何で来て欲しい時にお前は来るんだ! 丁度夢見が悪かった。真っ赤で生臭くて、悲鳴と絶叫が辺り一面に響きわたる。そんな中、生まれ落ちた嘆きは誰の耳にも届かない。―――――血生臭い水の中、淡い光へぷかり、ぷかり。 嫌悪がデフォルト。憐れみがオプション。嘲笑は良くあるイベントだ。気付けばまわりは悪意でコーティングされていて、息ができなくなる。飲み込んだ液体は血の味がして、重く淀む。腹の奥が重い。それでも体は浮かんでいく。上へ、上へ。―――――光が揺れている。 浮かび上がった先に何があるというのだろう。今以上の悪意か、死と絶望か、それならば今ここで沈んでしまいたい。腹の奥が一層重くなる。それでも体は浮かぶ。浮かんでいく。光を、光を、光を。 ―――――寒、い。 「ソーマ、おっきしてー」 「!」 頭上から声が降ってきた。ソーマが慌てて身を起こすとベッドがわりのソファーのすぐ横によくよく見知った女が一人。 「……何でてめえがここにいやがる」 「隊長権限です」 「職権を乱用するな!」 リーダー様の鍵を使えば部隊員全てのドアを開けることが可能である。……つまりこういうことだ。馬鹿を絵に描けばこうなるを地でいく、我等が第一部隊のリーダー様が、今日もまず一つ馬鹿をやらかしやがったわけで、寝起きにも関わらず非常にすっきりとした頭の中、こいつどうしてやろうかと考えたソーマは熟考の末。 「…………着替えるから出ていけ」 リーダー様の首根っこひっ掴んで部屋から放り投げた。まあこれはソーマが責められる謂われのない行為であると思う。言わば不法侵入だし。 ―――――ただし 「何しよるかソーマ! 遅刻しそうな部隊員迎えにきた隊長代理様に向かってー!」 「……………は?」 昨日まで着ていたシャツを脱いだソーマがドアの向こうから聞こえる声に(しかし防音の筈である。どうしてこんなにはっきりと聞こえるのか。ソーマの聴力以上の何かがそこにある)ふと時計を見ると、ああこれは、酷い。 「…………っ」 昨日申し渡された任務の集合時間、二分前。 「……ねー、間に合わなそうなら誤魔化してくるからゆっくりおいで。後十分くらい経ってから」 「は?」 「十分だからねー」 ドアの向こうから人の気配が遠ざかる。さて、十分。急がなければならない。顔を洗うべくソーマは洗面所へ向かう。 「ドン引きです」 「……うわー、ごめん」 十分ぴったりで出撃ゲート前に着いたソーマが見たのは、正座でアリサの説教を拝聴しているリーダー様の姿である。何事かと近くのコウタに話を聞けば、「ああ、ソーマ。お前も災難だったなー」なんて返ってくる始末。だから災難って何なんだ。 「あなたにはリーダーとしての自覚があるんですか!」 「ううぅ……すみません」 「全く、集合時間の連絡ミスなんて……!」 「は?」 今、アリサは何と言っただろう。『連絡ミス』? ソーマは首を傾げる。これは間抜けなことに寝坊なんてやらかした自分のミスな筈。何で? 何の連絡ミス? 「あ、ソーマ。おはようございます」 「………ああ……『連絡ミス』?」 「そうなんです! ソーマも言ってやってくださいよ! 全く……メールは出す前に読み返してから出してください! 気をつけてくださいね!」 「はぁい」 萎れた様子でお返事を返して、リーダー様は立ち上がる。 「では、しゅつげーき………」 大分テンションが落ちたらしい、ちょっと元気なく第一部隊隊長(代理)は出撃ゲートをくぐる。それに続いて他の面々もゲートをくぐり、現場に向かうべく装甲車まで歩く。……心持ち早足で。 「………余計なことを…」 「喧しいぞーお寝坊ソーマ。………あのさ」 「あ?」 「顔色悪かったけど、やな夢でも見た?」 水の中、光。夢を思い出してソーマは舌打ちを一つ。 「………てめえには関係ねえ」 「そっか」 単純に心配していただけなのにこの態度。怒っても良いとソーマは思うんだけど、リーダー様は笑うばかり。