さわさわと、風が青い葉をゆらす音が耳に心地よかった。
「日陰は肌寒い、日向はあちぃ」
 となりを歩く土方は歩道に並んで生える木の影をひとつ通りすぎるたびにそううなる。土方は駅前で配られていた簡易的なうちわ――ライブ会場でも配っている、厚紙に穴のあいたあれ――をぱたぱたさせたりさせなかったり、忙しそうに手と口を動かしていた。
「日傘でも差しとけば」
「差すか、じゃまくさい」
「じゃあ長袖でも着とけば」
「暑いだろうが、長袖なんて」
 世間はゴールデンウィークだというのに、俺と土方は朝から図書館でぶあつい文献とにらみ合っていた。休み明けに提出するレポートの資料集めのためだ。最近の若者の活字離れとインターネットの普及の因果関係がどうとかという、たぶんそんなかんじの、もしかしたら違ったかもしれないけれど……、ほんとうは五月のはじめにも関わらずどうしてこんなに暑いのか、そしてどうして人間は暑くても寒くても不快感を抱き、となりを歩くこのばかのように暑いか寒いか眠いかつかれたかしか言葉を発しなくなってしまうのか、そういうことを課題になら、レポートのひとつやふたつ、さらりと書けるのかもしれなかった。
 てきとうにネットで文章を拾ってつなぎ合わせようと目論んでいたけれど、前回それがばれて危うく単位をもらえなくなるところだったのだ。最近の教授はわざわざそんなことをしてまで俺にレポートを書かせたいのかと思ったけれど、返却された俺のレポートの日本語は、とてもへんだった。文章のつなぎめつなぎめが、とてもへんだった。提出するときは全然気づかなかったけど。
「ここにしよう。大概なんでもそろってるし、今日特売日だ」
 駅から俺のアパートまであと半分の距離のところで、俺たちはスーパーに入った。買い物かごをつかんで土方に持たせる。土方はなにもいわなかったがとても不服そうな表情で俺を見たので、がらがらとカートをひっぱって、それを土方に押させることにした。
「おまえが押せばいいじゃん」
「手伝わせなかったらおまえ、絶対いなくなる。迷子になってりゃまだいいけど、最悪自分ちに帰るかもしんない」
 いやいやしながらも土方はカートを押しながら俺のうしろをついてきた。このスーパーにはよくくるので、自分のなかでまわる順というのがあった。野菜売り場から魚介、肉、パン、加工食品、最後がお菓子売り場。俺が次々と野菜を手にとってかごに入れていくと、土方はひまを持て余したのか、俺が入れるものに対していちいち一言コメントをする。
「かぼちゃか」
「なすびか。なすびは焼きなすだよな」
「おっ……、たけのこごはんが食いてぇな」
「アボカドってうまいの?女の食い物じゃねーの?」
「豚肉かよ。なんで牛じゃねぇんだ」
「牛がいい」
「牛にしろ、誕生日だぞ」
「牛にしやがれ、クソ天パ」
「牛にしねぇなら帰る」
 結局、かごに入れていた合い挽き肉を戻し、牛百パーセントの挽き肉をかごに入れた。どうせ食べてしまえば味の違いなどわからないくせにと思ったがなにぶん誕生日なので、折れてやろうじゃないか。高校生のころ付き合っていた人妻が、姑とスーパーに買い物にいくのだけはいやだといっていた気持ちがすこしわかった気がすると、ふと思った。もう顔もよく覚えていない。

 ビニールの袋を抱えてアパートに帰宅したころには、ちょうど日が暮れかけていた。キッチンに入り、買ってきた食材で夕飯の準備をはじめる。米を洗い、ゆでて売っていたたけのこを刻んでいるとき、洗濯物を干していたことを思い出した。
「土方ー、わるいんだけど、洗濯物とり込んでー」
 リビングに向かっていうが返事がない。包丁を持ったままリビングをのぞくと、ベランダに土方の姿を見つけた。洗濯物をとり終えるところだった。いつのまにあんなにいい子ちゃんに育ったんだろう、感激だ。ふだんは絶対にいわれるまで――ひどいときは、いわれても――手伝ってくれないのに。スーパーでのできごとはすべて許してやる。
 できあがった料理からリビングに運んでいく。はじめのかぼちゃとアボカドのサラダを持っていったとき、土方は出しっぱなしのこたつの上でレポートをまとめていた。気づかなかったが図書館で本も借りていたらしい。ぶあつくてほこりのにおいがしそうな本が三冊、テーブルの上にのっていた。
「おまえってまじめだね」
「来週に持ち越したくない。就職試験がある」
 最近、土方がすこし髪を切ったのはそのせいだった。俺は就職活動のためにどうしても外見を整えるという気にはなれなくて、結局、説明会にすら参加していない。あと数ヶ月も経てば、こんなふうにゆっくりとふたりで会う時間なんてほとんどなくなるのだろう。就職活動と卒業研究、夏休みに入ったらいくつもの実習が待っている。ばかだけどまじめだから、土方の頭のなかには、卒業までにしなければいけないことのきちんとしたスケジュールができあがっているだろう。俺はたぶんもうすこしだらだらとしていたいので、留学でもするとしようか。でもハロー、アイム銀時!ってツラでもねぇな。いざとなったらバイト先の居酒屋で社員にでもなればいいか。
 テーブルに置いたサラダを土方がじっと見つめている。ゆでたかぼちゃとアボガドを角切りにしてマヨネーズで和えただけのサラダだ。
「かぼちゃか」
「かぼちゃとアボカド」
「この黒いのはなんだ」
「黒こしょう」
 二品めのなすと挽き肉のみそ炒め、それかられんこんと白菜のみそ汁、あさりの酒蒸し、たけのこごはんを運んでくるころにはテーブルの上はすっかりきれいに片づいていた。本を積んでいた場所にはマヨネーズが置かれている。半袖のTシャツ姿でこたつに入り、おとなしくすわって料理が運ばれてくるのを待つ土方は、どこかの家のガキみたいだと思った。


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