Drink it Down. | ナノ






「やっと会えたのはいいけどあれは何?」



仙台に帰る前日、倫太郎に呼ばれて大学へ行くと突然そんなことを聞かれた。

最初は何を聞かれているのかわからなくてハテナしか浮かばなかったけど、見るからに不機嫌な倫太郎の顔を見てこの間の練習試合のことを思い出す。



「なんかあったっけ?」
「…彼と会えた嬉しさはわかるけどさ、あんな大勢の前で何してくれちゃってんの」
「………あっ」



なるほど、鉄朗にキスされたことか。額にだけど。あのあと翔陽は言葉にならない奇声を上げるしリエーフくんはキラッキラした目で略奪愛だ!とか言い出すし、鉄朗はニヤニヤしながら私の手を引いて体育館を出ちゃうしバタバタだった。

ホテルに戻れば翔陽から電話がかかってきて倫太郎との仲について聞かれて友達ですとやっと言えたわけなんだけど、どうやら御本人は気に食わないそうだ。



「いや、あれは不可抗力でしょ」
「だとしても防げたんじゃない?彼氏の前だからって隙だらけになりすぎ」
「なっ…別にいーじゃん」



自販機のある休憩スペース。隣接にある喫煙所に入ってタバコに火をつけて一口吸うと同時に手から消えるそれ。私より遥か上にある目線はこちらを見下ろしてやっぱり少し不機嫌そうな色を浮かべながらタバコを口に当てた。



「えっ」



いつも私がタバコを吸うときは外で待ってた倫太郎が入ってきたかと思えばまさかの喫煙。アンタ確かに二十歳だけども。アンチ喫煙じゃなかったの。
驚いてその光景を見ているとほんの少し煙たい咳を零して私の手元に戻された。

含んだ煙を私の顔にやんわり吹きかけて満足そうに口角を上げる倫太郎は歳の割に大人っぽい。鉄朗とはまた違った魅力の持ち主だと思う。



「…何してんの」
「間接キス」
「頭おかしくなった?」
「お陰様で」



どういう意味よ。私のせいだって言うの?
むかついて睨み上げても満足気な倫太郎には効果が無いらしい。



「突然違う世界から来て寂しそうにしてたから俺が隣にいたっていうのに名無しは俺のこと見向きもしないんだよな」
「そりゃあ鉄朗が一番だもん。当たり前でしょ?」
「自分で言うのもなんだけど俺は優しいと思うし、気も合うと思うんだけど。歳下なりの可愛さもあるでしょ?」
「でも倫太郎は鉄朗じゃないじゃん」



お返しに煙をふーっと勢いよく顔にかけてやると物凄く嫌な顔をされた。ざまあみろ。
してやったりとニヤリと笑えばさらに不愉快そうな顔をされるから心の中でケタケタと笑った。

倫太郎は無言で私の頬を摘むと細い目付きをさらに細めてバカ、と呟いた。バカはどっちだ。



「あのね、倫太郎。私だって大人だから気づかないわけがないし気づいてないフリしてたの。まぁ、何言われたって揺らぐことなんてないんだけど」
「そうだね。気づいてたのも知ってたよ。それでも俺といるってことは何かしら居心地の良さを感じてたんじゃないの?」
「そりゃあね。私が夜の仕事しててもうるさく言わないし、二日酔いになっても面倒見てくれるし、突然呼び出しても来てくれるしね」
「俺って都合の良い男?」
「別にそんなんじゃないわよバカ」



友達以上、恋人未満?
そう言えばさらに不服そうに眉間に皺を寄せて摘む手に力を入れられた。痛い痛い。

ぐいっと引き寄せられて顔がとてつもなく近くになる。それでもドキドキなんてしない。思ってた以上に私は鉄朗以外見えないようだ。



「俺もキスしていい?」
「バカなこと言ってないで離して」
「あのー、お取り込み中スンマセン」



あれ、デジャヴ。
なんて呑気に思いながら喫煙所の入り口を見ればニッコリと余所行きの笑顔を浮かべた私の恋人の姿。

ここは喜ぶところなんだろうけど、残念ながら状況が状況だ。私と倫太郎は軽く押されただけで唇が触れ合いそうなほど顔が近くて倫太郎は現れた鉄朗に気まずさではなく邪魔すんなとでも言いたげな顔をしている。



「それ、俺のなんですケド。ご存知?」
「あー、知ってます。散々聞かされてますから」
「お宅春高でツッキーと張り合ってたキツネくんだろ?今度は俺と張り合うつもりカナ?」