いっそ怒れよ、なんて考えてソーマはリーダー様からの視線から顔を背ける。 「何してるんですか! はやく行きますよ二人とも」 「車の方はいつでも出せるぜー」 装甲車にはアリサとコウタが先に乗り込んでいて、立ち止まっていた二人を呼ぶ。リーダー様は「すぐ行く!」なんて返して、ソーマの腕を掴んで引っ張った。 「んじゃ、いこ?」 「………ちっ」 思いの外強い力で引っ張られて、頑張ってふりほどくのもめんどくさいソーマは、引っ張られるまま装甲車へと進む。………ほんとに、怒ればいいのに。 「終わったー! やってやったぜ!」 「よっしゃ! 今日も生き残れたー!」 「………まだ終わってませんから! 騒がないでくださいよ!」 「ちぇー」 馬鹿二人が異口同音。何かイラっときたらしいアリサが「自覚があるんですか! あなたたちは!」なんて爆発してるのを横目にソーマは装甲車へ向かう。どうしてだか眠くて仕方がない。夢見が悪かったからだろうか、ひどく体が重い。眠、い。 「ソーマ?」 ―――――聞き慣れた、女の、こ、え。 また、夢。 どこかわからない水中にて、ソーマは終わらない浮上を続けている。光は見えるのに、いつまでもいつまでも浮かび上がり続けるこの体。まだ、終わらないのか。まだ、まだ、まだ、まだ。少しだけ彼の心に焦燥感が生まれた、その時。 「……………!」 ごぼり、と大きな空気の泡がソーマの口から漏れる。 ―――――苦し、い。 今まで感じたことのない苦しさ。息が、できない。どうしていきなり、こんな、時に。 「………っ……」 ごぼり。 ごぼり。 ごぼ。 ――――窒息死? 溺死? 水死? 死に夢を見て、死を夢に見る。なんて、笑えない。 笑えない。 ざぶん、と音がして何かがソーマのフードを掴んだ。何事かと霞む意識を必死でつなぎ止める。そうしている間にも何かがぐんぐんと彼を引き上げていく。元々酸欠で苦しかったのに何かがフードなんて引っ張りやがるもんだからますます苦しくなってくる。 何考えてやがる! 死んじまうだろうがこの馬鹿リーダーが! ソーマはもうこの何かがリーダー様の手であるって確信した。つか、それ以外有り得ない、こんな馬鹿他にそうそういてたまるか。溺死しかけの生き物にこんな仕打ちするのはあの馬鹿女だけだ。 引き上げられる、水面へ。あまりにもそこは眩しくて、ソーマは堅く目を閉じる。 「やーい、溺れてやんのー! カッコわりーぞソーマ!」 目は閉じているけど声は普通に聞こえる。コイツどうしてやろうかなってソーマは考えて、笑った。何だ、そういうことか。 生きてりゃ笑かしてもらえるもんだ。 「……………馬鹿が」 「何じゃそりゃ!」 小さく呟いたつもりが聞こえていたらしい。リーダー様の声にソーマは目を開けた。 「今の寝言かぁ? 本音かぁ? いや、バカだけどねあたしはさ」 ぶつぶつとなにやら呟くリーダー様をほっといて、ソーマがふと視線を巡らすと少ししみの付いた白い天井が見える。ああ、病室、か。改めて彼が現状を鑑みるとベッドに寝かされているらしい。 「病室………」 「え? あ、ソーマお目覚めー?」 俯いてぶちぶちうにゃむにゃ恨み辛みを吐き出していたらしいリーダー様が、ぱっと顔を上げる。 「良かったー! 目覚まして、任務終わってすぐ倒れたんよあんたー、びっくりしたんだからね!」 任務の後、ひどく眠かったことをソーマは思い出す。そしてそのままぶっ倒れた、ってことに思い至った。 「…………悪かったな」 「気にすんな! 隊員を助けるのも隊長代理の仕事だかんね!」 明るい声にソーマがそちらをみれば、リーダー様が笑っている。死に神助けて嬉しいのかって思ったんだけど、何か自分も笑ってることに気が付けたから。 「………馬鹿が」 「また言った! ………あれ、ソーマ良い夢だったんかー?」 「あ?」 「笑ってる」 110625 title/嗚呼 |