003 2/4
side:???
「どうやら
あ
(
、
)
や
(
、
)
つ
(
、
)
は掟を破っていたらしい」――長老様から村の者たちに伝えられたその言葉はオレたちを驚かせるのには十分だった。平和に過ぎていた温かな時間が一瞬にして跡形もなく消え去り、緊張が走る。
「緋の眼が外の人に知られたらどうしてくれるのよ……」誰かがさめざめと涙を流した。
「緋の眼狩りなんてことが起こってみろ、殺してやる!」誰かが声を荒げた。
「すぐにでも移住するべきだ!」誰かが主張した。
混乱して泣き喚く声、反対に無口になる者、子供を抱きしめる者――反応はそれぞれ異なったが、皆共通して恐れを抱いていることに変わりはなく、それと同時に民族を喪ってたまるものかとでも言うように爛々と緋色を輝かせた。
話し合いの結果、結束の強いオレたちはアイツが逃げないように、帰ってきたところを協力して囲おうということになったのだった。
帰ってくるのは日没前後だろうと、日が傾き始めた頃に皆は準備に入る。オレは隠れずに長老様の一歩後ろにいることになった。逆上して暴れでもされたら厄介だ。しっかりとお守りしなくては。
結局アイツが帰ってきたのは日が落ちてからまだそう時間が経っていないときだった。少しだけ頭を垂れて歩くその姿は普通の子供よりも大人びたようにオレたちの目に映る。
「待っていたぞ、アイヴィー」
長老様が声を掛けるとアイツは立ち止まって顔を上げた。その間に隠れていた者たちが出てくる。もう逃げられない。それなのにアイツは動揺なんて少しもしていないかのように、平然と立っていた。
「なぁに、長老様」
角の無い、丸みを帯びた声を久しぶりに耳にする。ルーファス家にはもう一人、アイツの二歳下に女の子がいるが、男女の差はあれどやはり兄妹なのだと感じざるを得ない似通った声質だ。変声期も迎えてはいないだろうその声はとても子供らしい。子供なのだから当たり前なのだが、それはわざと作られたもののようだった。
「……っ」
長老様を真っ直ぐに見据えたその目を見て思わず息を飲む。そもそもアイツが××と
囁
(
ささや
)
かれるようになったのはその目と髪の色によるものだった。しかし今オレが息を飲んだのはそんなことが理由じゃない。
――目に光がない。
それがこんなにも恐ろしいだなんて思いもしなかった。そこに立っているのはオレたちの行動一つ一つに顔を歪め、いつも謝っているばかりだったアイヴィー=ルーファスではない。そもそもいつからまともにアイツの目を見ていなかっただろう。
子供らしく発されたその声の主がそんな暗い瞳をたたえていることが奇妙で気持ち悪い違和感を生み出していた。自分の頬に冷や汗が流れるのを感じる。
「森を出たことがあるらしいな」
「そうだね」
悪気もなく返されたその言葉に皆がざわめく。やっぱりこいつは異端児だ。
「それは重大な掟破りだと知っているはずじゃが」
「ああ、知ってるよ。でも誰も止めなかったじゃないか。……誰も、だ」
強調するように繰り返されたその言葉はオレたちを責め立てていることを少しも隠してなどいなかった。アイツの周りに駄目だと言う人がいなかったのは事実だ。
「知っていれば止めたわい」
「少しも気になんかかけなかっただろ。知りたいんだったらそれなりの態度を見せろよ。俺に関わりたくないと思っている奴らにどうしてわざわざ丁寧に言ってやる必要があるの」
少し強い口調で言われたその言葉に長老様は黙ってしまう。子供らしくない達者な口だ。可愛げの欠片も無い。
「安心してよ。クルタ族のことは何も言ってない。どうせ俺が外に出て怒っている理由なんて、俺を心配したからじゃないんだ。クルタ族のことを知られたら……だろ?」
見透かされたようで再度息を飲む。そこまでわかっていたとして、それを消化して自分の口から告げることがどうしてただの子供にできるだろうか。長老様の言葉に興味ないように淡々と答えていくアイツの目はやはり子供の持つそれではない。
「それなら勝手に出ていくよ」
大きなため息が落とされる。生意気な姿に苛立ちがふつりと湧いた。堂々と宣言するなどいい度胸だ。何としてでも止めなくては。アイツは常に緋の眼の状態なのだ、絶対に森から外へ出すわけにはいかない。仮にオレたちのことが知られたとして、最悪の場合どれだけの人が死ぬのだろうか。想像もしたくない。
捕らえたら今後はきちんと繋いでおかなければならないことになるだろう。もしそれで××の
逆鱗
(
げきりん
)
に触れ災いが起きようが、緋の眼が広まる以上の脅威はない。緋の眼狩りさえ阻止できれば上々だ。
「どうやってここから出ていくというのだ?」
長老様の言う通りだ。四方囲まれているこの状況で逃げられるはずがない。アイツが脱走の意を示した時点で捕まえ次第どこかに繋いでおける口実ができた。
流石
(
さすが
)
にオレとてそれに対して心が痛まないわけではないが、仕方ないものは仕方ないのだ。
「
不思議な文房具
(
マジックステーショナリー
)
……
秘密のノート
(
シークレットブック
)
、
欲張りな黒いペン
(
グリードブラック
)
」
呪文のようにつらつらとアイツは何かを唱える。常よりも抑揚の薄いそれは、聞いた直後でもすぐに脳内からするりと抜け出てしまった。脳の処理が始まる前に続けざまに言葉を並べ立てられては記憶することも叶わない。
そんななか、アイツはいつの間にか一冊の本とペンを持っていた。そして今まで垂れ流していたオーラを
