short | ナノ






思えば彼はロシアと日本のハーフ。

そんな彼に英語を覚えろなんてなかなかの苦行ではないのか、なんて馬鹿なことを考えたところで斯く言う自分も日本人。英語とは一応無縁でもあるのだ。

何故英語が世界共通の言語になってしまったのか、決めた人達に物申したい。



「灰羽、これなんて読むか覚えた?」
「い…いでん…」
「アイデンティティーね」



私と同じクラスで後ろの席の灰羽リエーフは英語がそれはそれはとても苦手だ。

ほかの教科もなかなかに良いとは言えない成績だと思うけど、英語は特に苦手らしい。



「名前ー、これは?」
「さっき教えたじゃん」
「あっ!思い出せる気がする!ちょっと待って言うなよ絶対!」



大げさなまでのオーバーなリアクション。そして大きな声に大きな体。顔が整ってることもあってどんな反応、どんな動きをしても綺麗なんだけど時々びっくりするほどブサイクな顔もする。

それから、こんなに大きなスタイルの良い体で整った顔をしているが彼の中身は幼いし頭もよろしくない。本当に小さな子供みたいだとよく思う。



「んーと、えっと、アベレージ!!」
「意味は?」
「えっ」
「average、日本語で?」



本人は思い出したことに褒めてもらえると思ったのだろう。しかしすかさずさらに問題を与えた私に灰羽はきょとんとしたのち、みるみるうちに拗ねていくのだ。

可愛い。なんて口が裂けても言えない。
そう、何を隠そう私は彼、灰羽リエーフが好きなのだ。入学して片想いをしてから早4ヶ月。もうすぐ夏休みも終わり9月になると5ヶ月か。短いような長いような片想い。

好きという気持ちだけでせっかくの長期休暇の数日を彼に捧げられる自分の行動力にもびっくりだ。
夏休みの課題や補講を防ぐために勉強を教えてくれと灰羽から直接連絡があったのも不思議だけど、私と灰羽はクラスの中でも目立つほど"仲の良い友達"なので誘われて当然と言えば当然。

あぁ、心が痛い。



「名前、休憩!」
「また?アンタほんっと集中力ないね。部活のときとかどうしてんの?」



机に突っ伏した灰羽の頭をシャーペンの後ろでつつく。

教室といえど冷房はついていない。開け放たれた窓から生温い風が時々入ってくるだけで蒸し暑い。その暑さからか、私はボーッとしながらある提案を思い付いたのだった。



「ねぇ灰羽、しりとりって知ってる?」
「あっ!バカにしてるよな!?それぐらい知ってるからな!」
「じゃあさ、普通にやっても面白くないから勉強も兼ねて英語でしりとりしようよ」
「英語しりとりかー!やりたい!」



キラキラした笑顔で少しぬるくなりつつあるスポーツドリンクを飲む灰羽、やっぱり可愛い。

意地悪したくなったのも半分、もう少し彼といるために勉強する時間を伸ばす手段として提案したのが半分。あぁ、なんて自分勝手わがままな作戦。



「じゃあaverageのジからにしよう。eからでもいいよ」
「よっしゃー!んーと…じ、じ…generation!」
「早速終わりじゃん」
「えっ!?あっ!!」
「いいよ。nから始めるから。うーん…nature」
「emotion!」
「…まぁ、いいよ」



考えるとき、眉間に皺を寄せながら唇を尖らせて考える表情とか。思いついたときにとても嬉しそうに笑う顔とか。

私が考えてる間にふわりと笑って頬杖をする仕草とか。風に揺られる髪とか、白くて綺麗な肌とか。

あ、私もしかして変態なのかな。
こんなに灰羽のこと見つめてドキドキして、いやらしいと自分でも思い始めたとき。



「absorb」
「b…さっきもbからだっただろ!」
「たまたまじゃない?ほら早く」
「んぅー…bだろ…あーあれなんだったっけ!」



思い出すというよりも、なにか閃いたというような顔。灰羽は一瞬だけニッと笑うと息を吸い込んだ。



「beloved」



「…dね、」
「………うん」



何、その間。
というか顔。

灰羽の口元は笑ってない。でもどこか愛おしむような表情で私の目を真っ直ぐに見つめてくる。

心臓がうるさい。



「なぁ、名前」
「なに」
「いきなりだけど復習な」
「…なんの」
「belovedってどういう意味だっけ」



少しだけニヤリと笑う顔はまだ優しくて柔らかい表情をしていた。

ドキリと大きく一度跳ね上がる心臓を誤魔化そうと目を逸らすも、机の上に投げ出されている私の手に灰羽の手が重ねられてまた目を合わせてしまう。



「え…と、灰羽?」
「わかんねーの?」
「わかるよ。…"最愛"、でしょ」



私が答えると満足そうに灰羽は笑う。



「俺にとっての最愛は名前だ!」



両腕を広げて満面の笑顔でとんでもないことを言う灰羽を、私はこれでもかってぐらい目を見開いて見つめることしか出来なかった。

いま、なんと?


信じられなくてぱちぱちと瞬きすれば頬を少しだけ赤く染めた灰羽が私の様子に気付き、イタズラっ子のように今度は笑う。



「びっくりしただろ?」
「びっくりした」
「でも本当のことなんだよ!」



好きだ、名前。

はっきりと形の良い口から発せられた言葉。私は泣きそうになるのを堪えながら俯いて顔を手で覆い隠した。



「待って、今しりとりしてたんだよね…?」
「おう!」
「なんでそうなるの…」
「名前が可愛かったからつい」



馬鹿なの、こいつ。
いや馬鹿だった。

それも愛すべき馬鹿。



「灰羽、」
「ん?」
「"I think very tenderly of you."」
「…はっ?」



英語で言われたなら英語で返事をしないと。
そう思った私は熱い頬を隠さないまま不器用な発音でそう言った。

灰羽は理解出来なくてどういう意味だよ!と前のめりに食い付いてきたけど、私は無視してニヤける口元のまま教科書を開いた。



「名前ー、返事を教えてくれー…」
「ふふ。知りたい?」
「知りたい!」
「答えはね、」




(君のことがたまらなく愛しい。)

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