小説 | ナノ


▼ 掴んだ尻尾は離すな




隊服から覗く華奢な手首、すらりと伸びた指先は傷一つなく、肌は陶器のように白く滑らかで。視界に入るものだけでも俗に言う、『美人』のそれともとれることに、俺は深い深いため息を吐いた。
密やかに鬼の脅威が迫るこの国で、鎹烏から飛ばされた令に従い、俺たちはその忌まわしき頸に刃を振るう。自らの命も返り見ず、只ひたすらその頸に、己の信念を胸に刃を突き付ける。それこそが俺たち鬼殺隊として、全うすべき責務だ。男なら、男らしく己に科せられた責務を全うせよ。そう如何なる時も、己を鼓舞してきたというのに――


「へぇ?それでこーんな姿になっちゃったんだぁ?」

一体どうしてこんなことに。そんな頭の中にぐるぐると回る自問自答はきっと一生答えが出ることはないだろう。昨夜も鎹烏からの伝達に従い任務に赴き、鬼を数体討伐した。そこまではいつも通り。空も白み始めそろそろ帰路につこう、そう思った時だった。突如襲った全身を喰む熱と痺れるような痛み。「ああ、血鬼術か…」そう冷静に考えられたのは、鬼は全て討伐していたからだ。血鬼術の中には殺した後に発動するものもあるが、何にせよ時間の経過と共に術は解かれる。そう冷静に、捉えていたはずなのに…

「………」

今俺は、目の前でこれでもかという程破顔した表情を見せる女に、冷静さを置き去りに汗ばんだ拳を握り締めている。それもその筈、全身に走った熱が暫くして落ち着いたと思ったら、俺の身体は女のソレになっていたからだ。いくら時間が解決するといっても、この状況に冷静でいろという方が難しい。白く華奢な身体に、不釣り合いな胸の膨らみ。歩くたびに上下に揺れるそれが、自分のものだなんて己の姿は見えずとも、想像しただけで嘔気に襲われそうになる。出来ることなら誰にもこんな姿は見られたくない。絶対に。笑いの的にさっるのがオチ。そう、出来ることなら、特に彼女には―――

「あーんかわいい!睫毛も長いし肌も綺麗だし…ちょっと女として20年生きてる私より綺麗なんじゃない?」 
「……」
「おっぱいも大きいし、いいなー」
「……俺に構うな」
「あ、俺じゃなくて『私』でしょ?ね、錆ちゃん」
「……誰が、錆ちゃんだ」

『出来ることなら』、そんな願いも虚しく、帰路の途中で出会したのが一番会いたくなかった彼女だなんて。目の前の彼女の表情といえば、面白いものを見つけたと言わんばかりの悪戯心に満ち溢れたもので、これが男であれば鉄拳のひとつでも食らわせるというのに。目の前の女が恋人とは、何と皮肉な話か。

「ね、こっち見てよ」
「断る」
「えー?そんなこと言っていいの?錆兎…、女の子になっちゃったって皆に言っちゃおうかな〜?そういえば、竈門くんたちが近くの藤の家にいるみたいだしー…」
「なっ!馬鹿!ふざけたことはやめろッ!!」
「あ、こっち見た。かわいいー!!」
「………」

女の姿になった俺に―否、完全に弱みを握られ、彼女に盾突く術など持ち合わせていない今の俺に、男としての威厳など微塵もないだろう。なんて情けない。どうしてこんな姿を恋人の前に晒さなければいけないんだ…そう項垂れていると、目の前に影が落ちた。顔を上げると、そこには不敵な笑みを浮かべた彼女がいて、しなやかな指が頬を滑った。

「錆兎、女の子の身体は、どう?」
「どうって、別に…」
「一時とはいえ、せっかく女の子の身体になったんだもの。堪能しないと、勿体ないわよねぇ?」
「おい、何を…」
「心配しないで。たくさん教えて上げるから」
「いや、何を…っ。ふざけるのも大概に…ッ」
 
