※「なんでもないの」様に提出





その歪みの無い低声で、泣いてるの、と訊かれてしまえば、私も素直に頷くしかなかった。見たまんまの現状だ。ありのままの状況だ。わざわざ問わなくても秀才の君だったなら分かるだろうに、よくもまあ、そう平然と優しく頭を撫でられるものだね。言おうとした言葉が、吐息となって拡散していく。情けないったら、ない。まさか、まさか此処で君に慰められる日がくるなんて、夢にも思ってはいなかったよ。現実でも、思いたくはなかったよ。本当に、これが夢だったら、君にとっても私にとっても、良かったのに。ああ、人生どうにも上手くいかないものだね、庄左ヱ門。

「いい加減、一人で泣くのはおよしよ。心配したじゃないか」

ほら、これだから優等生は乙女心が分かってない。その声が酷く優しくても、その手に酷くすがりつきたくても、分かるでしょう、ねえ、分かるでしょう。あのは組の策士だもの。察してよ、悟ってよ。私も、もうそんなに幼くないんだよ。君に甘えていた私は、もういないんだよ。幼なじみの私は、もうどこにもいないんだよ。ねえ、ねえ。庄ちゃん。

「懲りないね、全く。彼らも」

私宛の手紙が、くしゃりと庄左ヱ門によって握りつぶされる。本当だよ。本当に懲りないよあの人たちも。六年間一度も家になんて帰らせてくれなかったくせに見合いの手紙やら婚約の通知やらひたすら寄越してくるなんて。もう嫌ですよ。もう疲れましたよ。何のために忍術学園に来たと思ってるの。不条理な一生の契約をしたくなくて、自分で学費を稼いでまでここにいるっていうのに。ぼろぼろ頬を伝っていく涙が桃色の服を濡らす。そうだ、そうだよ。私はくのいちだよ。忍術学園の生徒だよ。六年生だよ。忍者なんだよ。

「その前に僕の幼なじみだよ」

座り込む私に目線を合わせて、庄左ヱ門は優しく涙を拭ってくれる。そんな口実はもういらないのに、君はいつまでそんな言い訳を言い続けるつもりなの。分かってるくせに。認識してるくせに。私が辛くなることを承知しているくせに。それでも私たちの関係をそう例えるなら、君は相当な性悪だよ。


「私はただの女だよ」

「うん。女の子だ」

「でも、親の道具ではないんだよ」

「うん。知ってる」


いつもの柔らかい微笑で再度頭を撫でてくれた庄左ヱ門は、くしゃくしゃにしわを蓄えた手紙を私に提示する。勝手に結婚させたそうだ。名前も、顔も、どんな人かも分からない人と、私は結婚させられてしまったらしかった。止まってきていた涙がまたぼろぼろと頬を走る。不条理だ。世の中はかくも不条理だ。嗚咽をこぼしながらぐずぐず泣いて、庄左ヱ門もきっと呆れているに違いない。もう諦めればいいのにと。もう楽になったらどうかと。合理的な考え方をする彼のことだ。私の想いを知っていてもなお、突き放してはあの微笑で私を殺すのだ。幼なじみだなんて建て前だ。私にとっても、庄左ヱ門にとっても。違いは、ただそれが迷惑であるかそうでないかだけで。目の前に出された手紙が酷くどうでもいいもののように思えた。彼から手紙が差し出される。いっそのこと、本当に君が私を殺してくれればいいのに。ゆっくりゆっくりと、両手を手紙に伸ばして、指先が触れようとした。瞬間に、びりびりと、庄左ヱ門は手紙を細かく破り捨てた。目を見開く。ぴたりと涙も止まる。笑みを深めた庄左ヱ門が、細切れになった紙を風に乗せていく。そして私を容赦なく生かすのだ。


「駆け落ちしようか、名前」


うそ、と口から零れた言葉は思っていたよりも掠れていた。うそじゃない、とはっきりとした声で庄左ヱ門は返答する。だって、なんで今更。六年目でどうして。私たちは忍者になるのに。まだ君が追われる立場になるには早すぎるよ。私はただ君についていきたかっただけなんだよ。無理だよ、庄ちゃん。

