▼ 水組壱ノ型
「義勇、財布持ったか?」
「ああ」
ここはとある高校の三年A組の教室。ここで勉学という責務を全うする彼らに与えられた最も長い自由時間、昼休みがチャイムと共に訪れていた。
賑やかになる教室の中、錆兎は義勇が財布を持ったことを確認すると、二人は食堂へ向かうべく教室の出口に向かっていた。
今日は何にしようか。ここの学食は学生の財布にも優しい上にその味の旨さは他校にまで噂が広がるほどのものだった。日替わり定食もいいが、ああ先の体育の授業で汗をたくさんかいたから、ガッツリとカツカレー定食でもいいな。いやでもラーメン定食も捨てがたい。何方にせよ人気メニューだから早く行かねば売り切れてしまう、そう錆兎が昼食のメニューについて考えていると、廊下から聞き慣れた声が聞こえてきた。
「ななし、今日はお弁当?」
「うん、今日は時間があったから作ってきたんだ〜」
それは幼なじみのななしと真菰の声だった。今日は何作ったの?えっとねえ、そんな楽しそうな会話が聞こえてくる。二人もこれから食堂へ行くのだろうか。
親元を離れて生活をするななしは時間があれば自分で弁当を作ってくることがある。料理が趣味というななしの飯を何度か食べたことがあるが、それはもう絶品だった。そんな料理上手の彼女が作った飯が昼食に食べられるなど幸せなことないだろう。もし二人も食堂に行くのなら、何かおかずを一つ自分のものと交換してくれないだろうか。笑顔でおかずを差し出してくれるななしを想像して、錆兎の頬が思わず緩んだ。
「ななしたちも学食に行くんだろうか」
「なあ、聞いてみるか」
基よりそうするつもりだったが、義勇の誘いもあり二人に声を掛けるべく教室から出ようとした時、耳を疑う言葉が聞こえた。
「ねえ、ななし!またおっぱいおっきくなったんじゃない?」
「ちょっ、真菰やめてよ…っ」
聞き間違えだろうか。否、聞き間違えるわけない。廊下から聞こえてくるのは間違えなく幼なじみの真菰とななしの声だ。しかし、その会話の内容に錆兎と義勇の足がピタリと止まった。
「だってさ、前は手にすっぽり収まるくらいだったでしょう?ほら、こんなにはみ出てるもん!」
真菰の口から出た言葉に、雷に打たれたような衝撃が二人を襲った。
((は、はみ出る!?!?一体何が…ッ))
「きゃっ!ちょっと真菰!揉まないでよ…!」
((も、揉む…ッ!?!?))
一体、この教室の向こうで何が行われてるというのか。あまりにも破廉恥なその単語に、二人の肩はわなわなと震え、義勇の手からぽとりと財布が落ちた。
幼い頃から共に過ごし、進学する高校までも一緒になった幼なじみ4人。(といっても、学力の問題だけでなく別々の高校になってななしに変なムシが付くことを心配した二人は、敢えてななしと同じ高校に進学したのだが)確かにななしはスタイルがいい。他のクラスの男子たちがこぞってななしの体型について話していた頃があった。勿論彼らは後に錆兎と義勇に「二度とななしを卑下た目で見るな」と脅され、公の場で口にすることはなくなったのだが。兎にも角にもななしは出るところは出ていて引っ込むところは引っ込んでいてスタイルがいいのだ。
男女共に成長期にあるこの時期、見た目は女の方が変化がわかりやすいのかもしれない。スカートから覗く白い太腿は、椅子に座った時にむちっとマシュマロのような柔らかさを見せつけ、自分に向かって手を振ってくれる時に覗くウエストは思わず抱きしめたくなるほどにしなやかで細い。
そして胸は…先ほどの真菰の「はみ出る」という言葉に、自分の指の間に喰い込むその柔らかな肉の塊を想像して思わず錆兎は顔を覆った。
(俺は…!ななしで何てことを想像してるんだ…ッ!!)
隣を見ると義勇も同じことを想像していたのだろう。彼もまた、錆兎と同じくその手で覆った指の隙間から赤くなった頬が覗いていた。
本人の知らない所であらぬ姿を想像した自分に叱咤し、錆兎が速まる鼓動に落ち着けと自分に言い聞かせるように深呼吸をしようとしたときだった。
「それにブラ、サイズ変えてないでしょ?ここ、出そうだよ」
「ひゃあっ、ん!もう、真菰の馬鹿…!」
ああ、何てことだ。この外には楽園が広がっている。
初めて聞くななしの甘く湿った声に、凍りついたように二人の動きが止まった。そして、その頭の中にはあられもない姿のななしが映し出されていた。
指の隙間に喰い込む柔らかな肌、ピンッと主張するように桃色に色付いた頂を己の指先で弾いてやると、その甘い声を漏らして震えるななしが脳内で繰り返し再生され、遂に錆兎の手からも財布が滑り落ちた。
「あはは!ごめんね、ななしの反応がつい可愛くてさ。でもちゃんとサイズ変えないとだよ?窮屈でしょ?」
「う、うん」
「何なら、今日部活ないし一緒に買いに行く?」
「ええ?いいの?じゃあさ、新しく出来たブランドのショップに行かない?」
「あ、そこ私も気になってた!じゃあ決まりね!楽しみ〜!」
きゃっきゃっ、実に楽しそうな声が遠のいていくのを錆兎と義勇は、しばらく教室の入り口に立ち竦んで聞いているしかなかった。
「義勇、食堂に行くか…」
「ああ、錆兎。行くか…」
ななしと真菰の会話は、思春期の彼らにはあまりにも強い刺激だったようで、財布を拾うその表情は事が治っても尚ぼんやりとしていた。教室から出て行こうとするそんな二人に、とある人物が慌てた様子で駆け寄った。
「お、おい!!二人とも!鼻血出てるぞ!!まずは拭いてから行った方がいい!」
「………なんだ村田か」
「何だよ冨岡!そんな残念そうな顔すんじゃねーよ、悪かったな俺で!」
「一気に現実に戻された気分だな」
「ああ」
「いや錆兎まで!何なのあんたら!悪かったな、気付いたのが俺で!」
駆け寄ってきたのは二人の同級生である村田だった。面倒見がよく、意外にも気が効く彼の手にはティッシュが握られていた。そしてそんな村田を見る二人の鼻からは村田が言うようにぽたりと血液が滴っていた。
村田は思った。イケメンはいかなる時もイケメンであり、例え卑猥な妄想をして鼻血を出したとしてもイケメンなのだ。イケメンなんて嫌いだと目の前の二人を見て再確認したのだ。
「全く。お前ら普段はあんなに男らしいくせにあいつのことになるとすぐこうなんだから…」
「村田」
「ん?何だよ冨岡」
「お前も鼻血が出ているぞ」
「…………」
このあと、「二度とななしを卑下た目で見るな」と錆兎と義勇に冷たく言い捨てられ、その場に佇む村田の背中が寂しそうに見えたのはきっと気のせいではない。
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