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▼ 4、ある幸せと殺人鬼

「……」

 ゆっくり目を覚まし、隣を見る。そこにはラピスがいて、すうすうと寝息を立てているのを確認した。

 時計の針は、ちょうど朝の五時を指している。頃合いかと、私は無造作にスカートを引っ張り出した。

 必要最低限のものを、乱雑に鞄に入れていく。それから、鋭くこしらえられたナイフは迷った末、ポケットにしまい込んだ。

 私は決心した。私の大切な二人を奪ったカンゴームは、私の手で殺す。そして、自首しよう。犯人を殺したら、もうそれで満足だ。

 ーー私は黒いパーカーのフードを深く被り、音を出さずに玄関の扉を開けた。



「早かったな」

 カンゴームは私を部屋へ迎え入れると、静かにソファの端へ座った。私も座るように促されたが、首を横に振って断る。

 カンゴームへ一歩近づいた私を、彼は表情一つ変えずに見つめていた。

「……カンゴームは、どうしてアンタークとダイヤモンドを殺したの?」
「邪魔だった」

 端的に迷うことなく発された言葉に、目を見張る。私は勝手に彼に期待して、殺したのにはもっと別の理由があるんじゃないかって、どこかで信じていた。

 カンゴームは続けた。

「俺はゴーストも含めて、幼馴染全員が大事だった」
「……それは、私もだよ」
「いや、お前は違った。ずっと一緒にいた俺達じゃなくて……言うなら外の世界の人間に惹かれてるのが、一目で分かったんだ」

 カンゴームは視線を落とし、目を固く瞑った。それを確認して私は、彼の死角でポケットからナイフを抜く。

 しかし、次の泣き叫ぶようなカンゴームの言葉に、思わず手を止めてしまった。

「お前が離れていくのが怖かった。どんな手を使っても、俺のところへ留めておきたかったんだ。俺が何を間違ったっていうんだ、俺はただ、五人で幸せになりたかっただけなのに……!」
「……っ」 

 普段は弱音を吐かないカンゴームの本音に、動揺を隠せない。
 
 ……きっとそこで、躊躇ってしまったのがいけなかったのだ。

 金属音が耳をつき、視線を落とす。
  
 気づくと私の手に握られていたナイフは、カンゴームによって弾き落とされていた。

 どくりと、否応なしに心臓が波打つ。

 そして顔を跳ねるように上げた私は、カンゴームの表情を視認するのだ。

「ーーだからこんなの捨てて、今度こそ俺と幸せになろう」

 ……しまった!

 私がナイフに手を伸ばすより先に、カンゴームが私の手首を掴む。思い切り力を入れられて、短い悲鳴を上げた。 

「ラピスとは一緒に来なかったんだな」
「!」
「大方、俺を自分の手で殺したかったんだろ?」

 弱々しかったさっきとは打って変わって、カンゴームは嘲るようにそういう。私はベッドへ押し付けられた体が動かないのを確認して、カンゴームを睨みつけた。

「ラピスを殺したら、もうお前を縛り付けるものなんかないよな」
「か、カンゴームは、幼馴染五人でいるのが好きだったんじゃないの?」

 その声は、どこか震えてしまっていたと思う。カンゴームはゆっくりとナイフの刃を私へ突きつけた。

「……ああ、その通りだ。俺は本当は、五人で幸せになりたかった。でもそれが叶わないなら、他のものを切り捨てる。大事なものにおいても、取捨選択するのは当たり前だろ?」

 カンゴームが私の首に口づけ、そっと笑みを深める。

「ああ、これで今度こそ」

 ーー今度こそ、幸せが手に入る。 

 カンゴームのその言葉は、なぜか不自然に途切れた。

 ゆっくり、カンゴームが自身の胸を抑える。それから、呆然とつぶやいた。

「……は?」

 ーーカンゴームの指の隙間から、どくどくと、血が溢れていた。

 カンゴームの胸を貫いているナイフは、私の持っているものじゃない。私は倒れ込んだカンゴームの後ろに、幼馴染のうちの一人を視認した。

 そして、掠れた声で彼を呼ぶ。

「ゴ、スト……」

「逃げよう」

 ゴーストは間髪入れずに、きっぱりとそう発した。

 それからカンゴームに刺さっているサバイバルナイフから手を離し、深く被った黒いパーカーのフードを脱ぐ。どこまでも綺麗で精悍な顔立ちは、何かを心に決めたようにこちらを見つめていた。

「僕と、遠いところへ逃げよう」
「え……?」
「ごめんね、知ってたの。盗聴器、ラピスにばれて捨てられちゃったけど……二つのうち片方は僕のものだったから」

 状況が飲み込めない私に、ゴーストは返り血で汚れてもなお端正な顔立ちで私を見つめた。

「君の大事な人を殺したのがカンゴームなのも、君が殺人を犯したのも、本当はとっくに知ってた。だけど、怖くて誰にも言えなかった。……でも、今は違う。ラピスもカンゴームも君の敵になるなら、僕が殺してあげる。僕の全てをかけて、全てを捨ててでも君を守りたい」

 僕は君に危害を加えたり、束縛したりも絶対にしない。

 ーーね、だから、一緒に行こう。

 ゴーストの言葉は、まるで御伽話みたいだった。彼はさながら、御伽話の王子様に違いない。

 けれど私はもう、御伽話の登場人物にはなれないことを、自分で分かっていた。

「どうして私なんかを、助けようとするの」
「え?」
「私は人殺しで、カンゴームとおんなじ、ただの化物なのに」

 ゴーストは眉を下げて、力なく笑った。

「それでも構わないよ。……だって、僕には君以上に大切なものなんてないんだもの」

 するり、体が軽くなるようだった。

 彼はカンゴームのように私の大好きな人を殺したり、ラピスのように更に罪を作ることに協力したりしない。
 
 私を助けてくれるのは、ハッピーエンドに導いてくれるのは、きっと。

「……私も、ゴーストと一緒に行っていいの……?私なんかが、いいの?」
「うん。……君が怪物だって言うなら、僕もとっくに、人殺しの怪物だよ」

 私は、気づいたら泣いていた。

 ゴーストが、もし私をこの世界から逃してくれるなら、私は。

「ゴースト、私、ゴーストと一緒に……!」

 その言葉を私が口にしたのと、顔に彼の鮮血がかかったのは、ほぼ同時だった。

「……は?」

 ぬるり、生温いものが指につく。手に、ゆっくり目を向けた。赤黒かった。私が、何度も見たことのある色だった。

「ゆーびきーりげんまん、嘘ついたら針千本のーます」

 ーー指切った。

 聞き覚えのある歌声に、震えながら顔を上げる。

 そこにはラピスが、この世界の支配者が、まるで私を見下ろすように立っていたのだった。


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