今度はきみが捕まえてよ

英円は空を見上げていた。
どんよりと淀んだ灰色の空。
世界が壊れても太陽が壊れたわけじゃないから朝は来る。
少しずつ少しずつ明るさが増してゆく空を、じっと眺めていた円は、目を閉じた。
何をしているんだろうか、こんな時間に。
一人で。



九楼撫子はベッドの上に身を起こして、ぼんやりとしていた。
薄汚れたベニヤを打ち付けられた窓からは外の様子を伺い知ることはできないけど、それでも所々にある板と板の隙間からはうっすらと明かりが漏れている。
壊れていても、朝は来るのね。撫子はぽつりと呟いて、隣で寝ている筈の円を探す。

「…………円?」

寝ている筈の円はいない。
ただ、使った痕跡のないベッドがそこにあるだけで。
乱れのないシーツを撫でれば、手のひらにひんやりとした感触が伝わる。
その冷たさに、撫子は急に不安になった。

眠りもしないで、円はどこへ行ったの。
私を置いて、どこに行ったの。

撫子は勢い良くベッドから降りて、洗面所に走る。
顔はちゃんと洗うけど、髪はこの際手櫛でいい。
不安になったら、動かなくては。
撫子がこの世界に連れてこられてから学んだ、人生における素晴らしい教訓である。

「あれ、撫子ちゃん。どこ行くの?」

簡単にではあるけれど、身支度を整えた撫子がさて行くぞとドアに手をかけた時。
背後から何か微妙に眠そうな声がかかる。

「……おはよう、央」
「うん、おはよー……どうしたのこんな早くに」
「えっと……」

「円がいなくて寂しくなったので、探しに行くのです」と素直に白状できる程素直ではない撫子が言い淀んでいると、何となく察したらしい央は苦笑する。
ほんとにお似合いのカップルだよ、君たち。
内心そう思いつつ、口には出さない。収拾がつかなくなるから。

「……まあ、こんな時間に政府が巡回するって話は聞かないから。……気を付けて行ってらっしゃい」
「……い、ってきます!」

あの苦い笑い。バレてた! 恥ずかしいやら照れるやら居た堪れないやら。
全部おんなじ気もしつつ、撫子は頬を赤く染めて思いっきりドアを開いて外へ飛び出す。
朝が来たのに薄暗い、重苦しい灰色の空。
この空を見て、なにやら思うことが無い訳でもない撫子だけど、それより何より今は円に会いたかった。
今日と言う日の始まりに、円に会いたかったのだ。



だいぶ日が高くなってきた。
円はいまの今まで座っていた瓦礫から重い腰をあげて、立ち上がる。
きっと公園であったのだろう廃墟。朽ち果てた遊具。奇跡のように転がっている小さなボール。
こんな所に、どうして来てしまったのだろう。
たった一人で。
―――――撫子。
撫子は目を覚ましているだろうか。気付いただろうか。自分の不在に。
心配しているのか、それとも怒っているのか。

「円!」

やっぱり怒ったような声で自分の名前を呼びながら、こちらに向かって駆けてくる撫子を見て、円は。

「…………捕まっちゃいましたか」

諦めたみたいに安堵して、歩き出す。
そして、速度を落とさずに勢いよく円の胸元にタックルを決めた撫子を抱き締めた。

「あなた、ぼくの事好きすぎるんじゃないですか?」
「……寝ないから変な事言い出すんだわ、あなた帰って寝るべきよ」

ぶつくさ言いながらも自分から離れない撫子に、円は細い目をうっすらと開いてにやりと笑う。

「ぼくは好きですよ、朝早く身の危険も顧みないで自分を探しに来たあなたのこと」

その台詞にカチンときた撫子は、思いっきり力一杯に円の足を踏みつける。ぐりぐりと、ごりごりと。

「ふざけないで! いきなりいなくなるのがわるいのよ!」
「ちょ……っ、痛いんですけど」
「痛くしてるのよ」

だからこの腕を放せとばかりにぐりぐり足の項を踏みにじられて、円は仕返しがわりに撫子の体を持ち上げた。
ぶらんと宙に浮く、撫子の体。

「何するの!」
「……抱っこしてます」
「止めて。恥ずかしいわ」
「嫌です……ところで撫子さん」
「何?」
「ぼくは凄くねむくなってきたので、このまま帰ってあなたを抱き枕にします」
「は?」
「もう決めました、諦めてください」
「………は?」



敗因は一体なんだったのかしら。
宣言通り抱き枕と化した撫子は考える。
朝起きたら円がいなくて、探しにいって、持ち上げられて、そして抱き枕へ。
この中のどこに抱き枕要素があったのか。

「………意味がわからないわ」

自分を抱き締めてすやすやと安眠中の円につられた撫子は、小さく欠伸を一つこぼして呟いた。



20111227
title/群青三メートル手前
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