「無理じゃない」

堅く骨ばった両手を私の頬へと添えて、庄左ヱ門はそのきりりとした眉を吊り上げた。彼の手に涙が浸透していく。お互いの視線は合致したまま、私は声を張り上げた。


無理だよだって庄ちゃんだって分かってるくせに伊達に幼なじみやってないくせにあの人たちの酷さを知ってるくせに私のせいで庄ちゃんを巻き込むわけにはいかないよ私は庄ちゃんについていければそれでよかったのにもし忍者になって対立することがあっても殺し合うことがあっても庄ちゃんにだったら私は命を譲ってもよかったのにあんなこと言われたら諦めきれないじゃんか庄ちゃんだけじゃないきっと土井先生にも山田先生にもは組のみんなにも迷惑かけるじゃんかそうならないように私は庄ちゃんから離れようと思ったのに、庄ちゃんが幸せになれればそれでよかったのに。

「無理だよ」

顔色一つ変えずに言った庄左ヱ門の背後で、天井から伊助くんが降りてくる。庄ちゃん、手筈は全て整ったよ、後はお前たちだけだ。うん、わかった、ありがとう。どういたしまして、こちらこそ。振り向かずに交わされる会話についていけない。何なの。何をしようとしているの庄左ヱ門。

「君がそれでよくても、僕たちはよくないんだよ」

優しく笑って、私の手を引いて立ち上がる。そのまま廊下へと歩いていくその足元で、いつの間にか座り込んでいた団蔵と虎若が私たちに風呂敷を渡してくれる。すでに肩に掛けられる形になっているそれは、近くの町にでも行くかのような、少ない荷物が入っていた。団蔵、虎若、と名前を呼べば、またな、と彼らはあの笑顔で私の背を叩いた。二人とも、ありがとう。どういたしまして、こちらこそ。廊下に出ると、障子が開いた両側にしんべヱと喜三太が微笑して座っていた。流れるように、はい、と笹の葉に包まれたおにぎりを受け取って、お礼を言う暇もなく私は庄左ヱ門に誘導される。私は振り返りながら離れていく二人を見つめていた。しんべヱと喜三太の声が、遠くから聞こえる。どういたしまして、こちらこそ。


優しく握ってくれている庄左ヱ門の手の力が強くなる。この道は、出口だ。庄左ヱ門は入門口へと向かっているようだった。それに応えるように、私もゆっくりと庄左ヱ門の手を握り返す。瞬時に、前を歩く彼の肩が少し揺れる。歩く速度が少し遅くなって、前から息を吐く音が聞こえた。それだけだった。その直後、ぱあん、と破裂するような音が真横で鳴り響く。思わず足を止める。庄左ヱ門の足も止まっている。障子の開けられた奥にいたのは三治郎と兵太夫だった。


「他の先生たちもい組も感づいた。後は僕たちがなんとかするよ」

「そんな僕らの最後の贈り物はこちら」


部屋の奥を向く兵太夫の目線を追うと、綺麗な四角に切り取られた穴があった。大きく口を開けて床に堂々と佇んでいるそれは、生活感のあるこの部屋にはあまりにも不釣り合いで、私は再度庄左ヱ門の手を握り締めた。

「大丈夫」

庄左ヱ門が一歩足を踏み入れる。手が引かれる。私も一歩踏み入れる。三治郎と兵太夫の間を通り過ぎて穴の正面へ。真下が見えないほどのその穴から、流れる微かな風が私と庄左ヱ門の頬を撫でた。私は二人を振り返る。


「ありがとう、三治郎、兵太夫」

「どういたしまして、こちらこそ」
「どういたしまして、しあわせに」


途端、ふわりと前へ引き寄せられて、庄左ヱ門の腕に包まれて、私たちは暗い暗い出口を落ちていく。その時私は理解した。庄左ヱ門は十一人の学級委員長をやめたのだ。彼は彼のわがままで、秀才の座から降りたのだ。馬鹿だ。君は頭がいいくせに馬鹿だよ庄左ヱ門。鼻の奥がつんとして、彼の胸に顔を擦り寄せれば、庄左ヱ門はごめん、と蚊の鳴くような声で呟いた。声は私の耳に届いた瞬間風に掻き消える。ごめん、ありがとう。

私たちは落ちて押し出されを繰り返して、ようやく裏山の奥へと放り出された。相変わらず兵太夫のからくりは容赦がない。馬鹿、と私は容赦なく吐き捨てる。礼を言いたいのはこちらの方だ、と。もう忍者の学校も実技もない。庄左ヱ門はただの男になった。色の授業も武器もない、一族の長でも道具でもない。私もただの女になった。


「どういたしまして、こちらこそ」


涙を堪えながら私は言った。声は震えていた。みんなが笑顔で言っていた意味が分かった気がした。私たちは向かい合って手を握り合っている。穴から這い出て生まれ変わって、私たちはまた二人で土に足を踏み入れる。



12.09.30
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