灰羽と。 | ナノ






真夏の暑い日差しと様々な制服に身を包んだ人達の群れ。大きなホールと熱から守るために分厚いカバーを掛けられた楽器。

ついにコンクール当日。

部員達を率いて楽器の搬入を行い、軽くウォームアップをする。課題曲と自由曲のたった2曲、されど2曲。準備はしっかりしておかないと万全の状態で挑めない。



「緊張する…」
「私も指先が回らなさそうで…」



1年生たちが不安そうに話しているのを見て私は笑いながら大丈夫!と肩を叩いた。そんな私の膝は正直笑ってる。人のことなんて言えない。

でもここで私が、部長の私がしっかりしてなきゃ。ミスは許されない。今日のために、上に行くために頑張ってきたんだから。



「名前さーん!」



会場の関係者しか入れない部屋の前のベンチで落ち着こうとひとり座って焦る気持ちを抑え込もうとしていると、名前を呼ばれた。

大きく手を振って駆け寄ってきたのはリエーフくんで、彼の姿を見た瞬間驚く程に上がっていた肩が降りた。



「リエーフくん!来てくれてありがとう!」
「はい!楽しみにしてます!これ、よかったら」



ポケットから何かを取り出して差し出す彼の手から私の手に落とされたのは小さな朱色のお守りだった。必勝祈願と刺繍されたそれは今まで見たお守りのどれよりも輝いて見える。リエーフくん効果かな。



「俺、ちゃんと見て聞いてますから」



ニッと笑ったリエーフくんの笑顔に釣られて私も笑う。きっと私が変な演奏をしたって彼にはわからないだろうけど、それでもせっかく来てくれたのだから最高の演奏を聞いてもらいたい。

ぎゅっとお守りを握ってお礼を言おうとすると顧問に呼ばれたのでもう出番かとまた緊張が走る。私たちの出番は最初の方で、もうすでにコンクールが始まっていることに少しだけ驚いた。



「じゃあ、私行ってくる」
「はい!あの、俺正直吹奏楽とかわかんないっスけど…名前さんなら大丈夫ですよ!」



彼の言葉に、彼に何度救われただろう。

私はリエーフくんの目を真っ直ぐに見つめて大きく頷き、部員の待つ舞台袖へと走った。





舞台袖は暗く、自分の演奏する前の他校の曲がダイレクトに耳に届く。名前を聞かなくてもわかる。私たちの前は強豪校だということ。

緊張する部員達に私はドラムスティックを握りしめ、手を前に差し出した。



「皆、全国を目指したい私の厳しい言葉に付いてきてくれたこと、本当に感謝してます」



今日は楽しく奏でよう。

私の言葉に後輩達は少しだけ泣きそうな顔をしたあと、笑って手を差し出してくれた。
3年生もまだ最後は早いからねと手を差し出して笑う。私も、同じ気持ちだよ。

円陣を組んだタイミングで前の高校の演奏が終わった。捌けていく他校の背中を追うように私たちはステージへと登った。



いつになってもこの感覚には慣れない。

眩しいライト、無数の観客。
いつもよりきっちりと着こなした制服。


指先が痺れるような感覚。
指揮者が構えると同時に私たちも楽器を構えた。



「…!」



眩しいライトの逆光の向こう側、そのライトよりも眩しい笑顔の彼が私をまっすぐに見ていてくれた。


曲が始まる。
小刻みに叩いたりアクセントを付けるのが難しかったり、何度も苦戦して超えられない壁にぶち当たった。
何度も何度も二度とこの曲をききたくないとおもった。

なのに不思議なことに、楽しくて仕方がない。
ずっと演奏していたい。
ずっとずっと、楽器に触れていたい。


厳しい言葉を私に投げられて悔しくて裏で泣いていた後輩も、上手くいかなくてギクシャクした3年生。
どうしていいかわからなくて頭を抱えた時、練習が嫌になって逃げたくなった時も。



(君がいつも笑顔にさせてくれたから頑張れた)



太陽のように眩しい笑顔と苦しいときに傍にいてくれた彼は、こうして私の晴れ舞台を見てくれている。



(あぁ、好きだなぁ)