まずい、そう思った時には視界は反転し、目の前には笑みを深めた彼女と天井が見えて、その綺麗な弧を描いた唇がゆっくりと声を震わせた。

「優しくしてあげる」
「ちょっ、やめ…ッ!うわああああああ!」

その夜、断末魔のような女の悲鳴が水柱邸から聞こえてきたという噂は、今でも語り継がれている。





「どうしたんだ、錆兎。体調が優れないようだが…」
「いや、何でもない…」

心配そうにこちらを伺う義勇にそう伝えるが、義勇の言う通り体調は優れない。体調どころか気分的にも最悪だ。あの後、散々彼女にあそばれ力尽きた俺はいつの間にか眠りについていたようで、起きたら元の身体へと戻っていた。彼女はというと既に姿がなく、俺が眠っている間に任務に出掛けてしまったようだった。一先ず、元の身体に戻れたことはいいことだが、とはいえ、不安が拭えたわけではない。その原因は言わずもがな――

「あ、錆兎!義勇!」
「……ッ!!」
「ああ、久しいな。ん…?錆兎?どうした」
「いや…」

体調が優れないのも、不安が拭えないのも全て、原因はこの目の前の彼女だから。恋人にこうして会えることは嬉しいのだが、今は違う。弱味を握られている俺にとって、恋人であろうが何だろうが、今の彼女は俺にとって捕食者であり、俺はさながらその獲物。ここに長居するのは危険、そう本能が察知し、俺は踵を返した。

「すまない。急用を思い出し…」
「あーあ、お腹空いたなぁ」
「…ッ!?」
「なんだ。まだ昼飯をとっていないのか?」
「うん。次の任務の調査で朝から駆り出されててさ。二人とも一緒にどう?」
「そうだったのか。俺たちは今食べてきたばかりだ。すまない」
「お、俺も次の任務が…」
「錆兎、空いてるよね?一緒にご飯、どう?」

被せるように、食い気味に重なった声に顔を上げると、そこには昨日と同じ表情をした彼女がそこにいて、逆らったらどうなるか分かっているのか、そんな顔に俺は小さく頷くしかなかった。

「あー錆兎、もう歩くの疲れたおんぶして?」
「錆兎ー。あそこの餡蜜食べたいなぁ。買ってきて?」
「錆兎、今度の任務ちょっと大変みたいなんだぁ。変わってくれる?」
「ねー錆兎ー」「あ、錆兎ー」

恋人とは、一体。あの日を境に、彼女は事あるごとに俺の前に現れ、頼み事をしてくるようになり、そしてその内容は日を追う毎に過度なものになってきた。そんな関係は周りの隊士から見ても異様だったようで、最近では「水柱さんも女の尻にひかれるんだな」などという耳を疑いたくなる言葉まで入ってくるようになった。このままでは柱としての威厳もなくなり、今まで貫いてきた男としての自尊心すら揺らぎ危ぶまれている。そんなことは阻止しなければならない。

「ねぇ錆兎、これなんだけど…」
「あぁ、次は何をすればいい」
「ひゃっ、びっくりした…!急に後ろに立たないでよ!」
「気配を察知できないとは、鍛錬を怠っているようだな」
「う…、そんなことは…」
「それに最近少々甘味類を食べすぎなんじゃないか?随分と触り心地がよくなったようだが…」
「なっ、どこ触って…!」
 
まるであの時のように、驚いた彼女の目には天井と、そして不適な笑みを浮かべた俺が映っているのだろう。形勢逆転とはまさにこのこと。ほんのりふくよかになった腰に指を滑らせれば、その身体がビクっと大きく跳ねて、俺は笑みを深めた。実にいい眺めだ。

「心配することはない。女の身体のことは、お前によく教えてもらった」
「な、なな何言ってるの!いいの!?あのこと皆に言うよ!?」
「ああ、言いたければ好きにするがいい。但し、その場合、お前がやったことを俺も言う」
「へ…?」
「血鬼術にかかり、心身弱った同士に行ったお前の行動は、隊士たちにどう思われるだろうな。非道?不純?さぁ、なんだろうなぁ」

頬を赤らめぱくぱくと声を発せずにいるその唇に、指を滑らせ吐き捨てるように呟く。

「大丈夫だ。何も心配することはない…が、ここ数日の目に余るお前の行動…」

お前が、獲物だというように。

「優しくしてもらえると思うなよ」

目下の震える身体に舌舐めずりするその様は、まさに捕食者といえるだろう。悔やむなら、己を悔やむがいい。隊服に伸ばした指先に、小さく笑みを溢した。





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