小説 | ナノ


▼ 04




結局、ティファにどの口紅がいいか聞きそびれてしまった。
公衆トイレの鏡の前、バックに適当に入れた一つを取りだし、唇の上を滑らせる。
淡い桃色が唇を彩り、ふっくらと艶やかに馴染んでいく。
うん、適当に持ってきた割には意外と当たりだったのかもしれない。
少し乱れた髪を、指先で梳かすように撫でると、毛先が軽やか揺れた。

…クラウドは、少しでも綺麗だと思ってくれたのかな?


―――そんなの尚更駄目だ。


険しい表情で冷たく言い放たれた言葉に頭を振る。
…まさか、ね。もうこの片思いも潮時なのかもしれない。叶わない恋に縋っていられるほど、若いわけじゃない。やっぱりいい加減、次に進んだ方がいいのかもしれない。
ズキズキと傷む胸を誤魔化すように唇を噛みしめ、目的の場所へと急いだ。




「うわ…、すごい人」

指定されたホテルに向かい、受付を済ませる。指定されたホテルはカナルカンパニー系列のもので、既に武器屋だけでなくホテルまで運営しているのは事前に調査済みだったけど。案内された会場の扉を開けて、その光景に数回瞬きを繰り返した。
テーブルに並べられた高級そうな料理たちに頭上に煌くシャンデリア。ヒールの上からでも分かるふかふかの絨毯。どれをとっても一流品なのは間違いないが、優雅に流れるピアノの音色が更にこの場の演出を深めていて、その想像以上の規模に思わず足が竦みそうになってしまう。 

そして、そこにはパーティー会場に負けないほど煌びやかに着飾った多勢の女性たち。皆、あの社長のために準備をしてきたんだろうか、どこを見ても美人、美人、美人。
自分もそれなりの格好はしてきたつもりだけど、あまりのレベルの高さにこれじゃあターゲットに気に入ってもらうも何も、近づくことすら難しそうだ。
そんなことを思っていると、一人の男性が舞台の上に立った。


あれは…確か、


「皆さん、本日は我らがカナルカンパニーのパーティーへようこそ。カナルカンパニーの社長、アリシア・カナルです」


そう、あれは。無意識に視線が鋭いものへと変わる。
短髪に長い前髪が特徴的なあの男こそが今回のターゲット、アリシア・カナル。
人が好きそうな笑みを貼り付けて、舞台の上で挨拶をするターゲットは如何にもな金持ち面で、偉そうに後ろの側近に何か指示を出している。ギラつく腕時計に派手な柄のネクタイ。能無しの金持ちは趣味も悪くて性格も悪いのか。

「それでは皆さんにとって、今日という一日が素晴らしい日になりますように」

垂れた前髪をかき上げて、シャンパングラスを掲げると、会場は更に黄色い歓声に包まれる。周りの女性は皆頬を染め、うっとりとした表情でその名前を口々に叫んでいる。アリシア様こちらを向いて、アリシア様今日も素敵です、アリシア様、アリシア様。
その絶大な人気に思わず後退りしそうになる。きっとそんなことを思っているのはこの場で私一人だろう。最近ではメディアにもよく露出していて、ある雑誌には「抱かれたい男性No.1」だとか書かれていた気がする。整った顔に優しそうなその物腰、そして20代と若くして大企業の社長。確かに条件だけ聞くと目が眩む女性も多いかも知れないけれど。
うぅん、アリシア・カナル。ナルシストで女好き、顔はいいから寄ってくる女性も多いのだろうけど…皆、ああいう男がいいの?自分は多分…否、確実に苦手なタイプだ。そんなことを考えながらターゲットを眺めていると、


あれ…?


