時に子供の純粋さとは、鋭利な刃物になる。
そして何も考えていないようでよく考えているし、賢いものだ。



「名前ちゃんは魔法使いの役ね」



クラスで一番可愛かった子。
なんて名前だっけな。確か美咲ちゃんだっけ。
彼女は黒板の前に立ってチョークを握り、コツコツと音を立てて返事も聞かずに丁寧な字で私の名前を書いていく。

シンデレラ。
学芸会でやるシンデレラの配役を決めていて、私も何かの役で舞台に立ちたいなって思って挙手したんだ。
やりたい役なんて特に決まってもなかった私はどうしようかなと悩んでいる内に主役争いから思いもよらぬ形で免れてしまった。

美咲ちゃんは笑顔で先程の言葉を放つ。
クラスの子達も反論しない。



「うん。私、頑張る」



もちろん私も。



だって私は主役向きじゃない。


いつだって脇役。
目立つことなくひっそりと主役を支えて生きていく。

それが私の運命。








と、君に出会うまではそう思ってたよ。








「この間のKnightsのライブ中継、見た?」
「見た見た!泉くんちょ〜かっこよかった!」
「凛月くんがカメラ目線でウインクしてたのやばくない!?」



高校生活2年目の春が終わる。

学年が上がり新しいクラスになってからもう2ヶ月が経ち、梅雨に入った。
すでにみんなクラスに馴染みつつあって、共通の話題や好きなものがある者同士のグループがまた新たに出来上がっていた。

窓の向こうは灰色で、今にも雨が降りそうな重たい空模様だった。



「名前は?」
「私も見たよ。UNDEADもかっこいいね」
「でしょ〜!?晃牙くんがかっこよくて可愛いの!」



友達の話にあわせるのは得意だ。誰かにオススメされたものは片っ端から目を通して良い感想を述べる。それだけで私は布教された子として認められ、仲間入りを果たせるのだ。
否定的なものはそこに入れてはならない。少しでも濁してはいけない。そんなことしてしまうと、次が無いからだ。

人付き合いを上手くやっていく上で、もっと大きく言うならば私が生きていく上で自己主張などいらない。
自分の意見なんてものは持つべきではない。だって聞き入れてもらえなかったときの方が悲しいじゃないか。だったら黙って人の話を聞いて動いていればそれでいいじゃないか。

その方が楽じゃないか。



「名前さ、明日の日直変わってくんない?」



両手を合わせて困ったように笑う彼女の欲が見え透いた話や願いでも、断るより受け入れる方が楽なものは楽なのだ。



「…彼氏とデートでしょ」
「うっ、バレた?」
「いいよ。私は暇だから」
「やったー!!ありがとう!!」



ほら、正解。



「お礼と言ってはなんだけどこのチケットあげる!」
「何?これ」
「サンシャワーフェスタのライブのチケット!なくても見れるんだけど、特等席なんだよ〜!」
「そうなんだ…ありがとう」



サンシャワーフェスタ?
聞いたことはあるけど行ったことないかも。
色とりどりの傘が天井のようにアーケードの上空にずらりと並ぶポスターが頭をよぎる。
確かみんなが先程から騒いでいるアイドル達───夢ノ咲学院のアイドルもパフォーマンスに参加するんだったかな。だからチケットもあるのか、なるほど。
と言っても私は正直興味が無いし、一緒に見に行くような子もいないので一人で見に行くしかないんだけど。でも見に行かなくて感想を聞かれた場合は面倒だ。行くしかない。


と、その程度に思ってたんだけどな。




「魔法を掛けてあげよウ♪」



語尾の歪んだ独特のイントネーションの話し方で放たれた言葉はアーケードに響き渡り、直後に音楽が始まる。
色とりどりの傘やアイドルたちが眩しいなんてほかの人たちが口々にしていたのを大袈裟かななんて最初は思っていたのに、私は今、口を開いたまま目を奪われていた。

赤髪に白メッシュ、そして琥珀色の瞳。
そんな彼の一挙一動をまるで本当に魔法に掛けられたかのように見入ってしまっている。



「ししょ〜はやっぱり凄いです!かっこいいな〜!」
「逆先先輩って本当に魔法使いみたいだよね♪」



金髪の目のくりっとした男の子も双子のピンク色がモチーフの男の子も彼を尊敬の眼差しで見つめながら各々のパフォーマンスに徹していた。

魔法使い。
かつて私が自分の主張をやめ、主役を諦めさせられた脇役の名前。しかし彼は魔法使いと呼ばれ、自ら観客や同じアイドルをも魔法に掛けているのだ。
魔性を秘めたような笑みは高校生とは思えないし、脇役なんかではない。主役だ。



「すごい…」



思わず口に出してしまった。
それと同時に自分が思っている以上に感動してしまっていたのか、涙がぽろりと零れ落ちた。
慌てて拭ってみるもぽろぽろと落ちるそれは止まることを知らず、仕方が無いので持っていたハンカチで目元を隠すように抑えた。

アイドルってこんなに凄いんだ。初めてそう思えた。みんなが毎日のように褒め称えて夢中になるのもわかる。だって現に彼はこんなにも素晴らしい歌声とダンス、そしてオーラを身に纏っている。
私も、こんな風に誰かの目に少しでも留まるような人になりたかった。
自分の魅力を自分で引き出せず、周りに流されて笑うだけの人間になってしまった。そんな自分の弱さに悲しくなってしまった私は最後まで見ることはせず、残り1曲という終盤で耐え切れなくなり席を離れてアーケードを後にした。










