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メガネによるとこのゲームは有名な推理小説の内容を混ぜ込んで作られているようで、レストレード警部はその登場人物らしい。
同じく登場人物かつお助けキャラであろう探偵シャーロック・ホームズに会うために彼の寝床へと向かっていると聞きはしたが、しばらく歩いたのに先頭を歩くメガネが足を止める様子は全くない。
子供の歩幅に合わせて牛歩を続けるのではなく車の一つでも具現化してさっさと移動してしまいたいが、残念なことにこの体はデータでしかないのだ。生命エネルギーもクソもない。
どうしたものかと考えていると、向かいから
乗合馬車が迫ってきているのが見えた。時間も時間であるし、牽引している二頭の歩みを見るに今日の運行は終えて駅舎へと戻る道中だろう。
「……悪いな。先に謝っとくぜ」
足もとに転がっていた小石を拾う。
見計らいつつも何度か
掌の上で小さく放って遊んだそれを馬車が差し掛かっていたガス灯へ一直線に投げると、衝撃を受けた
硝子は派手に夜の
静寂を破った。同時に高い
嘶きが馬車道に響く。
「お馬さんどうしちゃったんだろう……」
「ガス灯が割れて驚いたみたいだな」
突然のことに興奮した馬を
御者が手綱で制御しきれていない様子を道の端で眺める。
動物相手とはいえ、
御者の強い焦りは確実に馬に伝わってしまっていた。これでは収まるものも収まらない。まあそうでなくては困るのだが。
頃合いを見て歩み寄ろうとすると、アユミちゃんが袖を引いた。
「お馬さん怒ってるから危ないよ!」
「心配してくれてありがとな。でも大丈夫だ。怒ってるんじゃなくただ驚いちまっただけで……それで……今は少し不安なんだろう」
「アイヴィーお兄さん、わかるの?」
「理解したいとは思うぞ」
汚い空気の中に一瞬故郷の自然の香りが混じった。それは紛れもなく幻覚だったが、そこでの動物たちとの縁を思い出すには十分だった。
あの頃は知識など何一つとして持ち合わせておらず、
動物はおろか、木の実にさえも体当たりだった。
それでいい。その頃を思い出せ。
ゆっくりと時間を掛けて馬に近寄る。
御者の顔は通行人の接近に一層深く青
褪めたが、一言二言交わすと彼は落ち着きを取り戻してくれた。
動物は人間が思っている以上に人間の感情に機敏だ。恐怖や焦燥には特に。
御者の余裕が次第に二頭にも余裕を生み、再び夜らしい
静寂が街に腰を下ろした。
「お助けいただきありがとうございます……。普段は利口な子たちなんですが……本当ですよ? いやはや、今夜の我々は運が悪かったのです。まさかガス灯の破片が目の前に降ってくるだなんて」
「お怪我がなくてなによりです。安心なさってください、ミスター。これを言いつけたりなどしませんから。
明日からもあなたと二頭は変わらず人々を運ぶでしょう」
「なんてことだ! この不運のなかであなたとお会いできたのは実に幸運なことだった。礼らしい礼はできませんが、私と二頭にあなた方を運ぶ使命があることは確かです」
すべて上手くいったことに、してやったりとほくそ笑む。
八人乗りと見えるが連れは幼い子供、多少人数がオーバーしていても問題ないだろう。窮屈なようならランちゃんと俺が
膝に一人ずつ子供を乗せればいい話だ。
「――おい、あの時計おかしくねぇか?」
自作自演を見ていたのかそれともランちゃんではなく俺の
膝上に乗せられたことか、あるいはそのどちらもか――不服そうにじっとりを俺を
睨めつけるメガネを無視し続けていると、隣に座っていた赤スーツの少年が窓の外を見上げて口を開いた。
すぐに視線を追ってどこがおかしいのだろうと時計を観察していると、長針が重々しく一分、また一分と
逆向きに針が進んだ。
――ああ、たしかに可笑しな話だ。
「五十分から四十九分、そして四十八分……。そうか! あれはゲームに参加している子供の数だ!」
つまりは他のステージで二人が脱落したというわけだ。
相変わらずひらめくのがお早いメガネ探偵の推理や、ほかの子供たちの脱落への悲しみの声のなかで、赤スーツの少年の耳もとへと口を寄せる。
「お前、ボロ出すなよ」
耳打ちすると、彼はわかりやすく動揺を見せた。
少年の中にいるのが
何なのか、ある程度の予想はつく。
「心配しなくてもいいって。オニーサン黙ってるから」
ただのお楽しみを命が担保のイカれたゲームに変えちまうくらいだ。事情の一つや二つくらいはあるだろう。
この秘密は切り札にもなり得るが、頬を緩めて小さく「ありがとう」と口にした少年を見るに、きっと使い道はない。
(P.15)