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side:Conan Edogawa


 威厳を持った構造かまえを見せるのはおっちゃんの依頼人である設楽蓮希さんが待っている屋敷だ。
 一見して古そうな印象は受けるが、かといって劣化を感じさせるわけではない。外壁に伸びるツタが雰囲気とよく合っていて、きちんと手入れがされていることがうかがえた。
 敷地内に心地好く流れるバイオリンの音色はこの家の品格を一層強固なものにしている。


「毛利小五郎様……? 旦那様はそのような方とお会いになる予定はございませんが……」


 オレたち三人を出迎えたのは執事の女性だった。
 おっちゃんが蓮希さんからの依頼だということを伝えると、態度として表立ったものはないものの女性の警戒はわずかに解かれたように見えた。


「蓮希お嬢様ならただいま別館でバイオリンのお稽古を……ホラ聞こえますでしょ?」
「じゃあさっきから聞こえてたこの曲、生演奏だったんスか?」
「何のお約束かは存じませんが、あまり稽古の邪魔をなさいませんように……。お嬢様は今夜大切な演奏を控えておられますので……」


 多少の不服は残っていてもどうやら客人として認められたらしい。屋敷へと歩きだした彼女についていく。
 おっちゃんが今夜何があるのかと尋ねると、彼女は首だけで振り返り屋敷の主人の誕生日会なのだと教えてくれた。


「まったく……設楽家当主のお誕生会だというのにお嬢様まで招待状のない余所よそ様を連れてくるだなんて」


 呆れを隠さない溜め息の後で「賑やかになるのはいいことですけれど」と付け加えられる。
 口振り的に蓮希さんがおっちゃん以外にも依頼を出しているわけではなさそうだ。


「お忙しいところすみませんでした。わたしたち以外にもお客さんがいらっしゃったんですね」


 長い廊下を背筋をしゃんと伸ばして歩く彼女は振り返ることなく「響輔きょうすけ坊ちゃまが外国のご友人を」と蘭に答えた。
 それを聞いて真っ先に頭に思い浮かんだのは不思議な髪色をしたあの人だった。
 ……意識がまだ戻っていないとき、死んだように眠るのを見た光彦たちは青い顔で本当に死んでいるんじゃねーかって尋ねてきたっけ。
 ベッド横の椅子に腰掛けて待っていたマチという女性もオレたちが話し掛けない限り一切の動きを見せないものだから病室全体が実は絵画か何かで、オレたちが迷い込んでしまったのかもしれないという気にさせた。
 マチさんの気配は不思議と少し朧気で、眠りを配慮しているようにも、草むらに潜んで狩りの機会を待つ肉食獣のようにも見えた。オレたちが変な動きでもしようものなら二度と言葉を交わせなかったかもしれない。
 そんなことを考えているうちに目的の部屋に着いたらしい。バイオリンの音色は扉の向こうから聞こえていた。


「蓮希お嬢様! 毛利さんという方がこちらにいらして……」
「ええ? 本当に来てくださったんですか!?」


 だだっ広い部屋の中で立っていたおよそ二十代前半の女性がこちらを向いて顔を明るくする。
 蘭に灸を据えられる前におっちゃんのデレデレとした締まりのない表情が元に戻ったのは、男が突然部屋に入ってきたからだった。「おいおい、いいのかい? 蓮希ちゃん……」彼の髪と髭は加齢ですっかり色素が抜けている。


「練習サボってて。今夜は君が、君のお父さんの代わりに調一朗兄さんの前で()るんだろ? アレを使って……」


 おっちゃんが受け取った依頼の手紙には設楽家のことも書いてあったためある程度は把握できている。
 調一朗さんを兄と言っていることから彼は三男の弦三朗げんざぶろうさんだろう。次男の弾二朗だんじろうさんは亡くなっている。
 消去法によって導きだした答えは、執事が彼の名前を呼んだことですぐに正解だとわかった。


「弦三朗様! 帰ってこられるのなら連絡ぐらいしていただかないと困ります!」
「酷いなぁ……こっちはオーケストラの打ち合わせを途中で切り上げて駆けつけたっていうのに……」


 弦三朗さんは苦い顔で執事を見た後、大きなあくびを一つしてから仮眠をとりに部屋を去っていった。
 彼は絶対音感はないものの有名な指揮者らしい。蓮希さんから紹介を聞いていると、近くを通っているらしい救急車のサイレンがこの広い部屋に割り込んできた。
 それに被せるように「シーソー、シーソー」と音階名を呟く低い声も少し離れたところから聞こえる。声を辿たどって窓際に携帯電話を耳に当てた男性が座っていることに気づいた時にはサイレンはドップラー効果に呑まれてラとファに近い音になっていた。


