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 幻影げんえい旅団りょだん――その団体を知っている者はこの世界にどれだけいるだろうか。また、その者たちはどのような認識を抱いているだろうか。
 高価な物が懐にある人々は盗賊集団として身を震わせているかもしれないし、親しい者を弔った人々は殺人集団として忌み嫌っているかもしれない。A級賞金首として金儲けの対象としてしか見ていない人々だっているだろうし、変わらぬ日常を送る人々はテレビや新聞の中だけの話だろうと、明日も変わらぬ日常がやってくると信じて疑っていないのかもしれない。
 そんなことはどうでもいい。幻影旅団が悪逆非道な事をしていようが、善道に列をなして進む慈善団体だろうが、幻影旅団が幻影旅団であることに変わりはなく、また俺がその団体に救われたことにも何一つ変わりはない。


「……まあ、生きている間生きようじゃないか」


 夜の入り口。しかし薄暗いと言うにはやや暗すぎる新月の夜、いつもの如く団長の命令で俺らはアジトへと集められた。団長の代わりにシャルの口から今回の目的の品がいわく付きの古書だと聞いて、そんな諦めにも似た言葉が口から漏れる。
 アンダーグラウンドでちらほらとその古書の噂を耳にするようになってからというもの、近いうちに団長が旅団(クモ)を動かすだろうとは思ってたが、やはりそうだった。
 きっとシャルは今回も情報集めにこき使われたのだろう。情報の分野に関して、シャルナーク=リュウセイという男の手腕は他の追随を許さない。
 まったく、団長も物好きだ。俺も本は好きだが、いわく付きの本を盗んでまで読みたいとは思わない。正直な話、厄介事は勘弁だ。みんなは怖くないのか? 俺は怖いぞ。
 しかしその気持ちも団長の「欲しい」の一言でため息へと消化される。
 団長のクロロ=ルシルフルをわがままだ何だと言っておきながら、この幻影旅団に属している者でわがままでない者など一人として存在しない。ただその中でクロロは飛び抜けて欲深で、それを含めて愛されているのだ。
 産まれた時点では一つあったはずの俺らの年の差もの重ねで二十歳を迎える前にすっかり同い年となってしまったが、わがままなその姿勢は時折出会った頃のように幼く俺の目に映る。
 年齢差が埋まることはあり得ないと指摘されたら『俺らのことをもう少し知ってから言ってくれ』とでも答えようと思う。そんな機会、来ないとは思うが。


「なっ……お前、ほかの警備員やつはどうした?」


 毎度お馴染みの無駄に厳重な警備をウボォーやフェイなどの好戦的な奴等が片っ端からオーバーキルしていくのを、『あいつらよくやるよなあ』なんて思いながら進んでいった通路の先には警備員が三人、肩幅ほどに足を開いて立っていた。
 運のいいことにどうやら今回の活動で念能力は必要なさそうだ。彼らの生命エネルギーは冷めかけた湯のように微量ずつ立ち昇っては空気中に霧散している。平凡を装っている様子もない。


「ああ……ほかの奴らが挨拶してるよ。アンタらは駆り出されなかったのか? よそは酷い有様だぜ」
「オレたちの役割はこの部屋の品を守ることだ」


 思っていた以上にご立派だ。俺らとは大違いの、正しい人間。
 まだ見ていないからわからないが、目的の物はこの先の部屋にあるのだろう。馬鹿でかいこの美術館の中で、どうやら俺の進んできた道が正解のようだ。運がいいのか悪いのか……まあ、旅団クモに貢献できるのだから前者ということにしておこう。「アイヴィーって、立ち位置の割に結構怠け者ですよね」なんていわく付きの物だと知って渋っていたらシズクに言われたが、これで少しは働いたことにしてくれるだろうか。


「警備員さん。正直な話さ、俺もいわく付きの古書なんて欲しくねえんだ」
「……なら、この部屋は見なかったことにして帰ることはできないのか? オレたちの仕事はこの先を守ることであってお前を捕まえることじゃない」
「そうしたいのは山々なんだが、見つかりませんでしたなんて言ってみろよ。団長が拗ねて美術館ここは灰になるだろうな」


 きっと俺は念能力で美術館を水槽と錯覚するほどの大量のガソリンを出させられて、魚もとい美術品など知らぬ存ぜぬで誰かしらが着火するのだ。灯油と違ってガソリンによって燃える炎は対象が燃え尽きるまで消えることはないと考えていい。
 これだけ立派な美術館だ、展示されている物はさぞ価値があるのだろう。学の無い俺でもそれくらいはわかる。灰コースの被害総額は一体何桁になるのか、考えるだけで同情してしまう。


