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▼ 1、ある夏の日と殺人鬼

 ーー怖いくらい、その時のことを覚えていた。

 蝉の声が五月蝿い、蒸し暑い夏の日。通り雨が、アスファルトを濡らしていた。

「っアンターク!ダイヤモンド!!嫌、嫌っ、なんでなんで!!!」

 私のつんざくような声は、ただ空気中に霧散して消えていく。ブルーシートで隠された二人の亡骸に向けて、恥も忘れて大声で泣き叫んだ。

「通り魔だって」「まさか、こんなところで」「殺された子、まだ若いのに」「かわいそうね」「本当に、可哀想に」

 口々に噂する人々が、途端に軽薄に思えた。可哀想。可哀想だって。好きな人と親友を一度に失った私でもないくせに、どうしてそんな言葉を吐けるの?
 
 死のうと、何度も思った。でもその度、幼馴染が泣くから、私は実行に移すのをいつも躊躇ってしまう。

 兄弟であるフォスとラピス、それから双子のカンゴームとゴースト。それに私を合わせて五人の幼馴染。

 その中でもフォスが泣くから、アンタークともダイヤとも仲の良かったフォスが私に縋るから、どうしても突き放せなかった。

「お願いだから、死ぬなんて言わないで。僕らにとっての希望は君なんだ」

 彼は泣いていた。大事な人が泣くのを見るのは、どこか自分にも重なって嫌だった。

「……分かった」

 私はフォスと約束したその日から、死のうとするのをやめた。

 しかしおかしくなってしまっただろう私は、幼馴染の一人から果物を切るためのナイフを貰ったとき、あることを連想してしまったのだ。

「このナイフ、果物以外もよく切れそう」

 一度その考えが頭をよぎってしまえば、もう駄目だった。

 アンタークとダイヤモンドを殺した犯人はまだ捕まっていない。まるで魔法かのように、証拠の一つも残っていなかったと言う。アンタークとダイヤはどんな凶器で殺されたのだろう。検死の結果から言えば、ちょうどこのくらいの刃渡りのナイフだろうと思われた。

 ーーなら、幸せを奪われた代償に、幸せそうな人間を殺してしまおう。

 そう、犯人が捕まるまで。それは私にとって、きっと世界への報復だった。
 
 しかし、私が初めて殺人を犯したそのとき、彼は私の世界に足を踏み入れたのだ。

「……おや、随分雑な後処理だね」
「!」

 聞き慣れた声が誰のものかなんて、すぐに分かった。体が大きく跳ねたせいで、べったりと血のついたサバイバルナイフが部屋の隅に飛んでいく。

 そこに立っていたラピスは、そっと笑みを深め、私の部屋の内鍵をかけた。

「どうして……わ、私、鍵かけてたでしょう」
「合鍵、遠い昔にくれただろう。まさか忘れたのかい?」

 どくどくと、心臓が波打つ。ばれた。私を人を殺しているところを、倫理観が欠如した行為に手を染めているところを、大事な幼馴染に見られてしまった。
 
 しかしラピスはにこりと笑みを見せて、返り血で汚れた私の頬を人差し指で拭った。怒るでも泣き叫ぶでもなく、あくまで普通に。

 私は焦燥を滲ませて、震えながらラピスの両手を握った。

「私、人を、殺したんだよ?」
「ああ、見てたからね。知ってるよ」
「ラピスは……怖くないの?」

 彼の表情の変化が見られないことに恐ろしさを感じての一言だったが、ラピスはいつも通りの口調で淡々と返した。

「別に。それより、そんな殺し方じゃ、いつかばれちゃうよ」

 ラピスは私への恐怖を一欠片も見せず、私の耳元で囁いた。

「……僕が教えてあげようか」
「え?」
「足がつかない殺し方、上手な隠蔽工作の仕方、それから、死体の処理も」

 一歩下がって、私はひゅうっと喉を鳴らした。

 ……狂ってる。

 私がそう言うのもおかしいけれど、目の前の天才は、瞳の奥に確かに狂気を宿していた。

「どうだい?悪い案じゃないだろう」

 ラピスの楽しそうな声に、ゆっくり顔を上げる。血の海の中でもよく映える瑠璃色の瞳は、美しく、そして気高く私を見つめていた。

 どうするかなんて、考えるまでもなかった。

「……うん。宜しく、ラピス」

 狂っているのは、私も同じだ。

 私には、そのラピスの甘い提案を拒む理由がないのだった。



「僕と付き合ってくれる?」

 ラピスがそう言ったとき、私は一拍おいて迷わず答えた。

「分かった」

 ラピスは私が別に彼のことを好きじゃないことを知っていたはずだ。

 でも、断るという選択肢は、私の中になかった。

 ラピスと一緒にいるのは便利だ。頭がいいから足のつかない殺人の方法を考えてくれる。それも含めてしまえば、付き合う理由なんて明白だ。

 ラピスは頭がいいから。彼はぞっとするほど綺麗だから。彼の言葉は甘いから。私の我儘を聞いてくれるから。アリバイ工作のときに便利だから。恋人という肩書は二人で行動するのを容易くするから。変な男に言い寄られなくなるから。そして何より、もっともっと人を殺したいから。

 それら全ての要素は肯定を示す根拠へと変貌し、私の答えと変化し得る。元々もう、恋愛する気はさらさらなかったのだ。

 アンタークのように、失ってしまうくらいなら。

 ラピスは瞳に嬉しそうな色を滲ませ、私の小指と絡めた。

「約束だよ。浮気したら、相手を殺してしまうからね」
「うん、しないから大丈夫。昔みたいに、指切りでもする?」
「ふふ、それもいいね。……指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます」

 子供のような契りの言葉をラピスが歌う。初めて聞いた歌声は、どこまでも澄んで美しかった。

「指切った」

 きっとラピスの言った「付き合う」という言葉の重みは、今の私と同様の軽さに違いない。ただの暇つぶし、新しいこと、彼の知的好奇心を満たす手段。まあ、なんでもいいけれど。

 ……少なくとも、次の殺人をするまでの気休めにはなりそうだ。   

 そんなことを思いつつ、私はラピスの好きな紅茶を、ティーカップへ並々と注いだ。

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