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 細かい技術など何もなくただ力任せに緩衝器を圧縮させて機関室と客室を繋ぐ連環連結器のフックを外す。駅の灯りはもう近くまで迫っていた。
 再び列車の上に乗ると二人が最後尾の貨物室へ向かって走っているのが見えた。ただの巨大な木箱に手ブレーキが付いているとは考えづらい。二人を呼び戻そうと喉を開いて、しかし考え直した。
 子供の目から見ても木箱よりも客車のほうが頑丈であることはわかるだろう。その上でそこで衝撃をやり過ごすと決めているのだから策に違いない。
 急いで貨物室へと飛び移って二人が潜り込んだ天井部の鉄扉から中を覗く。むせ返るほどのアルコールとカシスに似た果実臭が立ち上ってきた。青臭さよりもスモーキーさが目立つ。
 なんと貨物室の中は熟しかけの赤ワインで満たされていた。液体で衝撃を緩和しようという寸法らしい。


「……流石さすがだぞお前ら。よく考えたな」
「アイヴィーさん! 早く中へ!」


 赤黒い海に浮かぶメガネが俺に手を伸ばして叫ぶ。
 今まで内心お兄さんなんて呼んでいなかっただろ、なんて場違いな笑いがこぼれた。
 樽を割るのに使ったらしい斧を中から引き上げて外に投げ捨てる。


「俺はここらで身を引かせてもらうよ」
「オイ、一緒にクリアしねーのかよ!?」
「いいか、俺がここを閉めたら三つ数えて潜るんだ」
「なぁ、何で、来てよ!」
「二人ともしっかりくっついて、どれでもいい、開いた樽に入り込め。水中で一番怖いのは物にぶつかることなんだ」


 一番の危険物は捨てたがそれでも空の樽が多く残っている。
 貨物室の中はもう少しで洗濯機のような状態になるが、樽の中にいれば多少体を打つことにはなっても怪我を負うことはないはずだ。それほどの衝撃を俺が与えさせてなどやるものか。


「早く! アイヴィーさ――」
「酒だからな? 気になっても飲むんじゃねーぞ」


 すぐ目の前で機関車部が駅に突っ込んだのを受けて、天井口の鉄扉を閉める。
 ……落ち着け。三秒あれば何だってできるさ。
 夜風ですっかり冷えきった両手で貨物室と客室の連結器も外した。
 ワインを運ぶためだけの脆い木箱の貨物室などまともに衝撃を受ければ木っ端微塵に潰れてしまうだろう。その上、緩衝材はただの水ではなくワイン――つまりアルコールだ。度数こそ高くはないが、気化したそれに引火する可能性を見て見ぬふりはできない。
 トロッコ問題というものがある。
 制御不能のまま猛スピードで走るトロッコの先には五人の作業員がいる。しかし分岐器で切り換えられる進路の先にいる作業員は一人。分岐させるべきかというものだ。
 簡単に言ってしまえば、ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるかという問題である。
 当然これに正しい答えなどない。しかし今この状況においては正解が用意されている。


「大団円に人殺しおれはいらねぇよな」


 シュウの使えない生身の体は当然壊れるだろう。
 だが数秒後の世界でたった一人でも生き残ればいいのだ。
 激しい振動がびりびりと足もとから脳天を貫く。
 客車に背を預け、連結の切れた貨物車を進行方向に逆らって力の限りに蹴り押した。客車と貨物車の距離が開くのが見てわかる。
 ニィ、と口端が吊り上がったのは勝利の確信だった。
 駅舎の煉瓦が派手に崩れ落ちてきた。
 貨物車を捨てた代わりに勢いを殺しきれなかった客車が機関車に次いで大破の道を進んだ。
 何もかもが赤土色の煙に飲まれた。
 すべては一瞬間の出来事だ。

(P.27)


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