※死ねた?
※尻切れとんぼ







僕の眼球、僕の腕、僕の指、僕の足、僕の夢が、崩壊する。

僕の髪、僕の忍服。

僕の蛸壺、僕の場所。

僕だけの世界が、これだ。

世間で言う穴。

忍界で言う塹壕。

綾部喜八郎で言う蛸壺。

ターコちゃん。

それを掘るのが僕の生きがいで、趣味で、企みで、仕事で、全てだった。

全部だった。

僕はそれだけで生きていた。

うん。

うん、嘘。

今のはちょっとばかり言い過ぎだけれど、でも気持ち的にはそのくらい僕の忍人生の中では重要な、必要最低事項の一つだった。

だった。

た。

過去形。



「お帰り、喜八郎」



目の前には知らない女の人がいる。

南蛮の物でも見たことが無いような着物を着ていて、僕との間に人が一人入れそうなくらいの距離を置いたまま、綺麗に鎮座していた。

背筋を伸ばして、僕の眼球を直視して、口角を上げて微笑した表情で、こんな真っ暗な空間に。

いや、真っ暗というのは少しばかり不適切だ。

床も、壁も、天井も、確かに辺りは真っ暗なんだけれども、ただその一面には大小様々な光が散りばめられていて、ああ、これじゃあまるで、



「夜空の中にいる、みたいだ」


「はは、喜八郎は上手いこと言うね。まあ、あながち間違ってはいないけれど」



目の前には知らない女の人がいる。

僕は素直に感想を述べただけなのに、それを笑うなんて少し失礼な人だ。

作法がなってない。

真下で光っていた青白い光が僕の踏子ちゃんを照らしたところで、僕は表情には出さずにはっとした。

おや、まあ。

どうして僕は此処にいるのだろう。

どうして一人こんな所に立っているのだろう。

あれ、なんで。

だって、確か、僕は。



「ああ、そうだ。喜八郎は知らないんだったね」


「なにを」


「君がたった今思っていたことをだよ」


「…此処は、何処なの」



僕は、確かに、



「一人に、なったんだよ。君は」



死んだはずだ。

あの時、あの場所で、何事もなかったかのように容易く、先輩も同輩も後輩も守れないまま、ただ、自分の穴に埋もれて、ただ。

死んだ、はずだ。

僕は。

だから今こうして僕が肉体を持っているのは見るからにおかしいことであって、ましてや、踏子ちゃんまで僕の手の中にいるなんてのは理解しがたいことであって、だって、今の僕には。

死んだ僕には。

いなくなってしまった、僕には。



「まあ、そろそろだとは思っていたけれど」



悲しそうに彼女がそう言って、未だに僕を直視したまま、静止した。

鎮座。

それに僕は何気なく俯いて、未だに無表情を維持したまま、静止した。

直立。

そろそろってなんだろう。

僕が死ぬことなのか、僕がこの場所に来ることなのか、僕が立っている場所について疑問に思い始めたことなのか。

きっと、恐らく、多分、あくまで僕の予想だけれど、全部、だ。

そろそろだと、思っていたんだろう。

全部。

彼女の悲しい顔が一際、脳内を駆け抜けた。



「死んだんですよね、僕は」


「そうだよ」


「じゃあ僕は星になったんですか、踏子ちゃんと一緒に。ターコちゃんの中で共に息絶えて、死んで、この場所に、行き着いたんですか」


「…やっぱり喜八郎は相変わらず面白い発想をしてくれるね」



声だけ。

声だけだった。

彼女が笑ったのは。

ははは、と。

口角の上がらない嘲笑。

笑える場面じゃない。

面白い状況じゃない。

この境遇は。

この立場は。

僕にとっても。

彼女にとっても。

僕は一度柄を握り締めてから、勢いに任せて、床とも言えない床に踏子ちゃんを突き刺した。

風を切る音も無く、抉れる音も無く、土の感触さえもしないこの空間に、僕は無性に泣きたくなった。

鳴いた。



「分かり易く、かつ簡潔に教えて下さい。此処は何処で、貴女は誰で、どういう存在で、学園はどうなって、僕はこれからどうなるんですか」


「その質問は君が選択をしてから教えてあげるとするよ」



視界の端で、遠くにあった光が直線に落ちた。

僕と彼女の視線は未だ合致している。

互いに、一切逸らす動作を見せない。

逸らしてはいけない。

逸らせない。

まさにそれは眼球が鷲掴みされているような、足が床に縫いつけられているかのような、そんな感覚。息をつく。

彼女は、今の僕の状態を知っているのだろうか。

理解し、分かっているのだろうか。

僕の表情が乏しいのは生まれつきなのだと。

僕も内心色々思考しているのだと。

彼女、は。

僕の何を、知っていると言うのだろうか。

四肢と夢が崩壊して、場所も世界も、もう僕には無いのだと。

世間で言う穴。忍界で言う塹壕。

綾部喜八郎で言う蛸壺。

ターコちゃん。

それを掘るのが僕の生きがいで、趣味で、企みで、仕事で、全てだったのだと。

全部だったのだと。

僕は、それだけで、生きていたのだと。

知っているのだろうか。

此処に来たばかりの僕には、分からない。

分かるはずなんてなかった。

それなのに、僕が思考を巡らせている中で、問題の彼女は綺麗に口角を上げて微笑しながら、再度開口を開始した。



「さあほらどうぞ、こちらが冥土。舟に乗るのなら右手を、此処に居るのなら左手を私に出して下さいな。代金は頂きましたのでお気になさらず。適当に選ぶも良し、コインで選ぶも良し、十二分に選択を悩んでも、どうぞ」



そこは、確かに夜空の中だった。

確かに、僕は死んだのだった。

初めて来たこの場所は冥土らしい、どうやら。

本当のところは、分からない。

彼女は嘘をついているのかもしれない。

分からない。

なんせ、僕は死んだのはこれが初めてだ。

当たり前だ。

いや、もしかしたら前世というものが僕にもあって、一度絶命を経験しているのかもしれない。

分からない。

記憶がない。

分からない。

分からないこと、だらけだった。



「君は帰ってきたんだよ、喜八郎」



何となしに、彼女は言った。



背後で星が落ちた気がした。






11.02.18






カロンを聞きながらの綾部。
死ぬんだったら、私はやっぱり永眠がいい。
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