「××」 1/2
――これは回想と括ってしまうにはいささか最近な気もするけれど。
母はミュシャが描く女たちのようなたっぷりとした美しい茶髪を持っていた。真っ直ぐと呼ぶにはやや癖があるが、癖毛と呼ぶには真っ直ぐ過ぎる気もする髪が日差しの下では暑がるように赤毛になりながらも、歩く度にふわふわと空気に踊るのを後ろから見るのが嫌いではなかった。
父は極めて薄い金髪を持っていた。母とは異なり真っ直ぐで細い髪は、指を通せばきっとするするとビロードのようによく滑り、手櫛だけでも美しく整えられてしまうのだ。妹は父の髪質を受け継いでいる。
そんな二人の間に生を受けたはずの自分であるが、何度鏡の前に立とうが、鏡の中のつまらなそうな顔をした男が持つ毛色は乳白色だった。
アルビニズムの白髪ほど透き通ってもいなければ、プラチナブロンドほど美しい輝きがあるわけでもない。それだけならまだしも、まるで薄汚れた白鳥の羽のような色をした髪に、不規則に赤みがかった毛束が混ざるのだ。元の髪色が薄いせいか桃色と表現するのが早いだろうか。良く言えば桜の薄紅色、悪く言えば中途半端に漂白し損ねた赤毛を斑に持つ姿は一族の誰からも浮いていた。
村人に危害など加えた覚えもない、むしろ大人しく息を潜めて利口に生きてきたはずだ。だのに周りの大人たちは容姿だけで俺を恐れた。子供たちも大人に言われて近づいてこようとしない。まるで『触らぬ神に祟りなし』とでも言うように、あるいは神に捧げる生贄を育てるかのように一歩も二歩も引いたところから、左右の釣り合わない偽善の笑みを浮かべてくるのだ。
俺たちクルタ族の眼球は興奮状態になると鮮やかな緋色に輝くらしい。ただ単に虹彩に色が無く眼底の血液の色が透けているだけでは輝きはしない。どのような構造をしているのか不思議でならないが、宝石と並べても遜色のないほど、否、世界七大美色の一つに数えられるほどであるからただの宝石よりもずっと美しい色を持つとのことだ。
実際に周りで緋の眼になった人を見たことがないから聞き及んだ範囲でしか知らないが、とりあえず相当に綺麗なのだと思う。
そして興奮状態で死を迎えるとその目には緋色が定着し、永遠に鮮烈な色を放つ。ほかの民族ではあり得ないその身体的特徴がゆえに、昔からクルタ族は恐れられたり狩猟者に狙われてきたらしい。だからクルタの民は人が訪れることのないような自然に囲まれたこの森で隠れるように暮らしているのだ。
俺が生まれる少し前にこの地――ルクソ地方へ移ってきたらしいが、またいずれどこかへひっそりと移るのだろう。
そんな特種な民族性のせいか、この村の人は仲間意識が非常に強い。まるで全員を血の分かち合った兄弟かのように見るのだ。
外の人間を民族に迎えることもあるが、多くは内々での繁栄であったからして、実際に血の繋がりは薄くはないだろう。近親同士で交わり続けると異常が起こりやすくなるらしいが、もしかしたら俺のこの姿形もそのせいなのかもしれない。
閑話休題、仲睦まじいことは微笑ましいことでもあるが、時折危うさすら感じられる。少なくとも俺や俺の親の世代には緋の眼狩りの被害は無かったらしいが、もし今緋の眼狩りが起こったら、などと考えると笑えないものだ。復讐に乗り出す輩がいないとは思えない。
そして、仲間意識が強いということは異端児にはその逆だということに繋がってもなんらおかしくはない。実際俺に対する態度がそれを如実に表しているだろう。
――俺は悪くないのに!
何度そう心の中で叫んだか、もう数えることもできやしない。勝手に産んでおいて随分と勝手じゃないか。子供は親を選べないのだ。
そうは思っても、どこへ行くにも気味悪がられ、ろくに顔も覚えていない大人たちに迷惑そうな表情を杜撰に隠される度に俺が謝っていた。
しかし子供に親の選択ができないのと同様に、親も子供を選べない。だからこそ、両親にも一度だけだが謝ったことがある。
「こんな姿で生まれてきてごめんなさい」
その時、この姿については俺にとってはもはやどうでもよくなりつつあることだったが、望むことも想像することもしていなかったであろう子供の容姿が原因で、俺を捨てずに育ててくれた親まで村の者から避けられていたら申し訳ない――そう思っての言葉だった。それは紛れもなく本心だった。
しかしやはり俺だってすべてを置いていけるほど器用な人間でもなく、それを言った時、内心どこかで「貴方は悪くない」と言ってくれる気がしていた。そこに希望を見出していたことを、口に出して初めて気づいたのだ。――ただの願望に終わることをすぐに突き付けられたのだが。
「本当に何でそんな姿で……」
母の疲れた顔と尻すぼみに掠れた声は今でも鮮明に思い出すことができる。言い切ることもできていないたった一言がとても重たかった。粉々に崩れて消えてしまいそうだった。暗く冷たい水の中で窒息してしまいそうだった。期待していたことへの羞恥と絶望が巨大な気味の悪い無形生物となって、深淵の大口を開けて俺を飲み込まんとしていた。
けれど母はその言葉を特に意識して言ったわけでは無いらしい。真っ直ぐに立ったまま泣くこともできず呆けている俺を見て我に返ったのか、さっと青ざめると上っ面の笑顔で気まずそうに話を逸らしたのだった。
その日はいつもよりも少し豪華な夕食だった。
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