「しかし……」
「しかし? おいおい、これをおねだりとでも思ってんのか?」


 だとしたら、なんて可愛げのないおねだりだろうか。深窓の令嬢ですら、プレゼントしてくれないなら燃やしちゃうぞなんて言わない。


「俺とアンタらはまだ狩場でジョークを交えるような関係じゃない。これは俺が有利な交渉だ。アンタらが考えるべきは最悪をいかにしてけるか――それ以上は頭を使うな。そして今アンタらが求めるべきは命の保証だ。死にたくないだろ? 生きている間くらい生きようぜ」


 彼らにとって難しいことを言っている自覚はある。もしかしたら拳銃の一つでも使えば簡単に倒してしまえるような男一人――その“もしかしたら”が彼らの思考を鈍らせる。
 賭け事は安全策に走っては最終的な勝利はほとんど不可能に等しいが、ここを賭場だと考えてはいけない。賭け事にもならない圧倒的な戦力差だ。
 そしてその差は俺の、俺たちのこれまでの努力でもある。誰しも最初から強かったわけではない。素質というものの存在はもちろん否定しないが、世間一般で幼馴染と呼ばれる者たちが全員何も無しに強者となることなどそれこそあり得ない。それがなぜ揃いも揃って強くなれたのか――群れるにあたり、自分の実力を高める必要があったのだ。口には出さずとも、『弱ければ見限られる』誰しもがそう思っていただろう。育った土地も影響しているだろうか。仲良しこよしをするだけの集団ではない。


「俺以外の奴がここに来たら問答無用であの世行きの片道切符を切られるんだ。ここは運の良かった自分を可愛がって通らせてくれよ。な?」


 本を読み、世界を語り、不条理に耐え、駆け、手を伸ばし、糸を織りなし、無理矢理にでも隣に並び続けてきたからこそ今がある。
 それなのに少し見ただけでもわかる、これまで強者になろうともしてこなかった者に逆転可能と思われるのは少し気に食わない。俺も交渉だなんて優しい言葉を使ってやったが、言いたいことといえば『従え』、それだけだ。


「……通れ」
「ん、ありがとな。アンタらは抵抗する間もなく気絶させられた。そうだろ、おじさん?」


 三人は苦々しい顔で道を開けた。この美術館での生存者は彼らだけになるだろう。貴重な目撃者だ。ぜひとも警察やブラックリストハンターは報酬を与えてやってほしい。
 中は中央に一つ展示スペースが設けられているだけで、ほかの展示物は何も無かった。ガラスケースを覗く。「これか」なるほど、たしかにおどろおどろしい雰囲気を持っている。触りたくねえなあ。
 拳を下ろすとガシャンと音を立てて硝子がらすが粉々に崩れた。普通に痛い。これだけ細かく砕けるということは強化硝子がらすだったのだろう。通常の物だったらナイフにもなる尖った破片で手袋に傷の一つでもついていたかもしれないからこちらとしては非常にありがたい。
 けたたましくサイレンが鳴り響いた。十中八九、俺が盗ったからだ。誰が品を盗れるかの競争に参加していなかったせいか、ゴールのファンファーレと呼べるような気持ちのいい音には思えなかった。
 本のタイトルはかすれていて読めそうにもない。
 耳を塞ぎたくなるような、明らかに鼓膜を殺りにきている音のなかで何か機械の音が聞こえたような気がして顔を上げると、先までは無かったはずの銃口に似た何かが天井の四方から顔を覗かせていて、改めて警備の厳重さに呆れが生まれた。


「げっ」


 そんな怠慢も束の間、間の抜けた空気の音と共に視界を濁すものが放出され始めた。「ガスか……」俺はどこぞの暗殺一家のように毒に耐性をつける訓練など行っていない。
 致死性のものだとしたら致死量吸えばすなわち死だ。逃げるに限る。
 気づけば閉じられていた扉を蹴破って再度警備員と顔を合わせる。「驚いた。アンタらも結構残忍だなあ」三人はガスに気づいた先ほどの俺とおそらく同じような表情をしていた。


「アンタらが扉を閉めてくれたおかげで俺は死んでいたかもしれない。人殺しになる度胸もないだろうに、やったのは自分一人じゃないから……なんて思いでもしてたか?」


 みるみるうちに男たちの顔が洋紙のように青めていく。やはりひたすら真っ当に生きてきた者たちなのだとそれだけで理解ができた。
 一歩前に進むと二歩下がられて、どうしたものかと頬を掻く。少し悩んだものの、「怖がらないでくれ」と微笑む形に筋肉を動かせば容易たやすく緊張が薄れた。笑顔はそれなりに得意だ。正確には得意になったと表現するべきだろうか。


「別に責めているわけじゃないんだ。自分以外の誰かがいてくれているってのは大きい。非常に大きい。俺も初めて人を殺めた夜、それを実感したもんだ。『嗚呼、こいつがいてくれてよかった』ってな」


