Drink it Down. | ナノ






黒尾くんと一緒に暮らすようになって2週間ほどが過ぎた。

元の世界に戻る手段も見つかることもなく、私が振った元彼が何かしてくることもなかった。



「お疲れ様でーす」
「お疲れ様です。ありがとうございました」



今日も今日とて仕事が終わって送迎車から降り、マンションへと入ってく。部屋に着くまでの間は連絡先を交換したお客さんにお礼の連絡を入れたり明日の同伴の待ち合わせの時間を相談したり。



「黒尾くん、ただいま」
「おー、おかえり」
「…あれ?」



私が帰ると必ず起きて待ってて、ご飯はいつも適当にお金を置いてくようにしてた。

けど、今日は何かが違う。鼻を燻るとても良い香り。先程まで何も感じなかった胃が、空腹を告げている。



「どうしたの、それ」
「勝手にキッチン借りたのはわりぃーんだけど、コンビニも飽きたしそろそろ体に良いものをと思ってな」
「黒尾くん、自炊できるの!?」
「…そんなに驚くことデスカ?」



コンロの前に立つ黒尾くんの隣からその手元を覗き込めば、そこには程よく湯気の立っている美味しそうなみそ汁が。

あ、限界かもと思った矢先お腹からぐぅ、と情けない大きな音が鳴り、一瞬驚いた顔をした黒尾くんと目が合った。と同じぐらいに我慢出来ず吹き出し、お腹を抱えて笑われた。



「ぶっ…ひゃひゃひゃっ!!すげぇ間抜けな音にアホ面!!」
「なっ…!そりゃ働いて帰ってきたらこんな音もなるし顔だって緩むわよ!」
「ひっ…苦しい無理!さっきの顔思い出して…ぶふっ」
「こんのクソガキ…!そんな止まらなくなるほどダメな顔してたわけ!?」
「やめろ!やめてくれ!それ以上言うと思い出し…ぶふぉっ」



未だに壁に手を付いて笑ってる黒尾くんの肩を軽く殴って拗ねた振りしながらリビングのソファーに鞄を投げた。その足で寝室から部屋着を取って洗面台へ行き、化粧を落とす。

そのあいだもちょくちょく黒尾くんが思い出し笑いしてるであろう声が聞こえてちょっとむかつく。此れ見よがしに拗ねてます!とソファーの上で膝を抱えて眉間に皺を寄せながらテレビを見て黒尾くんの言葉は無視を決め込むことにした。



「おーい、名無しサーン」
「…」
「悪かったって!んな拗ねんなよ」
「…」
「あー、そんだけ怒ってんなら俺なんかが作ったもん食いたくねぇよなー?塩鮭も焼いたしサラダもあんだけど「食べます」



勢いよく立ち上がってキッチンまで来た私にまた黒尾くんが大笑いしたのは言うまでもない。







「スーパーの近くに公園があってよ、そこでボール触ってたら小学生のガキが何人が来てさ…」




ご飯を食べながら携帯をいじってたら黒尾くんに怒られた。テレビを見ながら食べようとしたら手が止まってるからやめなさいと消されてしまった。

黙って食べるのがいちばん良いのだろうけど、でも気を使ってくれてるのかな。黒尾くんが今日あったことを話し始めた。



「オーバーってわかる?」
「こう、手で三角作って上げるやつ?」
「そうそれ。三角だっつってんのに丸くして小指にぶつけて痛いって騒いでさ」



ケラケラと笑いながら向かい側に座って話す黒尾くんの顔は年相応のちょっとした幼い笑顔だ。
この2週間ほどで黒尾くんは高校生とは思えない色気の持ち主であることは少しだけ、ほんの少しだけ感じていたけどやっぱり年下なんだなって思う場面の方が多いなってこういうふとしたときに思う。

それから私達はわりと早くから打ち解けたため、姉と弟って勘違いされるんじゃないかなと思うほど仲の良い関係になりつつあった。
まぁ、今の黒尾くんには私しかいないわけでそりゃ言葉は悪いけど生きるために縋るしかないし、仲良くならなきゃいけないと思ってるんだろうな。



「どうかした?名無しサン」



ぼーっと黒尾くんを見ながらそんなこと考えてたから途中から話を聞いていない私にニヤニヤと意地の悪いあの胡散臭顔(と私が勝手に名付けた)をしながらこちらを見ていた。



「あ、ごめん。黒尾くんのお顔が整っていて綺麗だなってつい見惚れてたの」
「お仕事モード、やめてくんない?」
「冗談だよ。ごちそうさま。とても美味しかった」



手を合わせて食器を下げようと立ち上がり、キッチンへ足を向けたときふとあるものが目に入る。

キッチンカウンターの隅っこ、手紙や郵便物を入れる小さな小物入れに見たことのない水色の封筒があった。



「黒尾くん、これ何?」
「んー?…あぁ、それ」



頬杖をついてこちらを見ていた黒尾くんが立ち上がってその手紙を手に取る。

じっとそれを見たあとふいと視線だけ上にやったのち、私の目を見て困ったように笑ってその手紙を部屋着のズボンのポケットにしまった。



「いつもランニングのときに会うオネーサンに渡されたんだよ。断ったけどな」
「へぇー、さすがモテる男は違いますねぇ。今どきラブレターってのも素敵だね」
「まぁ、な」



食器を洗いながらそんなふうに話してた。手元を見てたから特に気にしてなかったけど、あとから思えば確かにそのときの黒尾くんの声のトーンはあまり穏やかなものではなかった気はする。

立ちっぱなしでカウンターに寄りかかり、じっとこちらを見てくる黒尾くんの視線が少し鬱陶しくなりつつあったので極力嫌な顔しないように笑顔を作って何?と聞けば何も、と返された。なんなんだ。



「先、寝てていいよ」
「…いや、大丈夫だ」
「今日の黒尾くん、どうしたの?やけに気を使ってくるし優しいし…寂しかった?」
「ま、そんなトコ」



ニヤリと笑うその顔はやっぱり胡散臭い。思わずふっと笑うと黒尾くんは眉毛を少し釣り上げてじとりとこちらを見てきた。



「そんな顔しないでよ、胡散臭顔くん」
「本音出てますケド?」
「さ、寝るよ。私明日は少し早く出るからね」
「はーいよ」



私が寝室に向かう様子に気が付いた黒尾くんがリビングの電気を消し、隣の黒尾くんのために片付けた部屋へと向かっていった。

いつもドアノブを捻る前にここで足を止めてお決まりの行動、私の目を見て少しだけ笑って寝る前に挨拶してくれるのだ。



「じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい。早く寝るんだよ」
「名無しさんもなー」



手をヒラヒラさせながら部屋へと消えていく黒尾くんを見送ったあと、私も寝室へ入る。

食べたあとなのにこのまま寝るなんて本当はダメなんだろうけどもう意識は半分寝てしまっている。
携帯を充電器に挿して布団にくるまり、部屋の電気を保安灯にしてもういつでも寝れる状態だ。


黒尾くんが作ってくれたみそ汁、美味しかったな。


暖かかった。人が作ったものを食べたのなんて何年ぶりだろう。自炊もしばらくしてないし、今度お返しに何か作ってみようかな。

そういえば、ラブレターなんてもらってたな。あんまり嬉しそうじゃなかった。なんでだろう?



そこまで考えたところで意識はふわふわしてもうダメだと気付き、睡魔に抗うことなくゆっくり落ちていく意識。
翌朝起きた頃には寝る前に考えていたことや黒尾くんが隠すようにポケットにしまい込んだこともすっかり忘れてしまっていた。


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