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 まさか本当に事件がこの場で解決してしまうなんて思わなかった。
 床に力なくへたり込んでうつむくポニーテールの女性から視線を外す。
 突然足場が崩れたような衝撃が襲ってきたのはフェイタンの膝掛けにされていたジャケットを回収した直後だった。
 乱気流に突っ込んだと説明するには酷い揺れ方だ。何かに衝突したな。


「エンジンが一つ落ちちゃった!」


 すっかり日の落ちた窓の外を見た子供たちの顔こそが青空を吸い取ったようだった。
 飛行機の構造なんてこれっぽっちも知らないが、口ぶりからしてエンジンは通常複数備わっている。エンジンの脱落――聞こえはかなり悪いが、その想定を一切なく飛んじゃいないはずだ。
 複数のエンジンを付けた状態で脱落事故を想定するならば燃料タンクは当然仕切られているだろう。一繋がりにした場合、脱落したエンジンからすべての燃料が漏れてしまうからだ。
 ジャケットを羽織り直し、子供たちが覗いていた窓に身を寄せて故障箇所を目視する。
 一秒、また一秒と流れ続ける液体をぼうっと無気力に眺めるも、一向に止まる気配の無いそれにチリチリと焦りが着火した。


「どうか思い過ごしであってくれよ……」


 不安定な機体が船酔いに似た不快感を腹底にもくもくと煙らせる。それに気づかないふりをして足早に操縦室へ向かうと、幸いにも扉は開いていて子供たちの不安そうな背中が前に見えた。


「なあ」
「アイヴィーさん! どうしてこの場所に?」
「んな挨拶はいい。ここで燃料タンクについて調べることはできるか」
「燃料タンク? あ、流れ出てる燃料については大丈……夫じゃねぇ! ――クロスフィードバルブが開いてる!」


 知らない用語だ。しかしメガネ君とその隣に座るキッドの様子からその緊急性が頬を切る風のように伝わってくる。
 どこかのタイミングで燃料タンクを一繋がりにしてしまうボタンを押してしまっていたらしい。「一分で三百ポンドとして……」とメーターを見たメガネ君は残り十分程度しか時間が残されていないことを告白した。その上、オートパイロット・滑走路・燃料・無線まで駄目になっているとのこと。


「花は根に、鳥は……」


 脳裏に浮かんだクロロの言葉を反芻はんすうする。
 はたしてこの鉄鳥は墜落したら一体どのようになるのだろう。
 自ら炎へ飛び込んで焼かれ死に、そしてよみがえる火鳥の伝説を目にしたことがある。それは文字という形で紙上で静かに羽休めをしていたが、数分後の未来、本物の熱が尊大に羽を広げるかもしれない。
 短い間だったが今までのどんな毎日よりも息ができた。火鳥というシンボルまでこの瞳に焦げ付いて、いっそ焼き付くしてくれたのならなんて恵まれた日だろうか。
 先ほどまでの焦りなどとっくに忘れてクツクツと喉奥で笑う。
 操縦室から出て席へと戻ると、頬杖をついたクロロが視線を寄越した。


「操縦室は人の入れ替わりが激しいようだな」
「ああ、なんでも燃料がほとんど残っていないんだと」
「墜落の可能性は」
「滑走路が使えず無線も駄目だ。その上、操縦士が毒にやられて乗客が操縦してるよ。あぁ、オートパイロットが落ちたから手動でな」
「墜ちないほうが難しいな」


 頬杖をついていた手が顎へと移動する。一撫でして「ふむ」と小さく言ったクロロはさも朝食を決めるかのように「降りよう」と常識外れの決断を下した。


「団長よお、フツーの奴らだったら自殺発言だぜ」
流石さすがオレたちの団長だ。思い切りがよくて気持ちいいよね」


 上空からの降機に怯む者は誰一人としていない。クロロの視線で言わんとしていることを理解して彼らの分のパラシュートを具現化する。
 戦うことには向いていない念能力でもそれが生きるためには役立たないとは限らない。深い森に身を置くときに必要なのがミサイルでも爆弾でもなく、一本のナイフであるように。


「アイヴィーの分が無いようだけど」


 暗い空を背にしたマチの言葉は風で少し聞き取りづらかった。


「この鳥から古巣への戻り方を教われるかもしれない」
「死なない程度にしなよ。怪我なら大歓迎、ただし欠損はその部位を持ってきて」
「そいつは……えーと……心強いな」


 大した別れの言葉も、そして躊躇ちゅうちょもなく雲へと体を投げ出す彼らを見送る。少しでも油断してしまえば空に手を引かれてしまいそうだ。


「……何の用だ?」
「残念、もっと驚いてくれるかと思ったんですが」


 振り向くと、俺が最初に出会ったときと同じ顔をした青年が雲よりも白い背広で全身を固めて立っている。降機するのはあいつらだけではなかったらしい。


「操縦に飽きたわけじゃないんだろ?」
「ええ、まあ。代理を立てました」


 いや、こんなデカブツの操縦をそう簡単に代理が立てられてたまるかよ。飛行機が初めての俺だってわかるぞ。「ハハー……渋い顔……」「相手が不憫ふびんだと思っただけだ。墜落自体は構わない」「うん? 構って?」どうせなら墜落したほうが美味いだろうが。


「降りるお前がそれを言うかぁ……?」
「オレ……いや、私はリスクのためにここを去るのではありませんよ」
「さあ聞かせてくれ、何のために?」
を灯しに」


 なるほどわからない。さっぱりわからない。
 口ぶりからして墜落を防ぐために必要な何かだとは思うが、しっかり説明しましたみたいな自信満々な表情はやめてほしい。コミュニケーションの自信がさらになくなるだろうが。
 俺の手がキッドの顔の皮を引き剥がしてしまう前に、「――ほ、へ?」扉の外へと足で押し出す。悲鳴とともに急降下していくキッドの白い体は夜空をそこだけ切り取ったようだった。
 グッドラック。

(P.39)


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