4
なり損ないの天使
- 4 -
花の香りがする。
甘くて、優しい花の香り。
心地よい微睡みに溺れていたアスベルだったが、ふと過った少女の姿に飛び起きる。
「ソフィッ!」
当然のように、彼女の姿は見つからない。
辺りを探してみても、見つけることができなかった。
一体自分はどれくらい眠っていたのだろう。
不意に押し寄せる大きな不安。
握りこぶしを力いっぱい作ったアスベルはすぐさま、とある場所へ急いだ。
「シェリア!!」
真っ白な建物の真っ白な扉。
それを勢いよく開ける。
建物内にいた人物は、ビクリと体を震わせてアスベルを見た。
「もう。どうしたのよ。いつものアスベルらしくないわよ?」
建物よりも真っ白な布をテーブルに置き、シェリアは席を立つ。
彼女は新米の仕立屋だった。
「ソフィ、来てないか?」
「ソフィ? いいえ。何かあったの?」
「いや、何でも……」
「何かあったのね。私にできることなら協力するから、話してみて?」
シェリアは信用できる人物だ。
アスベルは迷うことなく頷いた。
そして、話す。
自分が知っていることを。
「……なるほど。初めてじゃない? あのコが貴方に『言霊の力』を使ったのは」
「ああ。ソフィはあの力を恐れていた。自らの意思で使うことなどなかった。それなのに……」
意識を失う前に見た、ソフィの表情。
苦しそうに顔を歪め、けれどコントロールして力を使っていた。
「ソフィにとって、俺はその程度だったんだな……」
「アスベル!」
怒ったように、けれど力の抜いた拳がアスベルの上に落ちる。
「シェリア?」
「私、貴方のそんな情けない顔は、見たくないわ」
「え……?」
シェリアはアスベルに背中を向けて、座った。
鮮やかな髪が、いつもより乱暴に揺れた。
「ソフィは……すごく良い子よ。みんなのことをよく見ている。自分のことで悩みながらも、真っ直ぐに生きているわ」
「……ああ」
「そして、誰よりもアスベルを信頼している」
「え?」
開いた目は、瞬きを忘れた。
意識してゆっくりすれば、シェリアは小さく笑った。
相変わらず、鈍いのねと。
「ありがとう、シェリア」
「やっぱり、その顔じゃないと」
室内に現れた小さな竜巻。
二人は立ち上がり、視線を注いだ。
そこから、天使が姿を見せる。
「アスベル・ラント。マリク様がお呼だ」
シェリアの家に現れたのは、大天使に仕える親衛隊。
アスベルとシェリアは、姿勢を正した。
「マリク様が?」
「中央宮の聖室にいらっしゃる。早く行くように」
「はい!」
彼は溶けるように姿を消した。
圧倒的な緊張感から解放され、ゆっくり息を吐き出す。
重なったその音に、吹き出した。
「じゃ、行ってくる」
「次は、ソフィと一緒に来てね」
「約束する」
――その約束が果たされることは、なかった。
「アスベル」
「はい」
「お前に任務だ」
目の前に立つ大天使――マリクは、淡々とした口調で言葉を紡ぐ。
「それは、どのような……」
「ソフィが“外”に出た」
「え……?」
自分の前から姿を消したと思っていた少女が、天界にいないという事実に少なからず驚いた。
彼女は一度だって、この地を離れたことがなかったから。
自らの意思か、誰かに連れ去られたのか。
最後に見たソフィを思い浮かべれば、恐らく前者だろう。
アスベルがここに呼ばれたということは、連れ戻すのが任務なのかと自分の中で一つ答えを出す。
「世界が混乱する前に見つけ出し……処分しろ」
頭に響いた衝撃。
マリクの言葉を必死に消化する。
(処分しろ? ……殺せということか?)
マリクの表情は、いつもと変わらない。
何も読み取ることが叶わない瞳。
「返事はどうした?」
「……わかりました」
E N D
2010/02/05
→5