メメント・モリ

Magic.8 慟哭が許される綺麗な感情ではないので
「レッ……レジー……」


 よろよろと膝をついたスガワラに思わずぎょっとしてしまう。Reggieレジー、スガワラの口からでたそれは所謂愛称というものだ。Regレグと呼ぶ者もいる。どうして知っているのか、という質問は今となってはもう出て来ない。


「僕みたいな“小物”でもその物語にはでていたんですか?」
「作中で喋ったことはない、かな」


 スガワラに手を差し出すと、彼はその手を取ろうとしてから一瞬戸惑ったように手を引っ込めたが、アリガトウゴザイマスと片言の感謝と共に結局は手を取り立ち上がった。


「私は小物だなんて思わないけど」


 黒髪の女性の言葉に、横のブロンドの女性がぶんぶんと首を縦にふる。眩暈はしないのだろうか。首が飛んでいってしまいそうだ。


「れぎゅらす……? れじー?」


 うーん? とヒナタが難しい顔をして唸る。ヒナタの記憶には残っていないらしい。


「聞いたことあるような、ないような、って感じだな」
「お、俺も……スマン」


 ダイチとアサヒもどうやらヒナタと同じらしい。ハリー・ポッターシリーズの中でレギュラス・ブラックという男は名前がちらりと出てくる程度だったのかもしれない。
 しかし自分が誰かの手で書かれているという事があまり好ましく思えない僕にとってはそちらのほうが都合がいい。僕は目の前にこうして存在しているというのに、登場人物の一人として軽く見られてしまうのは心外だ。僕は、他の誰でもない僕として17年を必死に生きてきたのだから。


「も、もしかして映画のほうしか見てないのでは……?」


 ブロンドの女の子の言葉に三人は頷く。映画フィルムとはたしか写真――マグルの写真は少しも動かないらしい――を連続して記録したものを機械で素早く動かすと同時に光で映し出したもの……だったと思う。習ったマグル学がこんなところで役立つとは。


「R.A.B.にも聞き覚えないかな」
「う〜んんん??」
「スリザリンのロケットの……」


 ああ!! ヒナタが今日一番の声で叫んだ。シリウスの弟! と続けざまに声をあげる。ダイチもクリーチャーの主人か、と思い当たったらしい。


「ようやく思いだせてスッキ、リ……って、びエ゛ッ!? な゛ッ!? ちょ、ちょっとな、なんで、」


――泣いてるんですか。

 ヒナタの言葉の意味をすぐには理解できなかった。面白い驚き方をするものですね、なんて考えながら一つ一つ単語を反芻していって、今度はこちらが驚かされる番となった。


「え……?」


 泣いている? 誰が? ――僕が?
 思わず手を顔に持っていって頬を撫ぜる。たしかにそこは濡れていた。指についた水がバスのヘッドライトのように眩しすぎる建物の明かりを取り込んでキラキラと光っていた。


「あ、あれ……?」


 涙も痛みと一緒なのだろうか。気付いた途端に鼻の奥が痺れるような感覚と、喉元からぐっとせりあがってくる不快感が同時におとずれた。少し俯くと、はらはらと独りでに落ちる雫が掌を濡らした。涙を流す――ましてや人前で――など記憶を遡ってもそんな経験ありはしない。
 涙は塩辛いものだと認識していたが、唇の端から侵入したそれは水っぽくて、どうも辛いとは思えない。喉元まで伝ったものがやけに冷たく感じた。――だが、そんなことはどうでもいい。


「クリーチャー……クリーチャーもいるんですか……? それはつまり、ああ、クリーチャーは無事闇の帝王から身を隠せたと受け取ってもいいんですね……?」


 ダイチの服を握る。先ほど彼は僕を“クリーチャーの主人”と記憶していた。もしかしたら闇の帝王の残忍さを鮮烈にするための過去の悲惨な話として、クリーチャーが殺されかけた話のことなのかもしれない。けれど、舞台は子供たちの世代なのだ。これくらいの希望をもっても罰がくだらないだろう。


「クリーチャーは、」


 ダイチの目に映る僕は確かに泣いていた。


「まだ貴方をレギュラス様と慕っていた」


 今までの涙はただグラスに溜まったものが溢れていただけだったのか、今度は堰を切ったかのようにぼろぼろと大粒のそれが流れだす。歯の隙間から短い声が抑えきれずに漏れた。言葉を知らぬ子供でもないのに、何か言おうとしても上手く言葉にならず、代わりに嗚咽がこみあげた。下唇を噛み、手の甲で口元を隠す。涙を止める呪文など、僕は知らない。


Silencioシレンシオ


 黙れ。自分自身に杖先をあてがって呪文を唱える。声が震えてしまったが無事かかったらしい。耐えずとも嗚咽の漏れなくなった自分自身に安心する。
 クリーチャーが僕を忘れられるほどいい主人に出会えていないことがたまらなく哀しかった。昔からクリーチャーは僕に優しすぎるのだ。こんな主人でも死んだときはその優しさゆえに酷く悲しんだに違いない。自分がふがいないばかりに、と感じる必要のない罪悪感に身を焦がしたかもしれない。
 あるいは気持ちだけにとどまらず、数時間おきに床に何度も額を打ち付けて不気味な色形の痣をつくることで自分を罰したかもしれないし、冬には暖炉の中で真っ赤になった薪で手を焼いたかもしれない。ハウスエルフの本能なのか、クリーチャーは自分を大切にすることが何よりも苦手だった。

 僕のことなど忘れてしまえばきっと楽になれるだろうに、なんて残酷で――なんて、救われない。はらわたが絞られるような哀切あいせつだった。
 しかしそれ以上に、唯一完全と言っていいほどに心を開いていた者に忘れられなかったという汚い安堵がどうしようもない至福を生んでいることにも気づいた。

 感情の波にのまれながら、声の無い静かな叫びをあげた。




(最低な主人だ)



― ― ― ― ―
*補足

・<映画>
 (英)film、(米)movie

・感情によって涙の味は若干違うらしいです。

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