おさない子どもがスープ皿をほとんど垂直に顔へ当てて、ごふごふという音を立てながら飲んでいる。一度も皿を離す様子がない彼女はそのうち溺れてしまうんじゃないか。離れた席の他人からそんなことを思われているだなんて思いもしない家族連れの、土曜日の夕食。
「風間さん、大丈夫ですか」
向かいに座る三雲がうかがうようにして首をかしげる。よく見覚えのある仕草だ。
「なにがだ」
「ため息を……、やっぱりファミレスじゃ落ち着きませんでしたか?騒がしいですもんね、土曜日ですし」
「悪い、無意識だった。むこうの席の子どもが」
「子ども?」
「いや、なんでもない。すまん」
無意識にため息をつくのはどうなんだと思った。最悪だ。 こんなところを隊員のだれかに見られでもしたらと思うとへんな汗をかいてくる。 本部に来ることも頻繁ではないしいつもチームメイトと行動を共にしている三雲がひとりになる隙を狙って声をかけ、やっと食事に誘ったのに、気の効いた話のひとつもできない上に中学生のこいつに気を遣わせる始末だ。
ちなみにトイレに入った三雲を外で待ち伏せして、出てきたところに偶然通りかかったように見せて「訓練のきりがいいところで抜けろ。快気祝いに夕食でもどうだ」と声をかけた。誘えさえすればこいつが断れるわけがないと俺は知っていたのだ。当然だ。相手が目上の人物なら、嵐山でも、面識のない太刀川だったとしても絶対にこいつは断らない。
「ファミレスでいいんだ。大体飯を食うのはこんなところだし、騒がしいのも気になるほどじゃない。すまなかった」
箸を止めていた三雲はそうでしたか、よかった、と笑って食事を再開した。三雲が頼んでいたのはハンバーグの和食セットだ。俺が三雲の分も無理やり注文したドリンクバー専用のグラスにはサイダーが注がれていた。俺はそれらを見てすこし、いやだいぶほっとしたのだった。年相応だと思ったのだ。
「風間さんのすき焼き定食、おいしそうですね。次に来たときはぼくもそれにします」
ハンバーグを箸で切り分けながら三雲が言う。自分もしばらくハンバーグは食べていないから、次はそれにすると返した。たまごにくぐらせた薄い牛肉とねぎを口に入れながら、通路をはさんで左むこうの席に座っている、例の子どもにまた目をやった。きゃあと声を上げながらとなりに座る母親らしい女性の皿からポテトをつかみとり、満面の笑みで口に押し込んでいる。俺もあれくらいのことができればよかった。
メニュー表で見た写真より、だいぶ量の少ない牛肉を鍋の中に探しながらウーロン茶のグラスを空にする。すると、すぐに三雲がそれに気づいた。
「あ、風間さん、またウーロン茶でいいですか」
聞いたときにはもう箸を置いて立ち上がろうとしているのだ。これで二度めだ。一度めは感心したが、二度めはちがう。 まじめで気が利く、面倒見のいいやつだとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。
「おまえはなぜそんなに気を遣うんだ」
「ええっ、そんな、当然ですよ!風間さんにご馳走してもらうのに、ぼくが飲み物も取りにいかないなんて失礼です」
「 玉狛はよっぽどおまえをこき使っているようだな。俺の顔色と飲み物ばかりうかがっているだろう、そんなんで飯はうまいのか。楽しいか。 俺は楽しい。6歳も年齢差があるんだぞ、すこしは甘えてみろ」
三雲は立ち上がろうとした際にずれた眼鏡をかけ直し、はぁ、とよくわからない返事をして姿勢を正した。俺は俺で、いまなにを言ったんだろうと、熱を持ってくらくらし出した頭で一生懸命考えていた。ウーロン茶を飲もうとグラスをつかむ。そうだ、空だった。
「ほら!持ってきますから!」
「いい、もういい、座れ。さっさと食え」
そのあとはお互い黙ったまま料理を平らげた。先に平らげたのは三雲で、グラスに残っていたサイダーを飲み干したあと、おかわりを取ってくるからついでにと俺のグラスを持って席を立った。ウーロン茶の入ったグラスを俺のそばに置き、気持ち程度に注いできた自分のサイダーをひとくち飲む。
「風間さん、楽しかったんですね。よかったです。ぼくも楽しいです。ごはんもおいしかったです。ぼくにとって風間さんは尊敬する先輩ですから、甘えるなんてとてもできませんけど、今日誘ってくださってとてもうれしかったです。ありがとうございました」
はじめに奢りだと言っていたにも関わらず、レジに行くと案の定三雲は財布を出した。久しぶりのことだ。近ごろはどいつもこいつも俺に奢られるのが当然だって顔で、俺より先に店を出るやつもいる。
三雲にとって俺は結局、数多くいるボーダーの先輩のうちのひとりなのだ。きっと俺にとっても三雲は単なる後輩のひとりだと思っているんだろう。ばかだな。ばかだな。おまえはちがうんだと、おまえは特別なんだと、たとえばおまえを食事に誘うのに俺が6度失敗して4度めにはもう諦めようとしたことだとか、見え透いたようなわざとらしい表情で「風間さん最近よくB級の訓練覗いてるよね」と声をかけてくる迅を無視するのに神経を遣ったりだとか、そういうことを全部話してしまえばおまえはわかってくれるのか?だとしたらもうわからなくていい。
「ごちそうさまでした」
店を出て時計を見ると8時だった。これからどうするか、と一瞬思ったが、目の前の相手が中学生だったことを思い出して、考えるのをやめる。
「送る。家と玉狛、どっちに戻るんだ」
「あ、今日は玉狛に。でもあの、大丈夫です。女の子でもないので」
「関係ない、送る」
玉狛なら道がわかるので、手を横に振り続ける三雲に背を向けて歩き出した。徒歩で10分もかからない距離だ。
「風間さん、ではあの、お言葉に甘えて、お願いします。ああ、甘えるってこういうことでしょうか。でもあまりやさしくしないでください、ぼく、単純ですから、」
三雲のことばが耳に入ったとたん、ぴたりと一時停止みたいにからだの動きが止まった。
「単純ですから、なんだ」
追い越した三雲を振り返って、反射的に逃げようとしたその腕をつかむ。三雲は真っ赤な顔をして、もごもごと口のなかでなにか言っている。思いもよらなかった反応だった。ぞわぞわと首のうしろがむずがゆくなる。うれしくて笑ってしまいそうだ。玉狛支部まで徒歩で10分弱、次の食事の約束ができるくらいの時間と距離と見てもいいんじゃなかろうか。ばかだな、うぬぼれかもしれない。


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