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 しばらく水分を摂れていないときに似た頭痛で脳が覚醒する。
 床に触れる指先でカーペットのざらつきを感じつつ立ち上がると二人の男が壁を作るように立っていた。眠りこけてしまったうちに移動させられてしまったのかもしれない。緋の眼狩りには気をつけろと長老のシワよりも多く言われてきたのに。
 これから俺はどうされる? 落ち着け。動揺を抑えろ。これが緋の眼狩りなら緋の眼になった瞬間殺されてしまう。
 そこまで考えたところで脳内に疑問符が湯気のように湿り広がった。何かを置いてきてしまったような感覚がして口をへの字に曲げる。
 ――いつから俺は生きたがりになったんだっけ?
 こんな帳尻の合わない世界なんて追い出されたところで悲しいわけもないはずなのに。……ないよな? 本当に?


「顔色が悪いぞ」


 差し出された無骨な手を取るか悩んだものの、素直に従って立ち上がる。
 を見るような視線の心地好さが反対にむず痒い。××とささやかれない安心感が、緋の眼狩りを警戒しなければならないはずの体の力を抜いた。


「どこだよここ……」


 口からぽろりと疑問がこぼれる。二人はわずかに驚きの色を指先や息に出したが、表情は変わらず落ち着いたままだった。
 黒い男が「クロロ=ルシルフル。旧友だ」と告げて、俺の左鎖骨の辺りをトントンと指先で叩いた。触れても何もわからない。自分では見えない位置のそれに痺れを切らして念能力で手鏡を具現化すると濃い紫色の入れ墨が映った。
 それなりに月日の経ったものだ。しかし青を刺した記憶などない。きっとわかりやすく怪訝けげんな顔でもしているだろうと自覚していると、男は額に巻いていた布をきぬれの音を立ててほどいた。
 隠されていた額の中央には照準器のような模様がある。手鏡で見えた俺のと全く同じものだ。「無理に思い出そうとしなくていい」男は口を開こうとした俺を制した。確認のためにそれを破って口を開く。


「その……どこまで知ってる?」
「お前のことか?」


 ルシルフルの瞳はとび色とは程遠い。確実に外の人間だ。


「目のことは当然、妹の名前も、背中にあるほくろの位置も、鳥から貰ったピラカンサの実を一口目で危険に気づきつつも贈ってくれたことが嬉しくて食べ続けたら結局数日間呼吸にすら苦労することになった馬鹿な子供時代も、それから」
「もういい、もういい! つーか背中にほくろあんの!?」


 目のことを知っているかを確かめたかったのに、まさか自分すら知らないことを言われるとは思わなかった。
 親すら怯え続けるアイヴィー=ルーファスのことをそこまで知っていてとして見てくれているのに応えないわけにはいかない。こいつの言う旧友という関係性を信じよう。


「俺は旧友をただ忘れちまったわけじゃねぇんだろ」


 そんな大切な存在を月日の経過ごときでサッパリ忘れてしまうはずがない。木の香り一つしないこの土地と着た覚えのない服もその予想を支えていた。


「大丈夫だ、一時的に混乱しているだけだろう。焦らずともすぐに思い出せる」
「何でそう言えるんだ」
「花は根に、鳥は古巣に。……いしずえもあるしな」


 何を言いたいのか全くわからない。ルシルフルはそれ以上何かを教えてくれるつもりはないようで、代わりに「ルシルフルじゃなくてクロロだ」と訂正を入れた。
 まだ名前を一度も呼んでいない。「初めて出会った時、お前はルシルフルと呼んでいた」なるほど、先手を打ったらしい。


「アイヴィー、呼んでくれ。その口で、その声で」
「クロロ……」
「慣れないか?」
「いや……こうじゃないと……これが


 喉が、舌が、唇が、その形で馴染んでいる。焦らずともいいと言われた理由がわかった気がした。
 満足げに口端を緩めるクロロからもう一人の細身の男へと視線を移す。「工藤新一です。工藤がファミリーネーム」「……シンイチ?」「大丈夫ですよ、先ほど出会ったばかりなので」「じゃあクドウ」こいつは旧友ではないみたいだ。少し気まずそうな様子に引っ掛かりを覚えたが、知らぬふりをするのには慣れている。
 迫ってきたパタパタという軽い足音を迎えると「ここにいたんだ……」と息を切らせた少年が木の実一つも飲み込めなさそうな細い喉で呟いた。


「その兄ちゃん捕まえてくれたんだね」


 少年の視線はクドウへと向けられている。「げ」と肩を跳ねさせて顔を青くしたクドウはどうやら逃亡中の身だったらしい。小さな歩幅でずんずんと進んでくる少年とクドウの間に入る。


「アイヴィーお兄さん?」
「穏やかじゃないな……」


 いさかいは好むところじゃない。争わずに済むのならそれが一番だ。


「どいてよ、そいつは新一兄ちゃんに成り済ましているキッドなんだ!」
「キッドだぁ?」
「怪盗1412号の通称だよ」


 ははあ、少年の言い分を素直に受け入れるならこいつは立派な犯罪者というわけだ。「お前は怪盗なのか」「あ……はい」「クドウではないんだな?」「その……ソウデスネ」殊勝しゅしょうな盗人もいたもんだな。
 感心しながら、二人の間に立っていた体をずらしてクロロの横へと移動する。無意味な癇癪かんしゃくでないのなら対峙をはばむ理由はない。


「アイヴィー、しばらくは目の届く範囲にいてくれ」
「俺からもお願いするよ。このままじゃ教会を探す羽目になっちまう」
「それは仔山羊キッドへの皮肉か?」
「いいや。迷える身になろうとも怪盗にとって教会は雨宿りにも使えやしない」


 クロロの後をついてこの場から立ち去ろうとするとキッドが「オレを捕まえねーのか?」と背中に疑問を投げてきた。振り向くと拍子抜けした顔がある。


「興味ないな」


 俺に害がないのなら罪を犯していようがどうだっていい。同郷全員の眼球を潰し回ってやろうかと本気で考えたこともあるくらいだ。正義の心は求めないでほしい。
 鬼ごっこが始まった二人の足音が聞こえなくなった頃、静寂に耐えきれなくなったのかクロロは「ここまで雰囲気が変わるか」と口を開いた。


「取っ付きにくささえある」
「愛想を振り撒いたって悲しくなるだけだろ」
「そういうもんかな」


 クロロはただ薄く笑うだけだった。否定も肯定もされない心地好さに体を沈めると自然と口角が緩むのがわかった。
 忘れてしまったのはきっと悪い記憶ではないのだろう。それを証明するのはこの男の存在だった。


「少しぎこちないな」
「は? 怒った」

(P.35)


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