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▼ 2、ある悪癖と殺人鬼

「勉強会?」

 ラピスにそう尋ねられる。私は髪の毛をくるりとシニヨンにして、星モチーフのバレッタで止めた。

「うん。カンゴームに呼ばれたの」
「へえ、カンゴームに」
 
 うん、と小さく頷く。何も珍しいことじゃないはずなのに、ラピスはいつになく腑に落ちなそうな顔をしていた。

「二人きりかい?」
「あ、それなら大丈夫。ゴーストもいるって」

 ラピスは「なら安心だ」と微笑み、私のつけているイヤリングを揺らした。

「気をつけるんだよ」
「うん、分かった」

 この言葉は私の身を案じてだろうか、私が口を滑らせて共犯関係を露見させてしまうことを危惧してだろうか。その瞳の真意はよく分からなかったけれど、きっとラピスのことだから、後者なのだろう。

 それでも構わない。私たちは恋人のふりをしているだけの薄っぺらい関係だ。

 そう決定づけた私は無造作に扉を開けると、ラピスに向けて「いってきます」と告げた。



「お邪魔します」
「おー」

 カンゴームについていくまま、彼の部屋の扉を開ける。

「……あれ」
「どうかしたか?」
「ゴーストはいないの?」

 カンゴームは澄ました顔で、何気なく「ああ」と答えた。

「今日は用事が入ったんだと」
「そうなんだ。帰りは遅いの?」
「友達の家に泊まるってよ」
「へえ……」

 会えないのは寂しいけれど、何せゴーストは多忙だ。そういうこともあるだろう。故に私は特に気にもせず、プリントの束を出した。
 
 その空欄の多さに、カンゴームが眉をひそめる。

「宿題、結構残ってるじゃねえか」
「あはは、ちょっと趣味にのめり込んじゃって」

 ーー趣味。そう口に出してから、笑ってしまった。殺人を趣味と平気で言える私は、やはり何より狂っている。

 私達はしばらく無言で作業していたが、彼から香ったいい匂いに、ふっと顔を横に向けた。

「カンゴームって香水つけてる?」
「ん。少しだけどな」
「やっぱり。近づかないと分かんないけど、ほんのり香水の匂いがする」

 カンゴームは持っていたボールペンを置き、私に近づいた。こつんとボールペンが転がって、テーブルの木材で軽い音を立てる。

「お前は」
「ん?なに?」

「……最近ずっと、血の匂いがする」

 ーーその瞬間、静かに背筋が凍った。

 体中が泡立ち、じっとりと嫌な汗が滲む。私は自分が、酷く驚いたような顔をしてしまったことを自覚して、慌てて身を持ち直した。

「え……ええと、カンゴームはなにを言ってるの?冗談にしては少し、不謹慎なんじゃないかな……」

 慌てて笑顔を取り繕うも、上手く笑えてる気がしなかった。カンゴームは眉間にしわを寄せて、私の肩を思い切り掴む。いつもよりずっとずっと力が強くて、私は思わず顔を歪めた。

「お前……、まさか、危険なことに手出してるんじゃないだろうな」
「!」
「俺はお前の、自分を犠牲にする悪癖が大嫌いだ!!」

 カンゴームに叱咤され、私は唇を噛んだ。力を入れすぎたせいで口に鉄の味が広がるのさえも、思考の外だった。

 悪癖。そう言われても仕方がないと思う。けれどカンゴームにだけは言われたくなかった。体の底から怒りが湧き、やがて心の堤防を優に超え、溢れた。

「っ……うるさいなあ!私が何してようとどうだっていいでしょ!」

 ぱしんと、カンゴームの手を思い切り払う。怒りだけが私を突き動かす。私は彼を睨みつけた。

「大事なときにはいつもいてくれないくせに!私が大好きな人に死なれたときも、親友に死なれたときも、何もしてくれなかったくせに……!」

「ーー何も、してない?まさか、俺がか?」

 カンゴームは鼻で笑い、表情から感情を消した。

「俺がどれだけお前を守ったと思ってんだ」
「……は?」

 どこからか湧き上がってきた底知れない恐怖に、静かに一歩下がる。怒りが自ずと沈静化し始めたのは、カンゴームが並々ならぬ異様さを放っていたからだった。

 カンゴームは黒いパーカーを脱いで、ベッドに投げた。ファスナーと擦れて、彼の首から下がる、シルバーのネックレスが音を立てる。

 彼はただ淡々と、私を見据えて続けた。

「俺はあの時もあの時も、お前のために悪い虫を排除したのに」
「……は……?何言ってるの、ねえ、悪い冗談はやめてよ……」

 悪い冗談と言いながら、私はそれがいかに真実味を帯びているかを感じていた。

 そこで先ほどの違和感を辿り、壁に当たる。血の匂いなんて、直で嗅ぐような経験をしたことのない人間には分からないだろう。

 ならまさか、と思いかけて、頭を振る。ありえない、あり得るわけがない、ありえてほしくない。でも、まさか、まさかまさかまさか。

 もしかして……カンゴームは。

「アンタークとダイヤを殺したのって、まさか、カンゴ……」

 そこまで言い、こみ上げた吐き気に思わず口を抑える。カンゴームは冷ややかに、そんな私を上から見下ろした。

「俺はずっと、お前に嫌われるのが怖かった。いつバレるかって冷や冷やして生きてた。でも、なんだ……お前も俺と一緒じゃんか」

「い、一緒なんかじゃ……」

「ああ、確かにそうかもな。俺はお前のためにやったけど、お前はただの快楽殺人だもんな、知ってたよ」

 カンゴームは私の手を思い切り引っ張って嘲笑した。

「やっぱり、お前は俺の思ってるような奴じゃないみたいだ」 
「なに、それ」
「逆に安心したよ。今までは宝石みたいに綺麗なお前を汚すんじゃないかって、そればっか気にして生きてたから」

 カンゴームは熱に浮かされたような瞳で、私の首に触れた。

「でも違かった。お前ももう汚れきってる、だから俺がこうして触れても壊れたりしないし、穢れたりしないんだろ」
「……!!」 
「首、真っ白で細いな。ここに目立つ跡つけたら、あいつのとこになんて戻れないだろ」

 カンゴームが私の首元に、迷わず口を寄せる。きつくきつくつけられた跡に、思わず泣き声と共に彼の名を叫んだ。

「カンゴーム!!」

 彼は答えなかった。

 手と足をどんなに必死に動かそうと彼の腕から抜け出せない。カンゴームの瞳がゆっくりと瞬き、私の顔を視認する。

 その瞳がぞっとするほど鮮やかな情欲の炎を燃やしていることに喉が鳴り、やがて恐怖からか、声すら掠れて出なくなってしまった。

「可哀想に。俺にこうして乱暴されても、警察に駆け込むこともできないんだもんな。その前にお前が逮捕されるから」

 カンゴームは私の耳を甘噛みすると、悪魔のように囁いた。

「……命を散々踏みにじった俺らが、こうして愛し合うなんて、笑えるな」

 ぐらり、思考が暗転する。私は彼を糾弾する資格なんかなかったことを、そこでやっと悟った。

 カンゴームの首から下がったネックレスが揺れるのが、脳裏にひどく焼き付いていた。

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