Drink it Down. | ナノ






パパが、私の幸せを願うのはパパだけじゃないと笑ったあのとき。どういう意味かわからなくて首を傾げたままパパの目尻の皺を見つめていた。



「名無しー!今日の夜さ…あっ」
「やぁ、翔陽くん。おはよう」
「おはザッス!」



特に空気を読むでもなくノックをするでもなくバンッと勢い良くドアを開けて大きな声で話しながら入ってきたのは翔陽で、怒ることなくにっこりしてパパは挨拶をした。
負けないぐらい笑顔で翔陽も挨拶を返したところでパパの言う"パパ以外"が翔陽のことなのかな、なんて思った。

ゆっくりしていきなさい、とだけ言い残してパパは部屋を出ていってしまった。
一応寝起き姿である私のことを気にせず翔陽はベッドに腰掛けてバレーの話をし始めてしまった。



「そしたら影山の奴が……って、これを言いにきたんじゃなかった!!」
「翔陽はいつでも元気だね、尊敬するよ」
「名無しだって凄いだろ?毎日働いて疲れるだろうけど遅くまで働いてもちゃんと毎朝起きて父ちゃんの弁当作ったりしててさ、俺は尊敬する!」



翔陽はこういうところがある。
何を当たり前のこと言ってんだって顔しながらさらりとそういうことを言ってのける。だからいつでも周りに人がいるんだろうな、なんて。

クスリと笑う私に翔陽が首を傾げ、あー!!と大声を出し始める。朝から本当に元気というか騒がしいというか。



「そうだ!思い出した!今日の夜仕事か!?」
「今日?休みだったかな」
「おぉ、じゃあちょうど良かった!18時に隣の駅前に来てほしいって研磨が言ってたんだよ」
「え…研磨って、音駒の?」
「そう!名無しに会ってみたいって」



何度も聞いたことのある名前に、意外すぎて開いた口が塞がらない。会ったことは、なかった気がする。
なぜ鉄朗の幼馴染が私に?
皆目見当もつかないままどうすればいいのか、考えて行くか行かないか決められないまま翔陽は出ていってしまった。




結論的に私は研磨くんに会いに行ったし、もちろん鉄朗の話をした。
翔陽に言われた場所に行けば恐らく研磨くんであろう人物がいて、話しかければ案の定本人で予想の上を行く金髪プリンにちょっとびっくりした。

実際のところ、研磨くんは良い子だと思う。
鉄朗から聞いていた話も含めてとても良い子だった。
彼は幼馴染である鉄朗のために私との接触を図ったのだろうけど、どことなく私の話も聞いてくれて心が楽になった気もする。

今は研磨くんが晩御飯をここで済ませるということで話をするために入ったファーストフード店の一番奥の窓側の席で彼を待っているところ。

やっぱり私は鉄朗が好きだし、会いたい。



「お待たせしました、アイスココアです」



研磨くんが注文に行って5分ぐらい経ったか経ってないかってぐらいの頃、突然頼みもしていない飲み物を目の前に差し出された。
慌てて違いますと断ろうと差し出した人物を見上げて思わず息を呑む。



「え…鉄朗…?」
「俺はコーヒーな」



よそよそしい態度でもなく機嫌が悪そうとかでもなく、いつもの調子でニヤリと笑って向かい側の席に座った鉄朗に私は瞬きを繰り返す。
本物?なんでここに?そこは研磨くんが座ってた場所で、これから彼はそこでご飯を…?