穏やかな気持ちで私は自分の全力を出し切ることが出来た。









「お腹すいたなー!」



朝から吐き気がすごくて何も食べてなかったから、気が抜けてとてつもなくお腹がすいた。

何年も使い続けたボロボロのスティックケースが夏の終わりを告げる風に揺られて中身がカラカラと音を立てる。



「名前さん、かっこよかったっスよ」
「えへへ、ありがとう」
「金賞おめでとうございます!」
「…うん。ダメ金だったけどね」



ダメ金。

獲ることが出来ても、全国大会への切符は与えてもらえなかった金賞のこと。

演奏は完璧だった。高校生にしては難しい曲を素晴らしく演奏出来ていたと。ただ、今年は強豪校が豊作で私たちの演奏では手が届かないほどの実力のある奏者が多かったため、私たちは目立てなかったのだ。

現地解散のため、部員達はそれぞれ帰っていったけど、なかなか帰れなかった。みんな泣きじゃくっていたから。後輩たちは私たちのことを想い、3年生は悔しさと後輩の想いに嬉しくて泣いていた。



「俺の中では全国1位ですよ!」
「ふふっ、関東の演奏しか聞いてないのに?」
「うっ…聞かなくてもわかります!だって、名前さん頑張ってたじゃないですか。誰よりも休むことなく、誰よりもやりたくないことをやってのけてたじゃないですか」



やめてよ。
そんなことないの。

部員達の前ですら泣かなかったのに。
抑えきれなくて腕でゴシゴシと涙を拭き取るとリエーフくんが私の前にどんっと立ち塞がった。



「頑張った名前さんにご褒美あげます!アイス買いに行きましょう!」
「え…あっははは!ご褒美!嬉しいなぁ、ふふふっ」
「そんなに笑うことじゃないですよ!?」
「だってそんなこと言われると思ってなくて…あー、リエーフくんは面白いなぁ」



笑いながら涙を拭う私を見てリエーフくんは笑いすぎて涙が出ているのと思ったのか、不服そうに頬を膨らましていた。

それも束の間、何かを思い出したかのようにあっ!と声を上げたかと思えば私のスティックケースに付いているリエーフくんがくれたお守りをおもむろに外して手に取った。



「どうかした?」
「俺の姉ちゃんから聞いたんすけど、お守りに願い事を書いた紙を入れておくと叶うらしくて」
「何か入れてたの?」
「えーっと…まぁ、全国大会のこと、なんですけど…その、見られたら困るっていうか」



私に背を向けながらもごもごと話すリエーフくんを不思議に思いながら後ろからこっそり手元を覗くと確かに紙が入っていた。

罰当たりにならない?と聞けば驚いたリエーフくんが大きく飛び退く。そんなに大袈裟な反応しなくても…



「見せてくれないんだ?」
「うっ…」
「ふーん?」
「いや、えっと…言います!言いますから!」



咳払いをゴホン!とひとつして私に向き合うリエーフくんは口をきゅっと固く結んでから大きく息を吸って私の名前を呼んだ。

心臓が少しだけ速くなる。
なんとなくわかってるんだ、私。



「俺、名前さんのことが好きです!だから…俺と付き合ってください!」



そう言いながら差し出されたそれは御守りの中に入れていたであろう紙。
受け取って広げて文字を読んで私は頬が熱くなったのがわかった。

"名前さんが楽しく演奏出来ますように!コンクールで金賞?優勝?できますように!"とデカデカと書かれた文字の隣に今度は小さな文字が並べられている。


"名前さんとずっと笑い合えますように"



「リエーフくん、あのね」



私が紙を折り畳んで大事に胸に押し付けてリエーフくんを見上げると、少し不安そうな顔をした彼が大きな背中を少しだけ折り曲げて聞きたいような聞きたくないようなとわかりやすい表情をし始めたのがわかる。

思わず笑みがこぼれるけど、私も、私だって緊張してる。コンクール前よりもずっと。

太陽のような人。
眩しくて輝かしくて、それでいて可愛くてかっこいい灰羽リエーフくん。

ダメな金賞より、全国への切符に繋がる金賞より、どんなスポットライトよりもリエーフくんの方が素敵で綺麗。



「私も好きだよ」



夏の終わりに始まりの音がした。



(っしゃァ!!)
(ちょっ…えっ!?抱き上げるのはダメ!!)
(好きです!名前さん!)
(わかった!わかったから!)



灰羽と。

end.


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