纏
(
まと
)
い出す。……念が使えるだなんて。
それならば今の言葉はあらかた発動条件の一つというところか。発動条件に組み込まれるということは、それが
枷
(
かせ
)
の役割を担うからだ。そうして便利な力とのバランスを取る。つまり、今の言葉はアイツの能力の内容を少しでも
仄
(
ほの
)
めかしているのだろう。……きちんと聴いておくべきだった。
しかし、不思議だ。念などアイツには教わる相手なんていなかったはず。もし自分一人で会得したのだとしたら、いや、たとえ誰かの力を借りていたとしても、この年で念能力を扱えるようになるなどある種の異常だ。将来を考えただけでも恐ろしい。
「……アイヴィー、念を覚えたのか」
「……これ念っていうんだ?」
どうやら誰かに教わったわけではないらしい。生まれつきの能力者というわけでもないはずだから、何かの拍子に自然に発現したと考えるのが妥当だろう。よりにもよって、××にそんなことが起こるだなんて。
「末恐ろしい奴じゃ」
長老様のその言葉につくづくその通りだと歯を噛み締める。アイツが右手に持ったペンで何やら本に書き込むと、何もなかった空間に一つの物体が出てきた。易々と念能力を発動させてしまったことを後悔してももう遅い。具現化されたそれをペンを持った手で取ったアイツはそれをこちらへと見せ、口を開いた。
「これ、何かわかる?」
「手榴弾か」
「今テキトーに出しただけだからどれほどの威力になるのかは自分でもわからない。そういや手榴弾って最低でも半径十五メートル以内はそれ自体の威力で軽くても重症、半径五十メートル以内は飛散物で重症、半径二百メートル前後でも怪我をする場合だってあるらしいよ」
どこでそんな知識を得たのだ、とは訊けなかった。普通の人間ならば持つはずのない、必要の無い知識。その上、物騒なことこの上ない。そんなものを持つことになったのはオレたちのせいなのだろうか。
「そんなものを使うなんて戦争って狂ってるよね」
子供の手には似合わない、ごつごつとした飾り気のない物体をアイツはまるで手持ち無沙汰を慰めるための玉遊びでもしているかのようにぽんぽんと宙に放っては、掴むを繰り返す。
言葉に偽りは感じられなかったが、だからといってそれを嘆いている様子も無かった。狂っているということに対して“狂っている”以上の感情を持ち合わせていない、とでも言うべきか。
普通の人間ならその言葉だけでも語り手の感情を察することは可能だが、アイツは好ましくも思ってもいない代わりに、非難しているわけでもない。酷く中途半端で気味が悪い。――いや、そんなことを考えている場合ではない。とにかく、今はアイツを止めなければ。
「……さ、逃げなくてもいいの? まさか見せつけるためだけに出したなんて思ってるわけじゃないだろ?」
手榴弾のピンに指を通したアイツがゆらゆらと手を揺らした。重みでいつピンが外れてしまうかと思うと気が気でなくなってしまう。
「……正気か?」
耐えられなくなり
咄嗟
(
とっさ
)
に言葉が口を
衝
(
つ
)
いて出た。しかしアイツは冷ややかな目をオレたちに向けただけで、先ほどまで雄弁に語っていたその薄い唇を開くことはない。一生わかり合えない、そう思った。
「三十秒……いや、老人や小さい子もいるから一分、かな。それくらいあればある程度マシな場所へ逃げられると思う」
「その時間、待つと?」
「馬鹿だな。それ以上は待たないと言っているんだ」
言い終わるかどうかといううちに、アイツは再び何かを書き
綴
(
つづ
)
って巨大な砂時計を具現化させた。具現化系だろうか。今のところ特殊な力を備えた物体は出していないと思われるが、その代わりに好きなものをいくつか出せるのかもしれない。
「そろそろ始めようか」
それはまるで天気の話をするように穏やかな声だった。アイツは砂時計の
硝子
(
がらす
)
の表面に触れると、歯車へと繋がるレバーまで歩きながら指先を滑らせる。下腹が出た水風船のような
硝子
(
がらす
)
に透けたアイツは歪みで普段よりも一回りも二回りも奇怪に伸ばされ、失敗作の人形を
彷彿
(
ほうふつ
)
とさせた。
数秒も経たずして、痩せぎすの小さな手が、握った棒状のレバーに力を込め出す。誰かが止めようとした声も無意味に消えた。重たそうなそれはぐらりと一度大きく傾いたものの、
起き上がり小法師
(
ローリーポーリー
)
のようにすぐに元の位置に戻った。しかしまたゆっくりと傾き始め、砂が溜まっている下部が地面から離れていく。
「まるで悪いと思っていないわけじゃないんだ」
アイツは子供特有の大きな瞳でオレたちを見回すと、その幼い顔に邪気の無い笑顔を厚く貼り付けた。「お前らのことは大っ嫌いだけどな」その言葉を最後に、砂時計が回りきる。オリフィスを抜けた砂が小さな山の形成を始めた。
「ほら、早く逃げろよ」
止める間もなく残酷に開始されたカウントダウン。アイツは自分のしようとしていることがわかっているのだろうか。冗談などでは済まされない。
夜の闇が濃くなり始めているなか、さらさらと静かにこぼれ落ちていく砂の音だけが聞こえていた。誰もその場を動けない。
××だけは暗い瞳に似合わぬ柔らかな微笑みをたたえていた。
(P.12)
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