まだわたしが沢田家で奈々にかわいがられ、ニートのような生活を楽しんでいたころ――もう二十年も前になる。たとえば奈々に風邪をひくから窓を閉めて寝なさいねといわれたのに、部屋の中のじんわりとこもった熱気にいらいらとして、窓を開けてそのまま眠ることが、なんというか少し悪いことをしている気分になった。そうしてわたしは初めてセックスをした日のことを思い出して、その日は奈々と目を合わせられなかったそれとよく似ているなあなどと思ったりした。男はよく初めて抱いた女を忘れてしまうものだという。わたしは女であるから、初めて抱かれた相手をよく覚えている。汗がからんでとても気持ちが悪かった。翌日までからだに残る違和感と痛みに、わたしははらはらと涙を流したのだった。
 処女でなくなったときの、お世辞にもきれいとはいえない思い出。その男とはなぜだか忘れたけれど、そのあとすぐに別れてしまった。わたしが処女でなくなってよかったと思ったのは、非処女になってはじめて恋をしたときだ。処女のときとは明らかに違う余裕をもって、わたしはのびのびと恋をすることができた。相手を男としてではなく人間として、その距離を縮めることができるようになったのだ。その恋が実ったかどうかなんて、聞くのは無粋だと思わない?
 そうしておとなになっていくの。処女でなくなったことなどなにも話していなかった奈々が、わたしにその言葉と一緒に小さなダイヤのついたチョーカーをくれた。
「それが、あのチョーカー?」
 ひととおり話し終えたのを見計らって、ランボはわたしのからだにバスタオルをかぶせる。その上からぽんぽんと軽く叩いて水滴をふき取ってくれる。わたしはなんだか懐かしいようなおかしいような、不思議な気持ちになる。彼が子どものころはよくわたしがそうしてやっていたのだ。おとなしくタオルにくるまれるいい子ではなかったけれど。
「そう。押入れのクローゼットの中にしまいこんでいたの。ツナと隼人が見つけてくれてよかったわ、なくしたかもしれないと思っていたから」
「獄寺氏にはもう何年も会っていないな。元気にしてるのかな。そんなにタフではないよね、彼も」
 先にバスルームから出たランボはまっさきにドレッサーにすわり、髪にドライヤーをあて始める。ところどころ編みこんだ髪のケアをしてあげるのだ。ドライヤーをあてずに乾かすと痛んでしまうとかで、そのあたりのことに無頓着なわたしからしてみれば意味がわからない挙句、きもちわるい。それももう受け入れてしまっている。慣れって怖いわ、そう思いながら冷蔵庫を開けて、冷えた炭酸水をがぶがぶ飲んだ。
「ビアンキ、おいで。乾かしてあげる」
「結構よ。そのうち乾くから」
「いいからおいで」
 何度も呼ばれて、足の裏をフローリングにくっつけたままずりずりとドレッサーに近寄る。そんなにいやなの。ランボが笑っていう。まるい革のチェストを指されて、しかたなしにそれに腰かけると、ボクサーパンツだけのかっこうで後ろに立つ彼がわたしの肩に腕を回した。
「明日がなんの日か知ってるかい」
「燃えないごみの日よ」
「俺が君に恋をした日さ」
「くだらない!」
 肩を落としたランボが無言のままドライヤーのスイッチを入れる。ほどよい熱風が背中をなでている……。わたしは知っているのよ、明日がほんとうはなんの日か。明日、あんたは二十年前の雨に打たれることになる。
 おそらくの話ではあるけれど、わたしはそう信じている。そうしてそのまま学校の屋上から抜け出して、わたしのもとへ走っていって、どうか処女を奪ってちょうだい。十七のわたしはきっとあんたを死に物狂いで殺そうとするでしょうけれど、どうかそこはうまく口説き落としてね。愛するママンがくれたチョーカーを首に巻いて、あんたの帰りを待っててあげる。わたしの記憶が美しく塗りかえられたことに乾杯しましょう。


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