。ああ、師範の、彼の手とはこんなにも優しく温かく大きなものだっただろうか。

「お前がどういう顔をしているかなど、この目で見なくとも分かる」

これ以上ないほど力いっぱいに抱きしめられて、一筋の涙が頬を濡らした。

こつん、身体を少しだけ離した師範が、覆いかぶさるように額と額を合わせた。
間近で見るその瞳は穏やかな水面のようで、その美しさに思わず目を奪われる。
頬を濡らした一雫を拭う指は見た目よりもずっとごつごつしていて、カサついていて。


「俺のために生きろ」


絞り出すような低く掠れた声は苦しいほどに甘い声だった。







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