Drink it Down. | ナノ






昔、本当の昔。小さな頃。
よく近所の公園で遊んでた友達がいた。

男の子か女の子かわからないような可愛らしい顔をした子だったのを覚えてる。
よく喋り、よく笑い、よく走り回るとても元気な子で小さな私にさえ眩しく見えた。


ある日突然、その子はいなくなった。
引っ越したのだと母は言う。

さよならも無しに?

とても寂しかった。悲しかった。



「お世話になりました」



空っぽの部屋を見渡して私はそう呟いた。足元からは大きめのバッグの中から不安そうに鳴くテツの声が聞こえた。


大丈夫。
終わるわけじゃないし、終わったわけでもない。


私は私のことを待つ人の元へ向かうだけ。



「名無し、行こうか」
「…うん」



優しい笑みを浮かべるその人は私の手を取り、愛する人と過ごしたこの部屋を後にした。



もう戻ることは出来ない。
私は後悔もしていない。


今度は私が会いに行く番だから。









「相変わらず翔陽は面白いね」



研磨が隣で汗を拭きながらそう言った。
目線の先にはリエーフたちとボール拾いをしながらはしゃぐチビちゃんの姿。
お前も、相変わらずだよと心の中で返事をしながらもそうだなと口では返していた。

大学に入って3年目。もうすぐ春になると4回生になる。研磨は俺と同じ大学から推薦を貰い、受験勉強が面倒だからとそのまま入学した。
チビちゃんたちは宮城の大学でバレーを続けているが、どうも切っても切れない縁らしく、顔見知ったメンツが俺たちの大学のバレー部と合宿や練習試合をすることが多く、高校の時と変わらず遠征したりこっちに来たりしていた。



「日向、お前今日友達と来たんだろ?」
「おう!美人なお姉さんで親戚なんだ!」
「美人!?お前それ先に言えよ!どんな人なんだ!?」



リエーフとチビちゃんの会話に木兎がスパイクを決めると同時に走ってそこに混ざっていく。
前までの俺なら一緒になって話していただろうけど、今は全く興味が無い。

それもこれも俺が今でも想い続ける人がいるからで、裏切るようなことはしたくないし他の女が霞んで見えてしまうようになった。なんてったって俺の彼女は美人で可愛くて、俺のことが大好きなのだ。そりゃあ他なんて興味は失せて当然だろ。



「その人も仙台の人なの?」
「あー、今はそうなんだけど近々引越しするかもって言ってたなぁ」
「まじかよ!東京か!?芸能人なら誰に似てる!?」
「ていうか日向、どこで知り合ったんだよ!」



珍しく会話に混ざっていった研磨に驚きながらも木兎とリエーフの質問攻めに見事埋もれてしまったのを見て思わず笑ってしまった。

俺はタオルを肩にかけて時計を確認し、そろそろ引き上げるかと更衣室へと足を向けた。



「黒尾はどんな子がタイプなんだ?」
「俺?そうだなぁ…俺のことが好きで泣いてくれる子」
「性格わりー!!」
「なんとでも言え」



木兎の質問を躱して帰るぞーと声を掛ければ残っていたメンバーが片付けてそそくさと更衣室に入った。

着替えてる間もチビちゃんの親戚の話題で持ち切りで、俺は最後まで特に話すことなく帰るわと声を掛けて研磨と一緒に体育館を出た。



「あいつらほんと女の話題になると変わんねぇノリだよなー」
「…クロは、全然話さなくなったね」
「俺?あー、まぁそうだな。そんな話しなくてもモテますからネ」



はぐらかすように冗談を言えば少し眉間に皺を寄せて小声で女の人の気持ち、理解できないよと言われた。おい、何気にそれ貶してるよな?

他愛もない会話をしながらお互いの家に帰る道を歩く。つっても俺がほとんど話して研磨はゲームしながら聞いてんのか聞いてねぇのかわかんねー反応してるんだけど。
俺だけ一人暮らしを始めてみたものの研磨と俺の実家から3駅程しか離れていないため、一緒に帰ることも昔から変わらない。



「…あのさ」
「ん?どうした?」
「翔陽の友達、会ってみたいね」
「…? 気になんのか?」



首を横に振る研磨。よく理解出来なくて首を傾げながら最寄り駅の改札にICカードを翳した。

もうすぐ電車が来るらしい。
ホームに立って待っているとゲームを一度やめて研磨がこちらに向き直った。



「クロ、喜ぶと思うよ」
「は?なんで────」



電車が到着して降りてくる人だかりを避けながらよくわからない発言をした研磨に俺は思わず眉間に皺が寄る。どういう意味だ?
わけも分からずそこそこ人が降りたにも関わらずまだ満員レベルで人が乗る電車へと自分も乗り込み、閉まるドアに注意しながら窓の外を一度だけちらりと見てまた研磨の横顔を見た。




え?




口元が僅かに上がった研磨と、窓の外で改札へと続く階段を降りていく人だかり。

無意識にもう一度見た先には俺と同じように目を見開いて驚いた顔をする人がホームの真ん中に立っていた。



「…おい、嘘だろ」



電車が発車する音が鳴る。
少しずつ動き出す景色に焦りを感じて今すぐ止まれと無理な願いを叫びそうになった。

くしゃりと笑った顔。
俺はとうとう幻覚を見るようになったのか。



「ね、言ったでしょ」



研磨が携帯を取り出してゲームを再開しながら俺のことを見ずにそう言った。

遠くなってもう見えもしない駅の方向を見ながら何度も頭の中で知っている顔と先程見た顔を比較しても不一致するなんてことはなかった。



「名無し…?」



大きく何度も跳ねる心臓と上手く呼吸が出来ない肺。

研磨に先に帰ってくれと言い残して次の駅で降りてまた学校の最寄りに戻ってもその姿を再び目にすることは無かった。
駅周辺を探して走り回ったがそれでも人は多く、建物も多い都会では探し出すことは困難だった。



「もう一度だけって、どんだけ意地悪なんだよ…」



ひとり自嘲気味に笑いながら俺は本数の少なくなった電車を待ち、右手の薬指に触れて先程見た笑顔を何度も何度も思い浮かべた。


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