もう少し歳をとったら、おまえに伝えようと思う言葉があると、いつかあいつがいっていた気がする。けれどもそれが自分に向けてのことだったのか、他の誰かに対する思いを盗み聞いてしまったのか、あるいは実のところ彼はそんなことをいわなかったのか、もうわからなくなってしまった。あまりに遠い昔のことだ。
「ひよ里」
 シンジに呼ばれて振り返る、つもりが、聞こえないふりをしてしまった。空はさらさらと晴れて、そこにとんぼが点々と浮いていた。夕立きそうやで、はよ帰ろうや。シンジがうしろでいった。また聞こえないふりをする。
「ひよ里のアホ、つるつるまな板」
 はじめに名前を呼ばれたとき振り返らなかったことを後悔しはじめていた。今すぐにでもそうして、黄色い頭にかかと落としでも食らわせたら、少しは気も晴れるのだろうか。そんなことを考えながら、ゆっくりと砂利を踏み、淡い橙色に浮くとんぼを目で追う。きもちがわるい。羽同士がこすれる音がする。とんぼなんて、きもちがわるい。
「なあ、シンジ。電車に乗ろうや」
「電車?別にええけど、めずらしいこっちゃな」
 振り返るとシンジは長い舌をでろんと出したままポケットに手をつっこんで歩いており、その様があまりにまぬけだったので、思わずためいきが漏れた。

 かたかた揺れる電車のなかはとても空いていたのに、自然と座席の端にくっついて座る自分たちはまるで幼い兄妹のようだと思った。向かいの座席に座っている女子高生はイヤホンをつけたまま携帯電話をいじっている。ときおり、口元がゆるむのを堪えるようにしてぎゅっとくちびるを噛む。
「おまえもセーラー服、着たいんか。あんなん着たいんか」
「指さしなや、ドアホ」
「着たいんやろ」
「着たないわ、あんなもん。パンツ見えるっちゅーねん。リサ見てみい、常にパンツ丸出しやぞ」
「常には言いすぎやろ。ひよ里かて色気のあるパンツ履けばええねん。ヒモついてるやつとかな、あんなんすきやで俺」
「誰がおまえのすきなパンツなんて……」
「ヒモのなにがええかって、すぐに脱がせられるとこやねん。一瞬やでー、しゅるっと」
「……、シンジ、リサに聞いてんけどな、男は女がツナギ着るんはないわー言うそうや。なんでかわかるか。脱がしにくいからや。男ってアホやな」
「俺はツナギやろうとなんやろうと、脱がすと決めたら脱がすけどなあ」
 電車が止まる。アホな話をしているうち、気がつけば向かいに座っていた女子高生は電車を降りたようだった。
 ウチは今でもときどき思い出す。もう少し歳をとったら、おまえに伝えようと思う言葉があるといった、まだ死神だったころの、こいつと自分。今となってはその言葉が愛の告白だろうとくだらない漫談だろうとどうだっていいのだけれど。せめて歳を重ねることができるのならば、一度くらいセーラー服に袖を通してみてもいいのになあ。


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