私から離れた倫太郎は鉄朗に向き直ってわりと喧嘩腰にもとれる返事をしていた。

倫太郎の表情は背中を向けられていて見えないけど、鉄朗の顔はとんでもなく黒い何かを渦巻いている。怖い。結構怖い。



「張り合うって言ったらどうするんですか?」
「あ?無理だから諦めろ」
「どうかな。俺ら結構仲良いんスよね」



ふたりで会話してくれればいいのに、倫太郎は私を見て「な?」と同意を求めてきた。その後ろで鉄朗は今まで見たことないような怒りを浮かべた顔をしていておっかない。

私は頷くことも否定をすることも出来ずに倫太郎と鉄朗を交互に見ていた。



「名無し、帰んぞ」



いつもよりワントーン低い声で呼ばれ、一歩前に出れば鉄朗が荒々しく私の手を握って引っ張った。

振り返れば倫太郎が口角を上げて手を小さく振りながらまた連絡する、と呟いた。



無言に早歩き。
まさかこんな状況になるとは。誰が予測しただろうか。
私はこんなことにならないように倫太郎の気持ちに気づかないフリをしていたのに、間違いだったのだろうか。



「鉄朗」
「…」
「鉄朗ってば」
「…んだよ」
「私、倫太郎とは何も無いよ」



誤解を解こうと背中に話しかけたものの、ビタッと立ち止まった鉄朗の雰囲気はまだ怒りを纏っていた。

なんて言おう。どうすれば鉄朗は安心してくれる?頭をフル回転させているうちに私は自ら地雷を踏んでしまったことに気が付いてしまった。



「あの、こっちに来たときにパパが働く大学で知り合って、それで…」
「それで?名前で呼び合う仲にまでなったと?」



手遅れ。もう何を言っても無駄そう。
これは鉄朗が出ていったときと同じぐらい、いや下手するとそれ以上の揉め事になるぞ。

わかっていてなお解決策を考えるも、どれも私のワガママと不可抗力とで叶うものはなかった。



「別にそんな仲じゃないよ。本当に何も無いし、ただの友達「友達以上恋人未満って、どういう関係だよ」


「…聞いてたの」
「でけぇ声で喋ってたら嫌でも聞こえるわ。…俺に会いにくるためにこっち来たんじゃなかったのかよ」
「なっ…当たり前でしょ!?それすら信じてくれないの?」



やっとこっちを向いた鉄朗はどこか冷めててそれでいて悲しそうだった。あぁ、私また彼を傷付けてしまった。こんな顔させたいわけじゃないのに。

単なる友達。仲の良い男友達。好きだと想われていてもそれ以上にはならないし、私は鉄朗が好き。それだけじゃダメだったということに今更気付いてしまった。
鉄朗からすれば何年もの時間を経て漸く会えたというのに、目にしたものは異性と必要以上に仲良くする私の姿。自分だったら、泣いてしまうかも。



「俺、期待しすぎてたんだろな」
「え…?」
「名無しに会えて住む場所が遠かろうと会える距離だって思うとすっげー嬉しかった」
「鉄朗、私もだよそれは…」
「けど名無しは名無しの時間を生きてて、それを共有することは別の人間として生まれたからには不可能なわけだろ」



酷く傷ついたような顔。
目を逸らしたくなるような表情。

胸が痛くて今にも泣き喚いて謝って安心出来る言葉をあげたいのに、喉が焼けるように熱くて何かが込み上げてくる感覚が苦しくて声がなかなか出なかった。



「俺に囚われなくてもいいから」



崖から突き落とされるような感覚とは正しくこのことかと冷静に思った。心臓が止まったんじゃないかって程の衝撃に私は本当に何も言えなくなった。

それってどういう意味?
聞きたくても聞けないし、聞きたくない自分もいた。それ以上何か言われると本当に自分が自分じゃなくなるんじゃないかって思った。



「…帰るわ」



そう言い残して去っていく鉄朗の背中を追いかけることも出来ないまま私はその場にしゃがみこんでしまった。

まただ。
また鉄朗が私から離れてしまった。
鉄朗が部屋から出ていったあの日と同じだ。私はまた自分の浅はかな行動と言動で鉄朗を傷付けてしまったのだ。



「鉄朗…っ」



大学の正門の前、講義が行われていて誰も通らない静かな空間にひとり私は静かに泣きじゃくっていた。


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