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なり損ないの天使
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柔らかな光に包まれていた視界が拓ける。
大きな建物、たくさんの人間、見たことがない景色が広がっていた。
ソフィは天界から出たことがなかった。
人の目につかない場所に降りた彼女は、そのまま歩き出す。
目的地はなかった。
まずは、目的地を探さなければ。
「……疲れた」
天界では経験しなかった人ごみ。
思うように歩けない。
数メートル歩いたところで、波から外れた。
いつになったら、人が減るのだろうと流れるそれを眺めていた。
「何をしているんですか」
いきなり左腕を掴まれる。
顔を向ければ、眼鏡をかけた短い青の髪を持つ青年がいた。
ソフィの知り合いではない。
コトンと首を傾げれば、彼の口からため息がもれた。
「いいから、こちらへ来てください」
青年はソフィの返事を待つことなく、腕を掴んだまま歩く。
引きずられる形で連れてこられたのは、建物の裏側。
薄暗く、どこか湿った空気を漂わせる場所。
ソフィは彼の意図がわからず、不安になった。
こちらから尋ねるべきか、相手が何か話すのを待つべきか。
わずかに警戒色を滲ませた。
青年はソフィの体を反転させ、彼女の背中に触れた。
「きゃぁっ」
ゾワリと走る悪寒に、消えそうな悲鳴が洩れる。
彼はすぐにソフィから離れた。
「変な声を出さないでください」
「だって、何だか変だったから」
「それは、こちらの台詞です」
眼鏡を持ち上げ、真っ直ぐにソフィを見つめる瞳。
見つめるというより、射るような瞳。
「あなた、天使ですね?」
「うん」
「……隠すとか誤魔化すとか、驚くとか動揺するとかないんですか」
盛大なため息にも、ソフィは首を傾げるしかできなかった。
「羽、通常のものより小さいようですが、隠さないのは規則違反では?」
「……規則違反?」
ソフィは天界から出たことがなかった。
それは、彼女が外界に興味を示さないようにさせるための“上”の判断だった。
だから、ソフィは外界のことを何も知らなかった。
規則も禁忌も何一つ。
天界と外界の違いも、常識も何もかも。
「箱入り天使と言ったところですか。翼の消し方だけは教えてあげますよ」
先ほどの奇妙な感覚は、彼がソフィの翼に触れたからだった。
自分の力で翼の出し入れが出来るようになったソフィは、目の前にいる青年を見つめた。
その視線にどこか居心地悪そうにしているのは、気のせいだろうか。
「あなたの名前は?」
ソフィの問いかけに、彼は少し考えた。
どうしようかと悩んでいる様子。
そう言えば、ソフィ自身名乗っていない。
「わたしは、ソフィ」
「ソフィ……ですね」
「アスベルが、つけてくれた名前」
天界に咲く『クロソフィ』の名前からつけてくれたのだと知ったのは、名付けられてから随分あとのことだった。
「アス、ベル……?」
彼の表情が変わった。
負の感情を孕んでいるように見える。
すぐにソフィに背を向けたため、はっきりと読み取ることができなかった。
「……名前は?」
「ヒューバートです。ヒューバート・オズウェル」
無視されると思った。
返ってきた名前を小さな声で繰り返す。
不思議な響きを持つ名前だった。
「ぼくはこれで失礼します。どんな事情があるかわかりませんが、この世界はあな、たっ……」
思い切り彼の服を引っ張ったため、軽く首が絞まったようだ。
「何するんですか!」
「ヒューバート」
すがるような声音に、ヒューバートは本日何度目かのため息を吐き出した。
E N D
2010/01/09
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