▼ 5、ある錯覚と殺人鬼
ラピスはため息とともに、その瑠璃色の髪の毛をかきあげた。
「言わなかったかな?浮気したら、相手の人を殺すって」
ーー殺す?
何度も自分がした行為のはずが、今だけは、まるで映画か何かのそれのように感じられた。
どくどくと血を流すゴーストを見た。動かない。顔に生気がない。私は焦って、頬に手を当てた。
ひんやりと、冷たかった。
「あ……、あ、い、いや、嫌、いや……やだ、ゴースト、起きて、起きてよ!」
ラピスは叫んだ私を一瞥し、私をゴーストの死体から引き剥がした。
「どうしてこんなことするの、どうして!」
大粒の涙を落とし続ける私に、ラピスは目を細めて微笑む。そして、その美しい相貌で、私をうっとりと見つめた。
「どうして僕が、人の殺し方から盗聴器の型までに精通していたか、教えてあげようか」
「な、に言って」
「全部筋書き通りだ。……まさかゴーストが介入してくるとは、夢にも思わなかったけど」
ラピスは血のついたナイフを二本回収し、私のポケットからも一本取り上げた。それから、カンゴームの腰からも一本。
それらはなぜか、全て同じメーカーのものだった。
「全部、このためだったんだよ」
「このため……」
「君は人を殺してない」
その言葉に、顔を勢いよく上げる。それから、馬鹿言わないで、と小さく口にした。
「私は……私は殺した。確かに三人」
「いいや、殺してないよ。……思い出してごらん、このナイフは、誰から貰ったのか」
私は、その日のことを思い出す。確かにラピスが「果物を切るのに使って」と、鋭くこしらえられたこれをプレゼントしてくれたのだ。
……まさか。
「あとはフォスと、それからゴーストとカンゴームに、一本ずつ渡した。……さあ、どうなったと思う?」
ラピスは目を細め、手を広げた。
「君を殺人に仕向けたのは僕だよ。実際には、殺人をした気分にさせたのは」
「……私は、私たちは……ラピスに、踊らされてたってこと?」
「人聞きが悪いなあ。僕はただ、邪魔なものを消しただけだよ」
ラピスはかがんで、ゴーストの前髪をそっと撫でた。
「本当は、この子は死ぬ予定じゃなかったんだけどな。カンゴームに邪魔な子をみんな殺させて、君に近づいた時点で彼自身を殺して終わりだったんだけど」
……邪魔、なんて。
私は胸の底からせり上がって来る怒りに、手に爪を食い込ませた。
アンタークもダイヤモンドも彼が仕組んだことによって死んだ。カンゴームはそれに利用されて、おかしくなってしまった。そしてそんなカンゴームから私を守ろうとしてくれたゴーストを、ラピス自身が殺した。いいや、ゴーストだけじゃない。ラピスが殺したんだ。私の大事な人たちを、みんな、みんな。
私はラピスラズリに向けて、ゆっくりとナイフを突きつけた。
「殺してやる……」
「無理だよ」
「私にだって、ラピスを殺すことくらいできる!!」
「君は優しいから、誰のことも殺せない」
まるで、暗示のようだった。
こんなにも憎いのに、こんなにも怒っているというのに、意図せず手が震えてしまう。なぜかラピスに刃を向けていられなくて、床にナイフが落ちた。
ラピスは私の落としたナイフをブーツの底で踏みつけると、私にむけて薄い笑みを浮かべた。
「初めに君が刺したところを見たとき、驚いたよ。君は無意識に殺さない殺し方を知っていた。うまく急所を外していた」
ーーそれからも僕は、『殺さない殺し方』を教えたんだよ。
ラピスは謳うようにそう言い、私の頬を両手で包んだ。
「ほら、だから今も、君は宝石のままだ」
……私は、殺人鬼ですらなかった。
思えば、テレビでも誰かが殺されたなんてニュース、一つもやってなかった。私が殺したと思っていた人も全員ラピスの協力者で、全部が全部、ラピスが仕立て上げた茶番だった。
そんな馬鹿なこと、あっていいわけがないのに。
「じゃあ、誰も死んでないの……?」
「ああ、君の刺した人のことかい?笑ってしまうほど元気だよ。僕はそうなるように君に刺させたんだから」
くらりと、耐えられない目眩がした。倒れ込むようにベッドへもたれかかると、ラピスは私の隣へ優雅に腰掛けた。
「可哀想に、苦しいだろう。全て忘れてしまえばいい」
「いや……嫌だよ。私は忘れたくない……全部……私は……」
酷い眠気が私を襲う。ラピスは私の体を抱きながら、「どうして?」と優しく問うた。
頬を熱い涙が伝う。こんなにも憎い、殺してやりたい、敵を討ちたいと願っているのに、それができない。ラピスのやり方はめちゃくちゃで歪んでて残酷で、でも、彼を突き動かしていた感情は、一つしかなかった。
「……好き、だから」
私の声は、自分でも分かるほど弱々しい。ラピスはそんな囀りのような微かな声に、じっと聴き入っていた。
「好きだから……、私、アンタークもダイヤモンドも好きだったけど、それとおんなじくらい好きだったの。フォスやゴーストやカンゴーム、それから」
……それから、ラピスが。
ラピスはその言葉を聞き届け、ゆっくり目を伏せる。
「それは幸せなことだ」
そして、聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで、小さく零した。
「……でも君がその感情を抱くのは、僕だけで十分だよ」
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