▼ 4、ある幸せと殺人鬼
「……」
ゆっくり目を覚まし、隣を見る。そこにはラピスがいて、すうすうと寝息を立てているのを確認した。
時計の針は、ちょうど朝の五時を指している。頃合いかと、私は無造作にスカートを引っ張り出した。
必要最低限のものを、乱雑に鞄に入れていく。それから、鋭くこしらえられたナイフは迷った末、ポケットにしまい込んだ。
私は決心した。私の大切な二人を奪ったカンゴームは、私の手で殺す。そして、自首しよう。犯人を殺したら、もうそれで満足だ。
ーー私は黒いパーカーのフードを深く被り、音を出さずに玄関の扉を開けた。
*
「早かったな」
カンゴームは私を部屋へ迎え入れると、静かにソファの端へ座った。私も座るように促されたが、首を横に振って断る。
カンゴームへ一歩近づいた私を、彼は表情一つ変えずに見つめていた。
「……カンゴームは、どうしてアンタークとダイヤモンドを殺したの?」
「邪魔だった」
端的に迷うことなく発された言葉に、目を見張る。私は勝手に彼に期待して、殺したのにはもっと別の理由があるんじゃないかって、どこかで信じていた。
カンゴームは続けた。
「俺はゴーストも含めて、幼馴染全員が大事だった」
「……それは、私もだよ」
「いや、お前は違った。ずっと一緒にいた俺達じゃなくて……言うなら外の世界の人間に惹かれてるのが、一目で分かったんだ」
カンゴームは視線を落とし、目を固く瞑った。それを確認して私は、彼の死角でポケットからナイフを抜く。
しかし、次の泣き叫ぶようなカンゴームの言葉に、思わず手を止めてしまった。
「お前が離れていくのが怖かった。どんな手を使っても、俺のところへ留めておきたかったんだ。俺が何を間違ったっていうんだ、俺はただ、五人で幸せになりたかっただけなのに……!」
「……っ」
普段は弱音を吐かないカンゴームの本音に、動揺を隠せない。
……きっとそこで、躊躇ってしまったのがいけなかったのだ。
金属音が耳をつき、視線を落とす。
気づくと私の手に握られていたナイフは、カンゴームによって弾き落とされていた。
どくりと、否応なしに心臓が波打つ。
そして顔を跳ねるように上げた私は、カンゴームの表情を視認するのだ。
「ーーだからこんなの捨てて、今度こそ俺と幸せになろう」
……しまった!
私がナイフに手を伸ばすより先に、カンゴームが私の手首を掴む。思い切り力を入れられて、短い悲鳴を上げた。
「ラピスとは一緒に来なかったんだな」
「!」
「大方、俺を自分の手で殺したかったんだろ?」
弱々しかったさっきとは打って変わって、カンゴームは嘲るようにそういう。私はベッドへ押し付けられた体が動かないのを確認して、カンゴームを睨みつけた。
「ラピスを殺したら、もうお前を縛り付けるものなんかないよな」
「か、カンゴームは、幼馴染五人でいるのが好きだったんじゃないの?」
その声は、どこか震えてしまっていたと思う。カンゴームはゆっくりとナイフの刃を私へ突きつけた。
「……ああ、その通りだ。俺は本当は、五人で幸せになりたかった。でもそれが叶わないなら、他のものを切り捨てる。大事なものにおいても、取捨選択するのは当たり前だろ?」
カンゴームが私の首に口づけ、そっと笑みを深める。
「ああ、これで今度こそ」
ーー今度こそ、幸せが手に入る。
カンゴームのその言葉は、なぜか不自然に途切れた。
ゆっくり、カンゴームが自身の胸を抑える。それから、呆然とつぶやいた。
「……は?」
ーーカンゴームの指の隙間から、どくどくと、血が溢れていた。
カンゴームの胸を貫いているナイフは、私の持っているものじゃない。私は倒れ込んだカンゴームの後ろに、幼馴染のうちの一人を視認した。
そして、掠れた声で彼を呼ぶ。
「ゴ、スト……」
「逃げよう」
ゴーストは間髪入れずに、きっぱりとそう発した。
それからカンゴームに刺さっているサバイバルナイフから手を離し、深く被った黒いパーカーのフードを脱ぐ。どこまでも綺麗で精悍な顔立ちは、何かを心に決めたようにこちらを見つめていた。
「僕と、遠いところへ逃げよう」
「え……?」
「ごめんね、知ってたの。盗聴器、ラピスにばれて捨てられちゃったけど……二つのうち片方は僕のものだったから」
状況が飲み込めない私に、ゴーストは返り血で汚れてもなお端正な顔立ちで私を見つめた。
「君の大事な人を殺したのがカンゴームなのも、君が殺人を犯したのも、本当はとっくに知ってた。だけど、怖くて誰にも言えなかった。……でも、今は違う。ラピスもカンゴームも君の敵になるなら、僕が殺してあげる。僕の全てをかけて、全てを捨ててでも君を守りたい」
僕は君に危害を加えたり、束縛したりも絶対にしない。
ーーね、だから、一緒に行こう。
ゴーストの言葉は、まるで御伽話みたいだった。彼はさながら、御伽話の王子様に違いない。
けれど私はもう、御伽話の登場人物にはなれないことを、自分で分かっていた。
「どうして私なんかを、助けようとするの」
「え?」
「私は人殺しで、カンゴームとおんなじ、ただの化物なのに」
ゴーストは眉を下げて、力なく笑った。
「それでも構わないよ。……だって、僕には君以上に大切なものなんてないんだもの」
するり、体が軽くなるようだった。
彼はカンゴームのように私の大好きな人を殺したり、ラピスのように更に罪を作ることに協力したりしない。
私を助けてくれるのは、ハッピーエンドに導いてくれるのは、きっと。
「……私も、ゴーストと一緒に行っていいの……?私なんかが、いいの?」
「うん。……君が怪物だって言うなら、僕もとっくに、人殺しの怪物だよ」
私は、気づいたら泣いていた。
ゴーストが、もし私をこの世界から逃してくれるなら、私は。
「ゴースト、私、ゴーストと一緒に……!」
その言葉を私が口にしたのと、顔に彼の鮮血がかかったのは、ほぼ同時だった。
「……は?」
ぬるり、生温いものが指につく。手に、ゆっくり目を向けた。赤黒かった。私が、何度も見たことのある色だった。
「ゆーびきーりげんまん、嘘ついたら針千本のーます」
ーー指切った。
聞き覚えのある歌声に、震えながら顔を上げる。
そこにはラピスが、この世界の支配者が、まるで私を見下ろすように立っていたのだった。
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