たとえば自分が男に抱かれるとしたら、絶対にあの男を選ぶ。ストレートな自分でもそう思えるくらい、彼は魅力的で、紳士で、美しかった。俺がそう思うくらいなのだから、女ならばだれもがあの人の冷たい目に辱められながら、長く美しい指で触れられたいと思うのは、きっと必然。
 まだ湿りの残るシーツと互いの肌の熱にだるさを感じる滑稽な俺と彼女も、そんなことは、とうの昔にわかりきっているのだ。
「せやからなあ、紅麗さんはもうあんたなんかいらんねんて。おとなしゅー身ィ引いとけ」
「うるさい、死ね。あんたにいわれる筋合いはないね」
「そんだけまとわりつかれれば鬱陶しくもなるやろ。ウザイで、あんた」
 黒々と光る爪が目の前で揺れたかと思うと、顔中に鋭い痛み。音遠に思いきり引っかかれるのは初めてではないので、避けようと思えばきっと避けられただろうけれど、黒い爪にどうしてか見惚れてしまって、避けることを忘れていた。
「痛いやろ!大体なあ、一回セックスしただけで誰の恋人気取っとんねん。あの紅麗さんやぞ。おまえみたいなブス、本気で相手にするわけあらへん」
 シーツの中で、さらりとした彼女の足が俺のふくらはぎに触れた。こんなにも彼女の肌は心地よい。ゆっくりと堪能した彼女のからだも、柔らかな髪も、熱い舌も。それなのにこの女は、究極に頭が悪い。なんてもったいないのだろう!
「恋人気取ってなんかないよ。あんたとは何回セックスしたって、あんたの恋人気取ったりなんかしないでしょ?なんでかわかる?死んでも願い下げ!」
「ホンッマに頭悪いのォ自分!そこは、彼女面しとけ!」
 音遠の眉間いっぱいによっていた皺がすっとひいて、アイラインとマスカラでふち取られた大きな目がぱちぱちと瞬きを繰り返す。なかなか見られない彼女のそのしぐさを凝視して、自分がなにをいったのかをようやく理解した。
「イヤ、ホラ、口が滑ってん。俺なんかゆうた?おま、その顔かわいいで」
 音遠はくるりと寝返りをうって、俺に背を向けてしまった。手持ちぶさたと奇妙な空気を持ち余した俺は、白く浮き出た彼女の背骨に指を這わせる。とたん、触るなと小さくつぶやく彼女の表情が確かめたかったけれど、泣かれでもしたら面倒だと、抱いてみると意外と小さかった彼女の背中をぎゅうっと抱きしめた。
 俺にしとけ、と喉まで出かかった言葉を飲みこむ。もしいってしまえば、死ぬのが怖くなりそうだ。音遠の背中は、ほんのすこし震えていた。


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「見えない臓器の名前は」
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