Drink it Down. | ナノ






「あー悪いんだけど今の忘れてくんね?」



寂しそうな表情から一変、気まずそうに目をそらしながら頬を掻いて笑う黒尾くん。

忘れてくんねって、また無茶なことを。
なかなかに酷い顔してたぞ、なんて言えるわけでもなくさてどうしたものかとほんの一瞬悩んだ。

けど私はそれ以上特に迷うことなく、ほぼほぼ自然に体が動いていた。
黒尾くんの腕を引いてお店の中に入ってく私を困惑した瞳で見る姿に思わず笑ってしまいそうになる。



「あのー、名無しサン?」
「へぇー、ボールってこんな値段なんだ。二個あればひとつ空気抜けても入れるまで使えないとかならないからいいよね?」
「いや、えっと…」
「あっ!このシューズ可愛いじゃん!見て見て、黒尾くんっぽくない?ウェアも赤いのあるよ!」



グイグイと色んなとこ見て回っては手に取り、どう?と聞く私にたじろぐ黒尾くん。まぁ強引すぎるし会って間もない人間にこんな引っ張られたらたまったもんじゃないか。

わかってても私は止めることなく渋る黒尾くんを無視してシューズを試着させてみたりボールを触らせてみたりする。


「バレーって他に何が必要?」
「ちょっと待ってくれって、俺は別に…」
「いつ戻れるかわからないんでしょ?」



私の言葉に彼は押し黙る。
強引且つ意地悪な大人で本当に申し訳ないな、なんて思いつつも引き下がるつもりもない。

あんな顔されたら、黙ってられないし見て見ぬ振りも出来ない。



「こっちの世界にいる間、何もしないの?」
「それは…仕方ないカナーなんて…」
「バレー、したいんでしょ?」



きっとさっきのケンマっていうのは黒尾くんの大事なチームの大事なメンバーなんだろうなと思った。
だからこそ一緒にバレーが出来ないこと、今ここにいる限りボールに触れられないことが彼にとってはとてもショックなことなんだ。

甘いと思われてもいい。ダメな大人だと言われてもいい。それでも彼と生活を共にしている間は私が保護者であり、彼を守るべき存在なのである。だったら、このまま彼を殺すようなことはしてはいけない。



「場所も、探せばなんとかなる。君が元に戻ったとき、みんなについていけなくなるなんてことは絶対ダメでしょ」
「そりゃそうだけどよ…」
「だったら尚更。ワガママ言っていいんだよ、私は君の助けになりたいんだから」



わかったらほらほら選んだ!と黒尾くんの背中をバシッと叩いてニッと笑うと一瞬目を見開くもすぐに同じように笑ってくれた。

ボールを手に取りシュルル…と手のひらを器用に使って回し、隣に備え置かれていた買い物かごにボールを入れた。



「ボール、カゴに入れたらほかの入れらんなくなるじゃん」



好きなものがあるのは、夢中になれるものがあるのはとても立派で羨ましくて素敵なことだと黒尾くんのことを見てると改めて思えた。

私も、そんな風になれる何かが見つかればよかったのにな。








「ちょっと買いすぎなんじゃねーの?」
「いーのいーの。どうせほとんど消耗品だから」



タクシーから降りて荷物の大半を黒尾くんが持ってくれた。部屋に着いて荷物をリビングの入口付近に置いてソファーの前の床に座る黒尾くんに何か飲む?と聞けば頷かれたので温かいお茶を淹れる。

もうすぐ冬になる。まだ少し冬物の服を着るには早いけど、外の風はもう冷たかった。



「今日は仕事は何時からあんの?」
「お休みにしてもらったの。今日ぐらいいいでしょ」
「そんな軽い感じでいいのかよ…」
「1日2日休んだとこで困ることなんてないよ」



何日も続けてまだ知り合ったばかりの人間の部屋にひとり残される気持ちを考えた結果だよ、と言えば黒尾くんはそれ以上何も言ってこなかった。

もう夕方、寝たい気持ちを堪えながらソファーに座ってお茶を一口飲む。



「ねぇ、座らないの?」
「…いやなんか図々しいかなーって」
「気にしないから。気を使うなとまでは言わないけど、そんな感じでいつまでもいたら休まるもんも休まらないでしょ」



ハイ、と渋々返事して私の隣に座る彼を見て私は頷いた。

テレビを付ければちょうど春高バレーの宣伝が流れて黒尾くんを見れば少し驚いた顔をしていた。



「こっちの世界にも春高はあるんだなァ」
「そっちにもあるの?」
「俺は向こうの春高に出るんだよ」
「へー、それはすごいんだねー」





「え?」



今なんと言った。
いやでも待って、黒尾くんが春高に出るって言ってももしかしたら向こうの世界はまだもっと夏とか「ちょうど県内予選の最中だったんだよ」


「…嘘でしょ?」
「ホント」



唖然と黒尾くんを見る私に黒尾くんは意地悪な笑みを浮かべた。

私の言いたいことがわかるのだろう。そんなに凄いのかよ、と。バレーを知らない私でもわかる。春高バレーはテレビ中継されたりそこから全世界で勝利を持ち帰る選手が生み出されることも。




「俺ら、凄いんだぜ」



先程の笑顔とは打って変わって屈託の無い笑顔を浮かべてそう言う彼に私はまた目を見開いた。



「だったら尚更、早く戻らないと。で、ここにいる間も止まってらんないね」
「おう、そうだな」



テレビに映る大きな体育館で黒尾くんが試合をする姿を瞼の裏で想像しながらいつもよりほっこり温かいお茶を飲んだ。


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