Drink it Down. | ナノ






真夜中の2時頃、夢の途中で目が覚めた。

ベッドサイドの机の上に置かれたデジタルの時計が暗闇の中でも時間を告げていた。
保安灯で照らされた部屋は俺のものではない。俺が迷い込んだ世界で唯一接触し、助けになりたいと笑ってくれた人の部屋。



(目覚め最悪だわ…)



もうすでに形づいた寝癖をガシガシと掻いて顔を両手で覆って軽く擦る。少し喉が渇いた。
ベッドから降りて部屋を出ると、暗く静かなリビングの中央に置かれたソファーからは呼吸の音が聞こえる。



(名無しさんもお人好しだよなぁ)



嘘だったかもしれない。
高校生のお遊び、悪戯だった可能性もあるのに俺の言うことを簡単に信じて挙げ句には昨日の買い物に行ったときの行動である。

変な詐欺とかに引っかかったりしねーの?ってちょっと思ったりもした。でもわりとしっかり者みたいだし、そこは大丈夫なんだと思う。



「あれっ、大丈夫?喉乾いた?」



ドアを閉める音に反応して名無しさんがソファーから体を起こしてこちらに声を掛けてくる。
静かに閉めたはずなのに、起こしたのかと謝ろうとしたところで寝起きにしては意識がはっきりしてることに気がつく。



「そうだけど…名無しさん、起きてたのかよ」
「うん。私この時間に働いてるから起きとかないと生活リズム狂っちゃうの」
「それはわかるけどよ、真っ暗な部屋で何してんの?」
「ゲームしてたんだけどさぁー…なかなかクリア出来なくて困ってんの」



電気を付けてソファーの背もたれから覗き込むと座る体制になった名無しさんが携帯を見せてくる。
内容的にはモンスターを引っ張って反射や角度を上手く使いこなして敵を倒すタイプのゲームだった。
研磨がよくやってるものと似ている。

うーんと顎に手を当てながら次の一手をどうするか悩む名無しさんの横顔は本当に大人?と聞きたくなるほど幼い。メイクしてないってのもあるんだろうけど。



「ここは冷静に雑魚を処理するべき…?いやでもここで技使えばワンパンも可能だよね…あーでもゲージ削りきれなかったら最後のステージ苦しいよね特攻いないもん…うーん」



独り言をぶつぶつと呟きながら頭を抱え出す名無しさんに思わずふっと笑ってしまう。
その瞬間軽く睨みつけられ、真剣なんだよ!と言われた。

こんなこと、研磨ともやり取りしたな。
同じように珍しく難しい顔して悩んでたっけか。



『んなもん適当に打ちゃなんとかなんだろ』
『…クロはバカだから、それでいいんだろうけど』
『オイ、今バカって言ったよな!?』
『俺は確実に勝つために真剣にやるよ。これはそんな簡単に勝てないから…』



「…研磨、」
「おやおや、お仲間の夢でも見て目が覚めたのかな?」



無意識のうちに呟いた名前を聞き取った名無しさんがニヤリと笑いながら手を止めてこちらを見た。
意地の悪そうな笑顔ではなく、仕方ないなといったような笑顔。

携帯をテーブルの上に置いて自分の隣をぽんぽんと叩く彼女を見て大人しくソファーに腰掛けた。
それと同時に名無しさんは立ち上がり、キッチンの中へと入ってく。



「黒尾くん、ココア好き?」
「え?あぁ…まぁ、たまに飲む程度かな」
「そう。じゃあ温かいココアでも飲みながら話そうよ。眠たくなったら寝てもいいからさ」



にっこり笑って食器棚を開ける彼女の手には猫の絵柄がペアになったマグカップがあった。









「幼馴染みなんだ」
「そ。うちの大事なセッターで後輩で友達で、弟みたいな奴なんだよ」



そういうのいいね、と笑ってココアの入ったマグカップを両手で持つ名無しさんは顔は幼いのに雰囲気はどこか大人だった。

研磨の話。こんなに人にしたのは初めてかもしれない。
といってもさっき見た夢の内容でしかない。

小学生の頃、引きこもってゲームばかりする研磨を連れ出してバレーをしたこと。
研磨が人見知りで引っ込み思案だから馴染めない人間の輪に俺が引っ張り入れたこと。
ゲーム以外にやる気のない研磨にバレーを辞めるなと話したこと。
目立ちたくないから金髪にしたという訳の分からない行動を突然取るようなこともあったこと。



