instant fiance




その日ユーリは、珍しく本を読んでいた。

学ぶためではなく、ただの暇潰し。

一時間ほど、曖昧に文字を追いかけていた。

人の気配を感じて、顔を上げればエステルが部屋に入ってきていた。

エステルはユーリの前に立つと、大きく息を吐き出す。

そして、重大告白をするように、ゆっくり口を開いた。


「ユーリ、お願いがあるんです」

「お願い?」


本を閉じて、彼女の言葉に集中する。

彼女はほんの少し躊躇を映した瞳で、真っ直ぐユーリを見た。


「何も聞かずに、頷いてください」

「それは無理だろ」


話も何も聞かないうちに頷いて、その願いを叶えるのは無理だろう。

当然だが、出来ることと出来ないことが存在する。

無責任に任せろとは言えない。


「お願いします。助けてください」

「まずは、話を聞いてから……」

「誰かに危害を加えるようなことではありません。お願いします!」

「……分かったよ。エステルがそこまで必死に頼むからな」

「ありがとうございます!」


何を言っても彼女に引く気はなかった。

それが分かったから、エステルが無茶な頼みごとをしないと分かっていたから、頷いた。


「で、お願いっていうのは?」

「わたしの婚約者になって欲しいんです!」


自分の予想を超えた“お願い”に、驚いた。

まさか、そうくるとは思わなかった。


「……これはまた、大胆な告白だな」

「あ。違うんです。婚約者の“フリ”をして欲しいんです」

「フリ?」

「はい。詳しいことは言えないんですけど、一週間お願いします!」


また頭を下げるエステル。

今更断るつもりはないが、自分が選ばれた理由が気になった。

けれど、尋ねても答えてくれそうにない。


「て言われてもな。具体的にどうすればいいんだ?」

「一緒にいて頂ければ」

「それだけ?」

「はい。あ、でも、どこで誰が聞いているか分かりませんので、一応それっぽくお願いします」

「それっぽく……ね」

「いつもより優しくなってくれたら、完璧です」

「いつでも十分優しくしてるつもりだけど?」

「だって、ユーリ意地悪ですから」

「はいはい」


ある程度の自覚はある。

だから、肩を竦めて頷いておいた。





二日後。

エステルはユーリの部屋を訪れていた。


「ユーリ、一緒に買い物に行きましょう!」

「了解。お姫様」

「……不自然です」

「ワガママだな。これでも、色々考えたんだぞ」

「面白がってません?」

「バレたか」

「やっぱり、意地悪です」


本人は無意識だろうが、左頬を少し膨らませた様が可愛らしい。

笑い声を抑え、彼女と共に外へ出た。


「あの、手を繋いでもいいです?」

「はい、どうぞ」


ユーリが出した手に、恐る恐る手を重ねるエステル。

それはまるで、初めて“ハイタッチ”をしたあの時のようだった。

それがまた可愛かったから、ギュッと握った。


「あ、あの……」

「そんなに顔赤くされると、照れるんだけど?」

「う〜……」


悔しい、ズルイ、そんなことを訴える瞳に自然とまた笑みがこぼれた。

彼女といると、笑っている回数が多い。

それは、エステルが纏う優しい空気のためか。

隣を歩く、まるで砂糖菓子のような少女。


「あ、ユーリ。見てください!」


繋がっていた手は、簡単に離れた。

それを少し寂しく思う。


「何だ?」

「綺麗な花が咲いてますよ!」


何事にも新鮮に触れ合える彼女がほんの少しだけ、羨ましい。

長い間、外の世界と距離を置いていたのだから、当然といえばそうかもしれない。

けれど、恐らく“エステルだから”だろう。


「ユーリ、聞いてます?」

「聞いてるよ」

「ホントに?」

「ああ」


疑いのまなざし。

探るように、真っ直ぐな瞳を向けられた。


「じゃあ、次、行きましょう!」


すぐに笑顔に変わった彼女は、もう歩き始めていた。

隣に立ち、エステルの歩調に合わせる。

旅をしていた時とは異なる空気。

それは、とても心地のよいものだった。

隣で笑っている彼女が、そう思わせる。

その気配を感じたのは、直前だった。





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