 忘れもしない十七歳の十二月二十日、あの日は昼過ぎからぽつぽつと長年の恋に破れた女が流す涙のような雨が降っていて、それが夜にはすっかり雷鳴の伴う大雨へと変わっていた。廃棄物だらけのあの街でその雨はきっとさまざまな汚いものを洗い流しただろう。それと同時にあらゆるものを剥き出しにもしたのだろう。
 俺もクロロもそのうちの一人だった。綺麗な部分がすっかり剥がされた夜は、しかし酷く心地好かった。あの苦い紙巻煙草も、暖炉で散る火花も、残らない足跡も、心臓に届く雷鳴も、首の上で重なる冷えた手も、髪から滴る水滴で濡れていく着たばかりのシャツも、髪を乾かし結んでくれた時に頭皮をかすめていた指も、蝋燭ろうそくの火に照らされて暖かな色を帯びた銀食器も、美しい歯列の奥に消えていく肉塊も、すべてがいとおしい夜だった。


「だが、覚えておけよ」


 念能力でガスマスクを三人分具現化させて、床に放る。俺はこのまま立ち去るだけだ。特に必要にはならない。
 利き毒だなんて人間をやめた技はできないからして、繊維やゴムを通過してしまい普通のガスマスクや防護服では防げないびらん剤――名前の通り、皮膚が酷くただれてしまうもの――だった場合は大変苦しんでいただくことにはなるが、歴史上最も人を殺したとして有名なマスタードガスは遅効性であるし、極めて持続性が高いため美術館という大衆を呼ぶ場所で使われることはないだろう。
 今のところ皮膚が焼けるような感覚やその他刺激を感じていないから即効性のルイサイトでもない。
 催眠ガスなんて生易しいものではなく殺す気でいたとしても、塩素ガスやホスゲンあたりでいてほしいところだ。


「何の代償も無しに人の生を奪えると思うな」


 ガスマスクを拾い、装着しようとしていた彼らの手が一瞬だけ止まった。やっぱり生きたいんじゃねえか、なんて思いながらもそれを口にすることはせず、その横を通り過ぎる。
 左手に持った古書は手袋越しにはわかりづらいが、おそらくざらついている。さっさと渡して、クロロが読んだら内容だけ教えてもらおう。


「がッ……!」


 警備員の一人が口から血を吐いて倒れた。ガスマスク越しの声はくぐもっていて、男の声を一層苦しそうに仕立て上げた。男は絶命している。


「……あのよ、後ろからが卑怯とかそんなことは言わないぜ。だが、さっきの言葉をもう忘れちまったのか? 殺そうと思えば俺はいつでもアンタらを殺せるんだ。そしてその逆は不可能だろうな。死にたくねえだろ? 見逃してくれよ」
「ははは……そりゃー、死にたくねぇわな。家に帰りゃ温かい風呂も飯も、オレには勿体ねぇ美人なカミさんだって待ってんだ。テメーにはいねぇだろ」
「生憎」


 ひょいと肩をすくめて帽子を被り直す。妻をめとるなど考えたこともなかった。だが俺も二十六歳だ。子供の一人二人いてもおかしくはない。


「だけどな、ここで怖がって仕事を放棄することもできねーんだ」
「損な性格してるな、アンタ」
「自分でもそう思うぜ。同情でもしてくれや」


 銃口をこちらに向ける二人の手はカタカタと小刻みに震えている。冷や汗だって尋常じゃない。たかだか一発の打撃で仲間の腹に穴が開けられたのだから、その反応は当たり前っちゃ当たり前かもしれないが。
 あー、どうしてこう思い通りに事って進まねえのかなぁ。


「ごめんなあ。アンタらの家族が復讐に来れたらもてなすよ」


 紅茶とケーキでも出しときゃいいだろ。……テキトーすぎるか? まあ美人な奥様らしいから、実際に目の前にしたらもてなす意欲も湧くはずだ。せっかくだ、求婚してみるのもいいかもしれない。指輪を手に『よろしければ次は俺にしてみませんか』なんてひざでもつけば迷うくらいはしてくれるだろうか。刺されたらマチに手当てをしてもらおう。確実に罵られそうだが。
 また二つ、命が落ちる。
 彼らはこの新月の夜を死なずに越せるという素晴らしい幸運の持ち主だったのに、愚直な性格が災いしてしまった。今しがた身を投げ出すように倒れた二人のうちのどちらが美人の奥さんがいるんだったか。美人の怒った顔って迫力があるんだよな。わざわざ来てくれることは嬉しいがやっぱり復讐なんてことは考えないように祈っておこう。


「生きている間くらい生きろと言ったものを……」


 死体に言っても意味なんてないが。


「……の言葉はあまり流さないほうがいいぞ」


 ため息をこぼす。
 それよりもこの手袋の血、後で消さないとなあ。
 早く戻ろう。美人の妻は待っていないが、わがままな団長は待っているのだ。

(P.2)


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