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「その社長に気に入ってもらえれば、そんな危険な目には合わないと思うの」
その言葉に、垣間見えた困惑の表情に、俺の苛立ちは増すばかりだった。
「そんなの尚更駄目だ」
聞きたくない言葉を遮るように、気がつけば自分でも驚く程冷たく言い放ってしまっていた。
*
「今度の仕事、長くなりそうなんだ」
偶々仕事が休みだった俺たちは、セブンスヘブンでティファが作った朝食を食べていた。トーストにハムエッグとサラダ。いつもと変わらない朝食だけど、ななしがいるだけで不思議と特別なものに思える。
ティファは買い出しがあるからとマリンとデンゼルを連れて出かけていて、ここには俺とななしの2人しかいない。久しぶりに2人で過ごす時間に柄にもなく一人緊張していた俺を他所に、ななしは食後の珈琲を一口含んだ後、あっけらかんとした表情で呟いた。
「どれくらい?」
「うーん、まだ分からないけど、数日は帰ってこないかも」
「数日?そんなに時間がかかる仕事なのか?」
「まぁ…、大した仕事じゃないんだけどね」
ななしが情報屋として働くようになって2年半。個人営業でもあり最初は依頼の少なかった仕事が、今では休日がほとんど無いくらいに多忙を極めていた。
それはななしの実力や人望があるからのものであり、ティファたちのように喜ぶとこなんだろうが、実際どうだ。
ななしの仕事が繁盛すればする程顔を合わせる時間は減り、その身を危険に侵すような仕事に、俺は喜ぶなんてできるわけがなかった。
さっきまで俺に向いていた視線は既に携帯を見ていて、その表情は窺えない。誰かに連絡をしているのだろうか、携帯の画面をタップする指先。誤魔化すような言葉と二人の間に流れる沈黙。俺は違和感を感じられずにはいられなかった。頭に過った一つの答えに、出来るなら違っていてほしい、決め付けるには早いと首を振る。
「おい、何の仕事なんだ?」
「んー…、いろいろ」
そう言って携帯をバックの中に入れ、残りの珈琲を飲み干したななしは早々と席を立った。
「もう行くね」
「休みじゃないのか?」
「そうだったけどたった今、仕事が入ったの。悪いけど、時間ないからクラウド洗ってね」
「あ、おい…っ」
ガシャンッ、重ねた食器がシンクの上で跳ねるた後、ななしは出て行ってしまった。まるで、俺の声なんか届いていないように。
「…なんなんだ」
静まりかえったセブンスヘブンに、自分の声だけが小さく響いた。
*
「その社長に気に入ってもらえればそんな危険な目には合わないと思うの」
そう話すななしに、俺は今、どんな表情をしているんだろうか。
身体のラインが強調されるドレスに身を包み、陶器のような素肌を惜しげもなく露わにして。うっすらと施された化粧でいつもより色香湛え、情を含んだ表情。長い睫毛はまるで濡れたようにその大きな瞳を縁取っている。
その頬に、肩に、腰に、唇に触れたい。そんなことをこの状況下でも思うなんて、自分はどうかしてる。
その心酔してしまいそうな姿は一度視線が交われば、もうきっと、逸らすことなんて出来ない程美しくて憎い。
数日前の希望も虚しく、恐れていたことが現実になったのだ。
自分でも驚く程冷たい声に、ななしが深く傷付いたのは言うまでもない。
「…私たち、一緒に旅してきたじゃない」
あんたに、そんな顔させたいわけじゃないのに。
「私、そんなに弱くないよ?」
知ってるよ。
強く逞く、だけどそれ以上に儚く繊細なとこも。
「そんなに…信用、ない?」
違う、出かかった言葉は空気に触れることもなく、去り際に見えたその顔に、引き留めようと出た右手はただ宙を切るだけだった。
「もう、やめなよ」
いつからそこにいたのか、階段の影からティファが姿を覗かせた。
険しく、呆れたような表情で、何も言い返せないでいる俺にティファは更に言葉を続ける。
「そうやって言葉でななしを縛るのは、良くないよ。ななしも言ってたけど、今のクラウド、まるでななしを信用してないみたいだよ。ななしが情報屋の仕事に誇りを持ってるのは、クラウドも知ってるよね?なのに、あんな言い方…まるで情報屋として働くななしを全否定しているみたいだよ」
―――そんなに、信用ない…?
違う、信用ないなんて、そんなことない。
信用ないんじゃない。ななしは、弱くない。少しの判断ミスで生死を決められる戦いの中、互いに背中を任せられるほど、ななしは強い。
今まで何度も潜入捜査を繰り返し、どんなに手強い相手でも怪我を負って帰ってくるなんてことなかった。
だから、今回の仕事もきっと大丈夫。そう分かっているけれど
「…俺は、ななしにどう伝えたらいいのか分からないんだ」
行かないでくれ、そんな姿で他の男の前に行かないでくれ、
どれも本音だけど、余りにも一方的でどれも違う。
なら、どうすればいい?なにを伝えればいい?
「クラウドの、気持ちをそのまま伝えたらいいんだよ」
「気持ち…?」
「クラウドも、自分の本当の気持ちに気付いてる筈だよ。それをななしに伝えればいいんじゃないかな」
まるで俺の心を見透かしたようなティファの言葉と表情に、
「あのね、クラウド。人は、言葉で伝えないと、分からないこともあるんだよ」
暗闇の中に小さな光が見えた気がした。
「ティファー。ななし、もう行っちゃったの?」
「うん。またすぐ、帰ってくるよ」
「クラウドは?」
「ななしのとこに行ったのか?」
「ううん、ちゃんと自分の仕事に行ったよ」
「偉いね!クラウド!」
「大人なんだから、仕事をするのは当たり前だろ」
「だってクラウド、いっつもななしのこと心配してばっかりなんだもん」
「フフ、そうだね。大事なんだね、ななしのことが」
再び訪れた穏やかな昼下がりに、セブンスヘブンに柔らかな空気が流れた。
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