「あ、悪い……。今近くを救急車が……。そうそう……昨日きのうの曲なんだけど、BPMを――」


 外を眺めながら通話する彼は小説の挿し絵のように様になっていて数秒の間目を離すことができなかった。それはすっきりと美しくまとまった物語であるに違いない。外にいた時はなんとも感じなかった微風も彼の背後にある窓から入ってきたならば肺を落ち着かせるものに変わる。


「絶対音感の持ち主でテレビドラマのサントラを何本も抱えている天才作曲家――羽賀はが響輔きょうすけ叔父様です!」


 蓮希さんが自分のことのように嬉しそうに紹介した彼の名前はつい先ほど執事が言っていたものと一致する。たしか……当主と関わりのない外国人を招待したんだよな。


「あれれ? 執事さん、ボクたち以外にもお客さんがいるって言ってなかった?」


 好奇心を埋めるために子供らしく尋ねてみると、執事の代わりに通話を終えていた響輔さんが窓の外から目を離して「彼のことかい?」と微笑んだ。


「彼は僕の招待でね……主役のジイさんとは面識がないんだ。律儀にも挨拶をしてくるって出てってからいい頃だし……もうじき戻ってくるさ」


 なるほどな、外国人としか聞いていなかったが少なくとも日常会話程度であれば日本語も話せる男性か。もし日本語の理解に貧しければ通訳として響輔さんも同行するはずだ。
 なぜ面識のない外国人を誕生会に呼ぶのか推測の一つも立てられないが、オレが頭を悩ませる前にギイと蝶番ちょうつがいの音が空気を軋ませた。


「――ほら、おでましだ」


 響輔さんを見ずともその口もとが楽しげに上がっていることがわかる声だった。答えを確認する必要はない。否、できなかった。
 部屋に姿を見せた男から視線をらせなかったから。
 それは場違いと言うべきか、異質と言うべきか。
 昼間は半袖でも十分な時期であるのに真っ暗闇のインバネスコートのボタンをすべて掛けて固めた格好の不気味さは、きっとオレだけでなくこの場にいる多くの者の背筋にじんわりと嫌な汗をにじませた。
 幼い頃、黒づくめの三人組が出てくる絵本を見たときの感情が生ぬるくよみがえってくる。
 インバネスコートだけでなく首もとから覗くシャツの襟も、スーツの裾も、革靴まで密度の高い黒色が支配しているが、まるで塗り忘れたかのように肌だけがぽっかりと白い。そこに浮かぶ空と海の境界のような瞳は激しい鮮やかさを持っていないにもかかわらず、縁取られたように際立って見えた。


「帰りてェ〜……」


 耳に掛けられていた黒髪がさらりと一束滑り落ちる。
 それは耳たぶに見つけていた寂しそうなピアスの穴を強調した。
 男の口から飛び出した言葉は想像よりも緩くて気が抜けるが、オレに向く瞳は懐かしさを呼び起こした。


「えっと……お兄さんは……」


 体の線が見えないコートの下には何が隠れているのかわからない。
 カズラを羽織った神父服カソックのようにも見えるシルエットは聖書を抱えているような予想を生む。
 しかし異国の葬儀に参列しているような立ち姿はを隠しているように思えて仕方がないのだ。


「他人行儀だな。一緒に飛び降りた仲だろ?」
「飛び降りぃ? ……ウソ、アイヴィーさん?」
「もうアイヴィーお兄さんとは呼んでくれないのか」
「あっ……えーっと」
「からかっただけだ、悪いな。お前の好きなように呼んでくれよ。そっちのほうが言いやすいんだろ? 今までも、切羽詰まるとお前はそう呼んでたからな」
「気づかなかった……ごめんなさい」


 一風変わった髪色から一変し、柔らかい黒髪になった姿はどうにも見慣れない。知らず知らずあの不思議な色彩こそがアイヴィーさんであると己に刷り込んでしまっていたようだ。
 しかし男の正体がアイヴィーさんであるなら好都合。これといった理由もなく変に距離を詰めるような事を言ってもただの好奇心であると流してくれるはずだ。


「――なんだか喪服みたいだね?」


 だから、ノスタルジアの光を帯びている瞳と対称的に表情が冷えていることには終始気づかずにいたかった。

(P.45)


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