夕方は、夏のかなしいにおいがする。ホテルのエントランスを出て車に乗り込むまでのあいだ、何度もそう思った。カレンダーはつい先日五月をめくったばかりなのだが、半袖から伸びる腕にしみる日差しはとても暑くて、そのくせからだを撫でる風はばかに冷たくて春のそれのようなものだから、そのアンバランスなギャップに俺はとてもかなしくなる。かなしいようなせつないような。六月は、ほんとうにひとの心をそうさせる。
 綱吉に預けていたBMWはぴかぴかに磨かれていた。まるで黒豹のような、美しい漆黒と曲線。エンジンをかけて車庫から出すと、以前来日したときにハルが乗せたままにしていた洋楽のCDがそのままに流れる。若い女が自分はビッチですと歌う。歌手とヤッてみてえなあと煙草をくわえながら独り言を漏らして、対向車線を走る車のライトに目を細めた。
 ハルと待ち合わせをしていたのは、五ッ星ホテルのレストランでもなく、ハードコアを流す地下のバーでもなく、若い女が好むようなカフェでもない、ハルの実家からすぐのところにあるバス停だった。

「次の来日はいつですか」
「おまえが呼ぶんなら明日にでも飛行機を手配させるぜ」
「じゃあ明日の夕方、六時に」
 聞き間違いかと思って電話越しに何度も聞き返したのだが、確かにあの女は明日の、といった。明日ということは、俺は今すぐにイタリアを発たなければならないということだった。俺のベッドでごうごうといびきをかいていたスクアーロのくちびるをふさぐ。もちろん口でだ。すぐに飛び起きたスクアーロは、怒りを全身で表しながら、どこにいくんだと聞いた。少し優しくするとすぐにこれだ。
「我らが十代目に呼び出しをくらってな。すぐに発つ。帰って来たらプラハに連れていってやるから、おとなしくしてろよ」
 イタリアを発つまえ、空港から綱吉に電話をかけた。アリバイ工作だ。俺が日本へいくというたび、スクアーロは綱吉に必ず連絡をとって文句をいうのだ。てめえがイタリアにこいだの、ザンザスを変な店に連れていくんじゃねえだの、まるで俺の妻であるかのように。ハルと関係を持ってから、幾度となく綱吉には世話になっている。今回も綱吉はしぶしぶ応じてくれたが、電話を切るまえにこういった。
「俺思うんだ。スクアーロはきっと、俺のわら人形を抱いて眠ってるよ」
 そう聞いて、俺はハルと名前の書かれたわら人形を抱くスクアーロを想像した。


 キャリーを引いてバス停につっ立つハルはまるで学生のようだった。そういえば初めて彼女を見たとき、まだ14かそこらの子どもだった。そのうちに化粧と男を覚えて、いつのまにかバーでジントニックを片手に細く長い煙草をふかし、結婚について語るようになった。このあいだ会ったときには目の下に小さなしみができたと泣いていたような気がする。
「乗れ」
 バス停に車を寄せて、いったん降りる。キャリーをトランクに乗せて、ハルの手をひっぱった。ハルは笑いもせず、なにも話さず、親に連れ戻される家出少女のような顔のまま、助手席にすわった。無意識に目がいくのはどうしても白いうなじ。細い首に小さな頭が乗っかっている。
「ヒバリは元気か」
「しみは消えたのか」
「飯はすんだのか」
「キャリーにはなにが入ってる」
「ヒバリとはどうなんだ」
 ハルは質問のどれにも答えず、このままかけおちします、ぽつりと呟いた。おそらく恋人とはうまくいっていないのだろう。だから元気かどうかなんて知りもしないし、しみはそうかんたんには消えないだろうし、まだ六時を過ぎたばかりだから夕食はまだに決まっている。キャリーには化粧品とランジェリーが入っているのだ。
「うそです」
「ああ」
「明日、結婚式場を見にいくんです。でもマリッジブルーになっちゃって。だから少し、いじわるをしたくなって、スクアーロさんからあなたを離してやろうと思って。でも、失敗しました。ザンザスさんに会ったら、とても、雲雀さんに会いたくなりました」
 女という生き物はなんて勝手で傲慢で、けれどもそこが妙に憎めない。俺は鼻で笑いながら、とっているホテルからヒバリのマンションへ行き先を変更した。今日こそは車に乗せたままの、彼女のCDを持ち帰ってもらわなければならない。また若い女が自分はビッチですと歌っている。


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