Drink it Down. | ナノ






朝起きて最悪の目覚めのまま父の朝ごはんとお弁当を作って煙草に火をつける。
心配する父に作り笑いを見せながら見送って少しだけ家事をしてからまた布団に入る。携帯も必要最低限見なくなった。倫太郎からの連絡も翔陽からの連絡も返す気もなければ見る気すら起きなかった。


ただただ目を閉じた。


そうして世界から逃げたあと、徒歩3分圏内の古いスーパーで買い物をして父の晩ご飯を作り、もう何年も手馴れた化粧を施して髪を簡単にセットし、夜の街へと繰り出す。

ド田舎でも、どこにだってやっぱり飲み屋街や水商売の店が連なる繁華街はある。
それが私の生きてきた世界とは違う世界でも同じらしい。
メイクさんがいない分お給料から減らされるようなこともなければ自分の好きなドレスやスーツを着ることも出来る。服は実費になるけど、田舎だし安いし無ければネットショッピングという便利な方法だってある。


朝も昼も夜も、現実から目を背けるために私は何度もアルコールを涙と共に飲み干した。



「ナナシちゃん、痩せた?」
「えーわかる?こっち来たときは宮城の食べ物が美味しくてつい何でも食べてたから、最近ダイエット始めたんだよね」
「無理なダイエットは良くないべ!ちゃんと食べてね」
「ありがとう。でも私、お酒が好きだからついつい飲んじゃうしそれで太りそう〜」



引くほどの饒舌。
酔ってもいないくせに、ダイエットなんてしてないくせに。

どれだけ飲んだって記憶がぶっ飛んじゃうほどの酔いは来なかった。酔った振りをして自分をも騙しているつもりだった。

東京の人間と違って宮城は地方ということもあってか固定客が掴みやすかったし何より哀しいぐらいに暖かい人達ばかりだった。
金で物申す人なんて今のところいない。まぁ、東京でもそんな人私のお客さんにはいなかったけども。



「はい、今月のお給料。お疲れ様」
「ありがとうございます」
「ナナシちゃん一気に人気になったね。無理せず自分のペースで頑張るんだよ」
「…大丈夫です。他にやることないですから」



自分のペース、なんて。
私のペースなんて忘れちゃったよ店長。

鉄朗と離れ、倫太郎から鉄朗の話を聞いてもう何週間経っただろう。
軽い気持ちではなかった。こちらの世界に来たのも。本気で鉄朗とずっと一緒に居られると思ったから。ずっと一緒に居るつもりだったから。
高校生かよ。私にはこの人しかいないってか。まだ若い方だし、男は星の数ほどいるってのにね。



「…鉄朗しかいないよバーカ」



口の悪い自虐の言葉はまた宮城の夜空へと溶けていく。



目覚めが悪いのは、いつも振り向くことのないあの大きな背中を見るから。私の声が彼には届かないから。
私の声が届かないまま、色の無い世界へと彼が消えていくから。



「────名無し」



優しい声。
私の愛する母が愛した人。



「…パパ?」
「おはよう、名無し。目覚めが悪そうだね」
「このところ働き詰めだったから…ごめんね、朝ご飯急いで作るから」
「名無し」



目尻に寄せられた皺は父の人の良さを表しているみたいで、私は好きだった。
母が愛した父。それだけでも大好きで、どうしてこんなにも優しいふたりが、素敵なふたりが会えないまま母は他界してしまったのだろうと悔いても悔やみきれない。

ベッドサイドに置かれた写真立ては母の笑顔が輝いていて、隣で伏せられたまま片付けることも捨てることも出来ないもうひとつの写真立てが惨めに見えた。



「どうしたの、パパ」



上半身を起こした私の髪を父は優しく指先で梳く。
ベッドに腰掛けてゆっくりと口を開く父の言葉を私は静かに聞いていた。



「角名くんに聞いたよ。最近元気がないってね。彼も翔陽くんも心配していたよ。名無しが元気ではない原因は、なんとなくわかっているけれどもね」



倫太郎も、翔陽も。
そこに鉄朗の名前は出てこない。
もちろんそりゃ父と鉄朗は直接的な面識はないだろうし、当たり前なんだけど寂しく思ってしまった。



「名無しは優しい子だ。私の自慢の娘だよ。だからこそ幸せになってほしいと思う」



それに、と付け加えて私の頭を撫でる父の表情が一段と柔らかいものに変わった。
その笑顔を見るだけで思わず私は涙が溢れそうになり、誤魔化すために少しだけ俯いた。

それでも父は顔を上げさせようとすることもなく、尚も優しく頭を撫で続けてくれているのだ。



「それに、名無しの幸せを願う人は私だけではないんだね」
「……え?」
「もう涙を飲み干さなくていいんだよ」



それはかつて私に会いにきた父が、最初に私に言った言葉と似ていた。









「おーい!研磨ァー!」



翔陽の声が人混みの中なのに際立って聞こえる。翔陽はいつだって元気で明るくて…面白いけどうるさい。

翔陽が迎えに来てくれると連絡をくれてから数時間、仙台駅についた。
久しぶりの遠征。元音駒バレー部員と元烏野バレー部員で春休みに練習試合を久しぶりに行うと引退した猫又監督とクロから連絡が来たのはちょうど1ヶ月ぐらい前。

先にもう仙台に着いてる他の部員の泊まるホテルの場所まで、翔陽はずっと東京の大学のこととかバレーはまだ続けてるのかとか、あと翔陽のこととか話してくれてた。



「でさでさ!そしたら影山が…」
「ね、翔陽。翔陽の親戚のお姉さんってまだこっちにいるの?」
「え?名無しのことだよな?」
「うん。元気にしてる?」



翔陽は目を点にしながら俺の質問の意図を必死に汲み取ろうとしてる。俺の口から名無しさんの名前が出てきたことに驚くのは仕方ないと思う。接点がないから。

強いて言うなら俺の幼馴染みの彼女───だった人、になるのかな。クロは別れたとは言ってないけど、別れたようなもんだとは話してるのを聞いたことがある。
そのわりに別の大学の女の人と遊びに行く予定を立てたりしても突然辞めたり、熱心にバレーに取り組むようになってる姿勢からしてきっと本心じゃないことはわかる。



「俺、その人に会いたいんだけど」






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