キラキラした水面。
数日前に降り続いた雨の日とは打って変わってとても良い天気。暖かい日差しを反射させた水面が眩しい。遠ざかる水面とゆらゆらキラキラ、酸素と水中の光が踊るかのように浮いていく。…息ができない。
まるで無数の手に引かれているかのようにゆっくり沈む私の体。あぁ、この池こんなに深かったんだなぁなんてまた呑気なことを考えてしまった。
酸素がもう無い。ごぼっと最後の最後まで溜め込んでいた空気を口から吐き出して私は瞳を閉じた。
誰もいない森の奥の静かな池。誰も、助けなんて来るわけが────。


(こえがする)


遠く遠くから誰かの声がした気がした。それと同時に轟音にも似たような音が水中に響き渡った。薄れる意識の中、ぼやけた視界には何も無いところから不自然にたくさんの気泡がぶくぶくと泳いでいて、その中心部で影が見えたところで私は目を閉じ死を覚悟した。







温かい手。
それと光に反射してキラキラ輝いて見える色素の薄い髪。
同じように色素の薄い、いつもどこか遠くを見ているような瞳。

私はあなたに恋をした。友になりたいと思った。ずっと傍に居たいと思った。ずっと。ずっと。









「────さん!…苗字さん!」


ぽたぽたと何かが顔に何度も落ちてくる。冷たい、寒い。誰かが私を呼んでいる。体が重い。
力を入れるのが少し怠くてゆっくりと瞼を持ち上げることに成功した。するとそこには視界いっぱいに広がる心配から安堵に変わっていく表情。


「レイコ…?」


無意識に呼んだ名は彼のものでは無い。また知らない誰かの名前を呼んでしまった。そう思うと同時にそうか、彼はレイコではないのかという落胆と寂しさがじわじわと込み上げてきて不思議な感覚に陥った。
目の前の彼は夏目貴志くんだ。以前のように自分に言い聞かせて彼の目を見つめると驚くことも無く私を見ていた。


「…よかった、しばらく何も返事がなかったから誰かを呼んでこようかと考えていたところなんだ」
「夏目くん…私、死ぬのかと思った」
「俺も正直苗字さんがこのまま目を覚まさないのではないかってちょっと考えちゃったよ…でもよかった、生きてる」


心底安堵した表情で笑った彼を見て私も少し笑った。そこで何故私が水底に沈んでいたのかを思い出そうとしてみたのだけれど全く思い出せない。
上体を起こして辺りを見渡すと目に入ってきたのは広い…池?そして生い茂る木々。どうしてこんなところに?


「友人と別れたところでちょうど苗字さんを見かけたんだけど様子がおかしくてついてきたんだ。そしたら道もないところで姿を晦まして、見つけたと思ったら突然池に飛び込むから慌てて助けたんだ」
「飛び込む…?私が?自分から?」


謎だらけだ。私も夏目くんと同じように友人と学校を出ていつもの場所で別れたあと、帰路についているところだったはずなんだ。なのに、ましてや制服のままで池に飛び込むなんてそんなことあるはずがない。


「…どうしてそんなことをしたのか自分でも分からない」


分からない、けど。体と意識が沈んでいく中で見えたのはとても綺麗な、色鮮やかな記憶だった。
いつも笑っていたあの人。私にとって特別だった人。でもいつ、どこでその人と出会ったのか分からない。私はその人を知らないのだ。なのに、心の底から愛しいと感じた。今まで感じたことの無いその感情を私はずっと昔から知っていたかのような記憶。
私ではない、誰かの記憶…?


「疲れているのかもしれないね」


考え込んでいたところで掛けられた声に思わず勢いよく顔を上げてしまった。困ったように笑う夏目くんがいた。突然黙り込んだ私を心配してか、優しい言葉を掛けてくれた彼に少し恥ずかしさを感じた。


「…助けてくれてありがとう。夏目くんが来なかったら私死んでたかも」
「大いに有り得るから本当に居残りとかなくてよかったと思ったよ」
「ごめんなさい…夏目くんまでびちゃびちゃ…」
「気にすることないよ。苗字さんが無事でよかった」


そう言って笑う彼の笑顔は柔らかくて温かくて素敵だった。
光が反射してキラキラと輝く色素の薄い髪、そして同じように色素の薄い澄んだ瞳。
記憶の中の彼女を知らないはずなんだけど、その彼女にどこか似ている彼に私の心臓はうるさく鳴った。


ふたりして全身ずぶ濡れのまま帰り道を歩いた。元々静かな町、人とすれ違うことがなかったのは幸い。
特に何も無かったかのように振る舞ってお互いに色々な話をしながら以前と同じ場所で別れを告げて帰宅し、悲惨な姿の私に母の怒号が数年ぶりに飛んできた。