「ひとりで泣いテ、どうかしたノ?子猫ちゃん」





後にしたはずなんだけどな。これは一体どういうことか。まぁ聞かなくても自分でわかってる。先程席を離れた時にハンカチを落としたのだ。探しに戻った頃にはライブは終わってて、清掃が入ったのかもうそこにハンカチの姿はなかった。
誰かが拾ってくれているかもしれないと僅かな希望を抱きながらインフォメーションを目指そうと視線を上げた先には先程の魔法使いの彼が口角を上げて立っていたのだ。

酷く困惑してしまった私は声を出すどころか口を開けることすらできず、目を見開いて彼を見ることしかできなかった。
そんな私を見て小さく笑った彼が一歩ずつゆっくりと私へ近寄る。



「探し物はこれかナ?」
「…あっ」



衣装のポケットから取り出されたそれは間違いなく私のハンカチだった。
ミニキャラの魔女と黒猫の刺繍の入った柔らかい素材のハンカチ。こんなに可愛いものなら私もあの頃は喜んで魔法使い役に名乗りを上げたのにな、なんて思いながら買ったのを覚えてる。

差し出されたそれを受け取って頭を深く下げてありがとうございますと伝えるとまた彼はふふっと笑った。
顔を上げた先にはとても綺麗な、お人形さんみたいな顔をした彼がいる。少しだけ惨めな気持ちになってしまった。



「泣くほど感動してくれたノ?」
「…あの、なんで泣いていたと思うんですか?」
「ステージから見ていたヨ」



見られていた。
恥ずかしくなって目を逸らすと私の隣にある客席用の簡易的なパイプ椅子に彼は腰掛けた。
どうしていいかわからなくなった私は椅子と彼を交互に見ることしか出来ず、そんな私の行動を理解した彼は隣の椅子を軽く叩いた。恐らく座れということだろう。
彼はアイドルなのに隣に座って貴重な時間を奪ってしまってもいいのだろうか。そこまで考えたくせに体はなぜか椅子に座っていて、あぁこれも彼の魔法なのかななんて思ってしまった。



「ボク達"Switch"のライブを見るのは初めてかナ?」
「はい。友達がチケットをくれたのでせっかくだから見に来ました」
「そうなんだネ。楽しんでくれていた様子はステージまで届いていたヨ」



泣いていた私を見て楽しんでいると思ったの?
確かに楽しかった。心の底から感動したしもっと見てみたいとも思った。主に隣に座る彼のことを。
でも泣いている私を見てどうすればそのように捉えることができるのだろう。



「不思議そうな顔をしてるネ。ボクは魔法使いだかラ、なんでもお見通しサ」



本当なら理にかなってないその解答をそんなわけないじゃんと言い返せるのに、なるほどと納得してしまった。それ程に私は彼を魔法使いだと信じ込んでいるらしい。



「本当に素敵でした。私にとって最高のひとときで、キラキラ眩しくて、何より魔法使いって本当にいるんだなって思いました」



私の言葉に今度は彼が少しだけ目を見開いた。
そのあとすぐにふわりと笑ってそのまま立ち上がった彼はステージへと登る。



「今日は気分が良いからネ。君だけに特別な魔法を掛けてあげよウ」
「特別な…?」
「そウ。きっと明日から毎日が輝いて見えるサ」



ステップを踏むかのようにひらりとターンをして口元に人差し指を寄せた彼は反対の手の人差し指を立てて宙に円を描いた。
その動作ひとつひとつがすでに魔法使いの儀式のように見えて私は瞬きすら出来ないまま吸い込まれるように見入る。
夕暮れ、もうすぐ辺りは暗くなるというのに彼だけがスポットライトを浴びたみたいに眩しく見えた。



「大丈夫だよ。君だって立派な魔法が使える。諦めないで、笑っていて。きっと誰かが見ていてくれるよ」



呪文を唱えるように、でもどこか暖かくて優しくて柔らかくて…彼の素敵な声が私の心の中を満たしていく。言葉ひとつひとつが、身体中に染み込んでまるで陽だまりに包み込まれているみたいにふわふわした。

パチン、と指が鳴らされて遠くから人混みの雑音が聞こえてくる。彼の声しかどうやら聞こえていなかったらしい私はハッとしながら辺りを見渡した。
そんな私の様子に彼は小さく笑ってステージを降りて私の手を取り立ち上がらせてくれた。
出口はあっちだヨ、と先程と同じ違和感のある話し方に戻ってしまっていた。



「ありがとうございます。えっと…」
「逆先夏目。Switchのリーダーをしているヨ」
「逆先、くん。…私は苗字 名前。たぶん、すぐに忘れちゃうと思うけど」
「ボクを甘く見ないでほしいネ。忘れるわけないヨ、名前」



呆れた顔をしてため息をつかれてしまった。だってそう思うでしょ。彼は、逆先くんはアイドルでたくさんのファンやお客さんをこれから先も出会っていくのだから。私はその端くれにしかすぎない。
あぁまたそんなこと考えてしまった。せっかく特別な魔法を掛けてもらったのに。



「じゃあネ、迷える子猫ちゃん。気をつけて帰るんだヨ」
「はい。…また、会えますかね」
「どうだろウ?でも君とはまたどこかで会う気がするヨ」



それはお世辞でも嬉しいな。
そう言ってさよならを伝えようと振り返った先にはもう逆先くんの姿は無くて、ただ静かな誰もいないステージだけがそびえ立っていた。





それが彼、逆先夏目という魔法使いとの出会い。