一瞬だったけれど、ターゲットと目が合った気がした。
これだけ人がいるのだから、偶々合っただけなのか。ターゲットは既に舞台から降りようとしていて、見えるのは背中だけでその表情は窺えない。

…まさか、ね。

グラスを傾けた私は、背中の向こうでその顔が妖しく笑っていることなんて知る由もなかった。










「ん〜、美味しい!」

テーブルに並べられた料理のひとつ、食べやすいように一口大に切られたパンの上にチーズと生ハム、バジルがまるで装飾品のように飾られていて、見た目も美しいその料理に思わず本音が溢れた。
もちろん、普段食べてるティファの料理も十分に美味しい。味だけでなく、どこか懐かしくて安心する、大好きな料理。だけど偶にはこういった珍しい(そして高級な)料理も悪くない。出来るなら仕事なんて忘れて美しいピアノの音色に耳を傾けて、この目の前の料理たちをずっと堪能していたいくらい。

というとこだが、しっかりと周りの状況を見るのが情報屋としての仕事。ごくん、と料理を飲み込み会場を見渡すと、いつの間にか女性だけではなく、男性の姿もちらほら伺える。
カナルの人間に名刺を渡しているところから、外部の人なのだろう。お見合いパーティーと言ってもそれだけが目的でなく、ここで会社同士の関係も深めているのか。
だとしたら尚更怪しいが、この人の多さと広いホテルの中では麻薬取引が行われていても現場を抑えるのは難しいだろう。やはりターゲットに近づくのが手っ取り早いか…

すると、テーブルの向こうにいる男女二人が目に入った。


「いつもより一段と綺麗だよ」
「本当…?新しく買ったばかりだから、似合うか不安だったの」
「本当だよ。他の男に見せたくないくらい」

肩を寄せ合い、微笑み合う姿。恋人同士だろうか、そこだけ周りとは違う甘い空気が流れている。
女性が男性に寄りかかると、その手は自然に女性の腰へと回された。
幸せそうな二人を、失礼だと思いつつもつい、目で追ってしまう。

好きな人が自分のことを好きでいてくれるなんて、目の前にいる二人のように当たり前のことではない。
そして、その想いを伝えることも簡単じゃない。たった二文字なのに。伝えれば変わってしまう。今までのような関係ではいられない。望みがないって分かっているのに、今の関係を壊すようなこと、私には出来ない。
だから、そっとこの想いに蓋をしようとしているのに。もし、あの二人が私とクラウドだったら…そんなあり得ないことを考えてしまう。諦めたほうがいいって分かってるけれど、溢れる想いに蓋をすることは簡単じゃないから。

金色に輝く髪を思い出して、鼻の奥がツンとした。
どうすれば、私を見てくれる?どうすれば、あなたに好きになってもらえる?どうすれば…
ゴールの見えない長い長い迷路を歩き続けるのは、気力も体力も必要で。いつの間にか歩くスピードは落ちてしまっていて。いつの間にか進む道も分からなくなってしまって、きっと私はずっと同じところで蹲み込んだまま。
伝える勇気も、前を向いて進む勇気も私には…

…ダメ、仕事しよう。
取り止めもない思考を掻き消すように頭を振る。そうだこんな場所でも今は仮にも仕事中だから。
まずはターゲットを探さなくては、そう思ったとき、後ろから失礼、と声がした。


「なんと麗しい女性。貴方のような美しい方が来て下さっているとは、光栄です」


「あなたは…」


まさか、向こうから来てくれるなんて。目の前にはこれから探そうとしていた人物、アリシア・カナルがいた。その後ろにはボディーガードだろうか、黒のサングラスを付けた体格の良い男二人が無表情のまま立っている。
予期せぬターゲットの登場に、驚きのあまり思わず手から滑り落ちそうになったグラスを、そっと自分より大きな手が制した。

「おっと、危ない。突然声をかけてしまって申し訳ありません」

撫でるように掴まれた手をグッと引かれ、近づいた距離に思わずひっ、と声が出そうになるのを必死に堪える。
待って、待って。何?向こうから近づいてくるなんてラッキーとは思ったけど、いきなりすぎない?それに近い。笑顔、笑顔。分かってはいるけれどきっと今、私の顔は引き攣っているに違いない。

「近くで見ると更に美しい。良かったら少し、話をしませんか?姫君」

ちゅっ、とリップ音を響かせ手の甲に落とされた唇に嫌悪感が増すばかりで。
今すぐこの顔面を殴ってやりたい気持ちでいっぱいだったが、こんな好都合なことはない。

「是非」

これ以上ないほどの笑みを浮かべ、その手を握り返した。









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