「研磨くん、疲れるだろうなぁ」
「は?なんでだよ」
「だって人見知りで目立ちたくなくて引きこもってゲームするような子でしょ?なのに自分の意に反して連れ出されたりしたら、私は溜まったもんじゃないよ」



確かに、研磨のためと思って行動したけどあいつの意思をちゃんと聞いていつも行動していたわけではない。
部活に来たりしていたのも俺が引っ張るからで、楽しそうにする瞬間があったとしても大半は研磨にとっては楽しくなくて時間の無駄に思えるものだったかもしれない。

本当は、研磨は。



「でも、大好きなんだね」
「……えっ?」
「黒尾くんが研磨くんのことを、もそうだけど研磨くんも黒尾くんのこと大好きじゃん」
「どこにそんなふうに思える要素があったんだよ」
「え?そんな要素しかなかったよ」



次の言葉を待っていても名無しさんはにっこり笑うだけで何も言わない。諦めてココアを飲むと、少しだけ先程より温度が下がっている気がした。

どこか嬉しそうな顔をしながらマグカップを眺める名無しさんが不思議で仕方が無い。



「どうやったら黒尾くんを元の世界に帰してあげられるかなぁ」
「…俺だってわかんねぇよ」
「私もわかんない。でも、いつまでも私といるわけにはいかないでしょ?」
「そう、だけど…」
「私は出ていけなんて言わないけど、黒尾くんが困ると思うな」



なんで俺のことばっか気にしてんだこの人は。
自分は迷惑じゃねーのかよ。

少し不審になる。でもどこからどう見ても悪さを企んでるような感じはないし、本当にお人好しなんだなと思った。
呆れて小さくため息をつくと笑われた。



「私のことお人好しだと思ってるでしょ」
「…まぁネ」
「研磨くんもそうだと思うよ」



その言葉を聞いた瞬間、ココアを飲もうとした手を止めた。



「黒尾くんが研磨くんを構う理由を彼はわかってるだろうし、それを知った上で着いてきてくれるんだよ。だから、信頼してるし大好きなんだろうなって」



大人って凄いと思った。
研磨のことは俺が与えた情報しか知らないはずなのに、その一部からそう汲み取れるなんて。

本当のことはわからない。けど、信頼してるだとか大好きだとか、当てはまるようにしか思えなくなってしまう。



「…だと、いいけどな」



思ってる以上に落ち着いた気持ちに何かが暖かくなった気がした。先程見た夢を振り返ってもっと優しい気持ちになった。

研磨だけじゃない。
音駒バレー部のあいつら全員に会いたいと思ったし、俺がこうしてる間にもきっと強くなるために努力しているのだろう。そう思うとどこか愛しさに近い何かを感じた。



「少しずつ黒尾くんとの親密度、上がってる?」
「どうでしょうネ」
「その言い方は上がってると受け取ってもよさそうだね。ま、出来ることならなんでもしてあげるから気楽に頼ってよ」



中身が空になったマグカップをテーブルに置いて軽く体を伸ばし、そう言った名無しさんは少し眠たそうだった。

夜中まで仕事だったのに俺のために早めに起きてずっと動き回ってたから眠たいのも当たり前だと思う。



「名無しさん、寝たら?」
「いや、大丈夫」
「顔に寝たいって書いてあるぞ」
「いや大丈夫」
「…今日ぐらい寝ろって」
「寝ない!」
「寝ろ!」



言い合って顔を見合わせて名無しさんは吹き出した。俺も何が面白いかわかんねぇけど笑ってしまった。

自分のココアを飲み干して名無しさんが飲んでいたマグカップと一緒にキッチンへ下げる。水につけておかないと取れなくなりそうだったので少しだけ中身を濯ぐ。



「じゃあ今日は大人しく寝るよ。黒尾くんも早く寝るように」



もう眠れるでしょ?と言われて頷く俺を見て名無しさんは満足そうに笑った。

毛布にくるまって携帯も閉じたのを確認して電気を消して俺も借りてる寝室へと向かう。



「黒尾くん」
「ん?」
「おやすみ」



ソファーの背もたれで顔はもう見えないけどにょきっと伸びた手がゆらゆら揺れていた。



「おやすみ」



そう返事して寝室へと戻り、布団に潜った瞬間一気に睡魔に襲われて俺はそのまま抵抗することなく意識を深く沈めた。


[しおり/もどる]