巡り巡って結論の出ない頭は考えることを放棄してしまって真っ白だ。
私の目の前に鉄朗がいる。緊張と嬉しさと困惑とでどうにかなってしまいそう。



「飲まねーの?」



ぽかんとしたままの私を不思議そうに見るけど、私はアンタの方が不思議だよ。

確かに翔陽がこの間元音駒のバレー部と練習試合をするから云々って話しているのは聞いてたけど、それとこれとは別。
鉄朗と私が会う予定は無かったはずだ。



「なんで、ここにいるの」
「んー?別にぃ。会いてーなって思ったオネーサンがそこにいたから来ただけ」



もう。なんなの、もう。
研磨くんといい翔陽といい、鉄朗といい。
私を泣かせてどうしたいの。



「私も、会いたかった」
「…そっか。元気してんのか?」
「元気じゃない。鉄朗と会えなかったから全然元気じゃない…っ」
「ハハッ、俺に相当惚れ込んでんだな」
「それは鉄朗もでしょ?」



そうだな、と静かに呟いてコーヒーを飲む鉄朗に何年もの間会えなかった人との再会のような懐かしい感覚に陥る。
ぽろぽろと目から落ちる雫を手の甲で軽く拭って少しだけ落ちたマスカラも気にせずに私は笑った。



「私、倫太郎に言ったの」
「…何を?」
「倫太郎じゃ私のこと頼まれても無理だよって」
「へぇ、それで?」
「何度も言うけど倫太郎は友達。…でも行き過ぎたことしてたよね、ごめん」



素直に謝って鉄朗を見ると、何を考えてるかわからない読めない表情をしていた。
今の私は鉄朗の考えていることすらわからない。だって怖い。これだけ笑っていたとしてもまたいつ離れて会えなくなるかわからないから。

自分でもどこまでマイナスに考えてるんだってツッコミを入れたくなるけど、本当のこと。
でもそんな私なんか構わずに鉄朗はまたニッと笑って両肘をテーブルについた。



「俺も無理。他の奴には名無しのこと頼めねぇわ」



ね、鉄朗。
私依存してるのかな。

でも依存かどうかは置いておいて、鉄朗は私に欲しい言葉をくれる。
しばらく会えなかったこの期間でさえ愛おしくなる。



「好きだよ、鉄朗」
「俺は愛してっけどなー」
「…ありがと。嬉しい」



穏やかな気持ちが全面的に出てしまってニヤける口元を隠しきれない。
両手で顔を覆ってしまおうとすると、その手をやんわり止められて鉄朗の手が私の両手を包み込む。

暖かくて大きな掌。
私はこの手が、この手の持ち主のことが心の底から大好き。



「これ、やるわ」
「…えっ!?」
「マンションのオーナーに1本しか無いって言われてよー、スペア作ってずっと持ってたんだよ」



包み込まれたままの手に渡されたのは、ポケットから取り出された黒猫のストラップのついたシルバーの鍵。
聞かなくてもわかるけど、わかるけどどうしていいかわかんない。

やばい、私今すぐ東京行きたい。



「やっと渡せたわ」
「貰っていいの…?」
「名無しともしこっちの世界で会ったら絶対渡そうと思って作ったんだから貰ってくれないと困りますぅー」
「うっ…今人生で最高に本当に嬉しいんだけど」



破顔してるのはもう今更、幸せな気持ちで私はほわほわしている。
そんな私を見て鉄朗は笑ってるけどそんなこと気にならないぐらい本当に幸せなのだ。

私の頭を撫でながら笑いの波を落ち着かせた鉄朗が意地悪そうな笑みを浮かべた。
あ、これまたなんか嬉しいこと言われる気がする、なんて自惚れて次の言葉を待つ。



「ま、人生で最高に嬉しいはまだ先にもあるけどな」
「…うん。待ってる」



やっぱり心が暖かい。
今まで飲み干してきたたくさんの感情が浄化されて優しい気持ちになれる。不思議。







(で、研磨くんは?)
(あー、ホテルすぐそこだからテイクアウトして帰った)
(ふーん?鉄朗はなんでここに私がいるの知ってたの?)
(…通りすがりデス)
(嘘ばっか。会いてぇわって送ったくせに)
(うぐっ…その会いてぇ奴が幼馴染みと一緒に写メ撮ってたら俺だって走ってきますゥー!)
(えっ!!研磨くんあれ送ったの!?)
(店は写メから特定した)
(なんなのその無駄な洞察力)


(なんか寒気が…夜久くん毛布ちょうだい)
(大丈夫かー?風邪か?)
(たぶんっていうか絶対違う…)




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